フィギュアはキャラと見た目で全てである。
だから本来見えないところにこだわる必要はない。
しかし!
その見えないところに命を吹き込む、魂のこもったフィギュア職人も世の中にはいる。
例を示そう。
我が家にある2体のフィギュアについて見比べてみたい。
[1体目]
化物語リアルフィギュア 戦場ヶ原ひたぎ
TAITO製
サイズ17cmくらい
プライズ品
500円で購入
[2体目]
くらにゃどフィギュア2 アニマルVer. 坂上智代
フリュー製
サイズ17cmくらい
プライズ品
500円で購入
両方ともプライズ品であるため出来はそれなりだが、とはいっても500円にしてはマシな出来をしている。
これらはフツーに箱の外から眺めてみている分には、くらにゃどフィギュアのほうが多少マシかという程度の違いしかない。
ところが!
箱から出して現物を確認してみるよう。
これがまた、両者で出来に雲泥の差があるところがあるのだ!
箱から出して現物を確認するとき、まず初めに必ずしなければならない事がある。
これはフィギュアをたしなむ者の儀式のようなものである。
それは何か?
それは・・・
フィギュアを下から眺めて、パンツの色を確認することだ!
・・・とはいっても。
大半は白パンでしかない。
しかしそれでも確認する。
それが儀式と呼ばれる所以なのだ。
例によってこの2体も白パンをはいている。
しかしその出来が全く違う。
化物語のパンツは球の一部分を切り取って使っているかのような造詣をしている。
まあ500円なんだからしかたがない・・・というような出来だ。
くらにゃどフィギュアはそうではない。
なんというか、こう、パンツの中身への夢を彷彿させる、なかなかに良い出来をしているのだ。
生産者側からすれば、スカートで隠れているためチラリと白が見えればそれで十分だという意見がまかり通るかもしれない。
しかしそれは違う。
スカートで隠れているからこそパンツを見たい。
ウキウキして箱から出してその秘密の楽園を垣間見たとき、それがただ白いだけだったらどんなにガッカリするか。
愛する者の写し身としてフィギュアを購入する人たちの想いを、できることなら裏切らないでほしいのだ。
かつて偉人は言った。
「神は細部に宿る」と。
500円のフィギュアも例外ではない。
ふだんは見えやないパンツにまで強烈なこだわりを見せるくらにゃどフィギュア。
仮に化物語のパンツが500円の標準だとしたら、くらにゃどフィギュアはまさに神がかり的な造形美がそこにあるといっても過言ではなかろう!
こういったことは電気製品や電子部品だって同じことだ。
ウキウキしながら電気製品を買ってきて、中をあけて、出来がザルだったらガッカリする。
電子部品のサンプルを発注して、分解して顕微鏡で観察して、エッチングが汚かったらガッカリする。
そうではなく、見えないところに手を抜かないメーカーであれば、あけて感動し、そして尊敬もする。
人はルックスが全てではないように、電気製品や電子部品だって外見が全てではないのだから。
見えないところにまで手を抜かない、良くできたフィギュアを作るメーカーは尊敬する。
見えないところがザルなフィギュアを作るメーカーはガッカリする。
願わくば、パンツを見てその造詣に感動する出来である事を。
参考:
鋳造とパンチラの奇妙な関係
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100224
だから本来見えないところにこだわる必要はない。
しかし!
その見えないところに命を吹き込む、魂のこもったフィギュア職人も世の中にはいる。
例を示そう。
我が家にある2体のフィギュアについて見比べてみたい。
[1体目]
化物語リアルフィギュア 戦場ヶ原ひたぎ
TAITO製
サイズ17cmくらい
プライズ品
500円で購入
[2体目]
くらにゃどフィギュア2 アニマルVer. 坂上智代
フリュー製
サイズ17cmくらい
プライズ品
500円で購入
両方ともプライズ品であるため出来はそれなりだが、とはいっても500円にしてはマシな出来をしている。
これらはフツーに箱の外から眺めてみている分には、くらにゃどフィギュアのほうが多少マシかという程度の違いしかない。
ところが!
箱から出して現物を確認してみるよう。
これがまた、両者で出来に雲泥の差があるところがあるのだ!
箱から出して現物を確認するとき、まず初めに必ずしなければならない事がある。
これはフィギュアをたしなむ者の儀式のようなものである。
それは何か?
それは・・・
フィギュアを下から眺めて、パンツの色を確認することだ!
・・・とはいっても。
大半は白パンでしかない。
しかしそれでも確認する。
それが儀式と呼ばれる所以なのだ。
例によってこの2体も白パンをはいている。
しかしその出来が全く違う。
化物語のパンツは球の一部分を切り取って使っているかのような造詣をしている。
まあ500円なんだからしかたがない・・・というような出来だ。
くらにゃどフィギュアはそうではない。
なんというか、こう、パンツの中身への夢を彷彿させる、なかなかに良い出来をしているのだ。
生産者側からすれば、スカートで隠れているためチラリと白が見えればそれで十分だという意見がまかり通るかもしれない。
しかしそれは違う。
スカートで隠れているからこそパンツを見たい。
ウキウキして箱から出してその秘密の楽園を垣間見たとき、それがただ白いだけだったらどんなにガッカリするか。
愛する者の写し身としてフィギュアを購入する人たちの想いを、できることなら裏切らないでほしいのだ。
かつて偉人は言った。
「神は細部に宿る」と。
500円のフィギュアも例外ではない。
ふだんは見えやないパンツにまで強烈なこだわりを見せるくらにゃどフィギュア。
仮に化物語のパンツが500円の標準だとしたら、くらにゃどフィギュアはまさに神がかり的な造形美がそこにあるといっても過言ではなかろう!
こういったことは電気製品や電子部品だって同じことだ。
ウキウキしながら電気製品を買ってきて、中をあけて、出来がザルだったらガッカリする。
電子部品のサンプルを発注して、分解して顕微鏡で観察して、エッチングが汚かったらガッカリする。
そうではなく、見えないところに手を抜かないメーカーであれば、あけて感動し、そして尊敬もする。
人はルックスが全てではないように、電気製品や電子部品だって外見が全てではないのだから。
見えないところにまで手を抜かない、良くできたフィギュアを作るメーカーは尊敬する。
見えないところがザルなフィギュアを作るメーカーはガッカリする。
願わくば、パンツを見てその造詣に感動する出来である事を。
参考:
鋳造とパンチラの奇妙な関係
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100224