教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

働いたら負け とは?

2014-02-26 22:13:28 | オタネタ全般
「働いたら負けかなと思ってる」
とは、とあるニート氏の言葉である。

実はこの男、どうやら自らに課した不戦の誓いならぬ不労の誓いをやぶり、その後に求職活動をはじめたらしいとも聞く。
くわしくは↓これをご覧あれ。



「働いたら負け」発言の、伝説のニートがニコ生に出演して話題に(画像あり) | ニュース2ちゃんねる
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1219.html



まあそれはそれとして。

でだ。
なぜ働いたら負けなのか?

よく言われるのが、(昨今の労働市場を鑑みるに分不相応に多額にもらえると多くのものに思われている)生活保護を得たものこそが人生の勝ち組だということを意味するのだという考えかただ。
なかには生活保護を不正受給してポルシェを買い、おまけに万引きで逮捕されるという朝鮮人までいる有様だ。



「ポルシェ」で万引、生活保護、49歳・韓国籍男の“仰天非常識”…“都市伝説”は本当だった、見過ごした行政の“怠慢”
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140212/waf14021207010000-n1.htm



たしかにここまでいくと多くの者が憤慨するレベルだ。
不貞な朝鮮人が万引きするためのガソリン代を国民の血税でまかなってやることに憤慨するのは当然だ。



ところがどっこい!
あの「働いたら負け」のニート氏は、たしか発言当時は生活保護ではなかったはずだ。

ではなぜ「働いたら負け」なのか?

それはだな・・・。
自己肯定であると解釈するとだいたいわかる。



自己肯定とは?

いまの自分の境遇が間違ってはいないと自分自身に言い聞かせることで発動する自己催眠である。

これは女性誌にいくらでも例がある。

たとえば「がんばった自分へのご褒美」とか。

これは、(自分の経済事情からいって明らかに過剰に高価だがギリギリ消費できる程度にはリーズナブルな範囲での)物欲を抑えられないことを「がんばった自分へのご褒美」というナゾの宗教観で自己肯定するものだ。

たとえばぽっちゃり系ファッション女性誌la farfa (ラ・ファーファ)とか。

これは、自分がでっぷり太っていることを「ぽっちゃり」などという言い回しで自己肯定し、あるべき姿とかけ離れた自分の体形から目を背けるものだ。

ちなみに当blogでもそのケがないとは言いかねる。



では、「働いたら負け」とはどういうたぐいの自己肯定か?

まず、現時点で働いていないという客観的事実があり、それをどうにかして自己肯定してみるとしよう。
そのヘリクツをひねりだしてみると・・・

「毎日毎日ずーっと寝る時間以外のほとんどを会社で過ごしてへとへとになるような社畜の人生をあえて選択しなかった俺様こそが真の勝ち組であり、
自分がワープアの社畜であることすら意識できないプロレタリアートこそが真の負け組でなのだ!」

「人生には、健康と経済的自由と時間的自由が必要だ。
このうち健康と時間的自由を俺様だけはありあまるほど持っており、
なおかつ、とりあえず生きていけるだけの最低限の経済的自由を持ち合わせる俺様こそが真の勝ち組であり、
あえてその2つをドブに捨ててほんの少しマシな経済的自由を求めることが労働というものである。
全体を俯瞰してみれば、働いたら負けなことは自明である!」

・・・とまあ、いくらでもモノは言いようである。

つまりだな。
いま働いていないという現状に対してせいいっぱいの理屈をこねてみたくなったときに反射的に出たのが「働いたら負け」だったのだ。

まあ、生活保護を不正受給していた上にポルシェを買って乗りまわし、あげくのはてに万引きを繰り返していた不貞な朝鮮人のようなことをしなければ、あなたの好きにしたらいいのでは?・・・というところだな。