教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

僕Hカタルシス

2012-07-24 00:27:05 | オタネタ全般
だから僕は、Hができない。

このアニメを貧乳スキーの我輩が見ていると、非常にフシギな感触に襲われる。
妙なカタルシスがあるように見えるのがフシギでしかたがない。

そもそもカタルシスとは何か?

魂が救済されるかのような居心地の良い勧善懲悪のストーリー展開とでも言えばいいだろうか。

たとえば、
「正義の男が、悪の男を倒す」
みたいなやつだ。

では、” だから僕は、Hができない。” はどうだろうか?

「正義の貧乳女が、悪の巨乳女を倒す」
我輩にはそう見える。



世は貧乳女は虐げられているのかもしれない。
貧乳女はコンプレックスを抱えて生きているのかもしれない。

ならばカタルシスにはなりうるかもしれない。

しかし!

わたしはここで、あえてもう1つ解釈を追加したい。

貧乳が好きな男は、別に虐げられているわけではないが、決してマジョリティーとして意見を通すこと(たとえばヒロイン全員巨乳はOKでも全員貧乳は絶対却下)などできやしない。
貧乳が好きな男は、別にコンプレックスを抱えて生きているわけではないが、世間の無理解(たとえばロリコンと勘違いされるような種類の無理解)と戦って生きるだけの強靭さを要求される。

だからどうだというのか?

そこでこのアニメ。
「正義の貧乳女が、悪の巨乳女を倒す」
ことで世間の無理解を駆逐したかのように見えてしまう。
そういうところにカタルシスがあるように見えてしまうからフシギなものだ。



メインヒロインのリサラはたしかに貧乳だ。
しかし、冷静になって考えてみれば、正義なのかどうかは実のところ不明である。
ただ目の前に敵が現れてそれを駆逐したというだけのことだ。
実は正義は爆乳その1である幼なじみのほうにあるということも十分ありうる。

道理の正義はなくても貧乳に正義はありうるのか。
悪になり下がった貧乳でさえもカタルシスはありうるのか。

この先、急展開になるかどうかで、また1つみどころが増えるやもしれない。