教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

グローリア・アウグスタ

2012-03-08 00:04:33 | オタネタ全般
グローリア・アウグスタ!

これだけで何かわかれば間違いなくGONZOファンだ。
そっちの世界における「天皇陛下万歳」みたいな意味だと思われる。

とまあこう書くとバンザイアタックみたいな自暴自棄な感じがしないでもないが、実のところそうではない。
現体制の繁栄を願う切実な思いからくるものだ。



他の似たようなドンパチ系アニメと異なり、ラストエグザイル銀翼のファムには比較的稀な特徴がある。
それは、誰も絶対的な悪とは描かれないことだ。

冒頭でトゥラン王国に壊滅的な破壊をもたらしたアデス連邦は、いつの間にやら悪という立場では描かれなくなっていた。
中盤でグラキエスに壊滅的な破壊をもたらしたルスキニアも、繁栄を願う気持ちは同じだがそれが全体主義者で方法論的になんかおかしいだけだという具合に描かれだした。
それら両方への直接的な軍事行動の実行者たるリリアーナも、苦渋の決断としてその方法を選択したというような裏があるように描かれている。



この問題が議論されるようになったのは、恐らく宇宙戦艦ヤマトと軌道戦士ガンダムとの対比によってはじめてなされたものだ。

かたやガミラスという絶対悪とかわいそうな人類による勧善懲悪の戦争物語。
かたやスペースノイドという微妙な立場の人たちが追い込まれてはじまった戦争物語。

これらは常に論争の的だった。

ただし。
宇宙戦艦ヤマトも1期がそうなだけで、ガミラス艦隊とボラー艦隊が地球人に関係なくはじめている戦争にヤマトご一行様が巻き込まれた話もあるし、
軌道戦士ガンダムも背景がそうなだけで、実際にはギレンはスペースノイドを言葉たくみに誘導した独裁者という絶対悪に近い立場で描かれてもいる。
なので必ずしもこの違いは明確ではない。

絶対悪というと韓国人にとっての日本人のようなもので、韓国では日本が善だと描くことそのものが許されない行為で、場合によっては逮捕される国である。
韓国人にとって日本とはクトゥルー神話における旧支配者だということだ。
そういう韓国人のキチガイじみたほどの絶対悪視を観察していると、日本人ではそういう絶対悪という概念そのものが理解できないかもしれないという気がしてくる。
そして韓国にとって日本が絶対悪でなければならない間は、日本は韓国とは絶対に仲良くできない気がする。
まあそれはいいとして。



銀翼のファムはそういうのとは一線を画すものだ。

多くのアニメでは、とりあえず強大な力をもつ悪者的なヤツが現れて、そいつを倒せばとりあえずは例えかりそめでも平和が訪れることになっている。
勧善懲悪ではないとされるガンダムでさえそうなっている。

しかし銀翼のファムでは恐らくそうはならない。
たとえば、最後の最後で最終戦争を回避して話し合いにて物語が終結するといったこともありうる。
これではヤマトなら物語の根本がなりたたないし、ガンダムでさえ敵戦力は壊滅させなければ物語は終わらない。
歌で宇宙戦争を終わらせたというアニメもあるが、ひょっとしたらそれは近いかもしれない。
そして韓国人ならストーリーが勧善懲悪ではないという概念そのものが理解できなくてもわたしには何のフシギも感じない。



この、最後の最後で話し合いで解決するというストーリーは、古くは同じGONZOの青の6号でなされたことでもある。
銀翼のファムでも、サドリ爺との決戦を最後の最後で話し合いで解決してみせた。

わたしはこういう話は嫌いではない。
話を大団円にもっていくために無理矢理ラスボスをもってくるほうがむしろ鼻につく。
シナリオライターとして、外部に絶対悪がいない社会を想像できない韓国人社会のような行いをマネたくないという志もあってしかるべきだ。

しかしそういうストーリーにすると爽快な読後感のある作品にはなりにくくなるため、世間の評価は厳しいかもしれない。

さてどうなるか。
腕前のほどを拝見したい。