(本記事は "魔法少女隊アルス" についての強烈なネタバレをふくんでいます)
NHKアニメにしては “魔法少女隊アルス” はおもしろかった。
さいしょはNHKアニメだからってノータッチを決め込んでいたんだけど(笑)。
(このあたりは前回記事にて)
“魔法少女隊アルス” はMEMORIESをつくったSTUDIO4℃の作品だ。
ここの作品をたくさん網羅してみたわけではないのだが、こういう腕っ節に自信のある小規模メーカーがこだわりまくって作った作品は大概イイ味だしている。
まず “魔法少女隊アルス” は背景作画が綺麗である。
同じファンタジー作品であるGONZOの “ロミオ×ジュリエット” のように、ときどき過剰とも言えるほど美しい背景作画が使われる。
こんなに気合い入れた絵を1シーンで使い流してしまって、作画の人件費とか大丈夫なんだろうかと心配になるほどだ(笑)。
“魔法少女隊アルス” はダークファンタジーである。
ダークファンタジーとは、シリアスで悲壮感漂う本格ファンタジーのことを指す。
1980年代後半ごろファンタジーがブームのようになっていたが、それを過ぎて久しい現在、どちらかというとファンタジーは売れないから敬遠されている。
さらに言うと、濃ゆいファンタジーはなかなか出なくなってしまっており、ダークファンタジーにいたってはほとんど壊滅的に無いという有様だ。
ダークファンタジーの筆頭は “ベルセルク” だろうが、“ベルセルク” がバカ売れしたのは例外的だと思う。
(ひょっとしたらダークファンタジーの筆頭はクトゥルー神話かな? まあ、その辺はおいといて・・・)
個人的にはダークファンタジーのアニメが出たのは大歓迎だ。
さて、そろそろ本題に入ろう。(こっからネタバレ)
“魔法少女隊アルス” の世界は崩壊の危機に直面している。
① 主人公たちのいる魔女社会は、崩壊は運命であり誇り高く座して死を待つことを説いた。
② 主人公たちと敵対する魔族社会は、座して死を待つのではなく、失敗すると世界が滅ぶかもしれないほど危ない魔法を使ってイチかバチか崩壊を食い止めようとした。
③ 主人公たち魔法少女隊は、きっと崩壊を止める方法はなにかあるはずだと言い、個々の日常においてできるかぎりの小さなことの積み重ねをやった。
④ そして、崩壊を食い止めようとはせず自分だけ脱走を図るいろんな人たち。
ストーリーの都合か、主人公たちに敵対する魔族がワルモノという設定になっている。
しかし、限られた条件下で①②③④のどれが正しい選択かと問われると、どれも正しくないが②の魔族の選択が最善ではないかと、わたしだったらそう答える。
結果的には主人公たちの活躍で世界崩壊にはいたらずに済む。
わたしは結果的にそうなっただけで、本当に主人公たちの選択肢が正しかったのだろうかと考えざるを得ない。
これは現代社会における核の抑止力とか、そういったものの暗喩ではなかろうか。
(ほかにも “魔法少女隊アルス” では、妖精の体の一部をもぎ取ってこないと魔法が使えないという設定もある。これも現代社会における化石燃料を使わないと車も走らないことの暗喩だろう。)
見終わったあとの余韻ののこるアニメは、きまってこうやって視聴者に考察を求めるものだ。エヴァンゲリオンにしてもそうだった。
思想的に正しいかどうか若干のギモンが無いわけでもないが、それくらい目をつぶろうか。
願わくば多くのアニメがかくあらんことを。
追伸:
まあ、アニメだから対立構造を単純化させたのだろうけど、現代社会でこうなったら恐らく韓国人は
「日本が○○したせいでこうなったんだ! 謝罪と賠償を要求する!」
とか死ぬ間際までイチャモンつけて何もせずに、というか最後まで日本の足ひっぱって終焉を迎えるだろうね。
さっきの①②③④のどれにも属さない真のクソ野郎集団はアニメには出てこなかったな・・・。
NHKアニメにしては “魔法少女隊アルス” はおもしろかった。
さいしょはNHKアニメだからってノータッチを決め込んでいたんだけど(笑)。
(このあたりは前回記事にて)
“魔法少女隊アルス” はMEMORIESをつくったSTUDIO4℃の作品だ。
ここの作品をたくさん網羅してみたわけではないのだが、こういう腕っ節に自信のある小規模メーカーがこだわりまくって作った作品は大概イイ味だしている。
まず “魔法少女隊アルス” は背景作画が綺麗である。
同じファンタジー作品であるGONZOの “ロミオ×ジュリエット” のように、ときどき過剰とも言えるほど美しい背景作画が使われる。
こんなに気合い入れた絵を1シーンで使い流してしまって、作画の人件費とか大丈夫なんだろうかと心配になるほどだ(笑)。
“魔法少女隊アルス” はダークファンタジーである。
ダークファンタジーとは、シリアスで悲壮感漂う本格ファンタジーのことを指す。
1980年代後半ごろファンタジーがブームのようになっていたが、それを過ぎて久しい現在、どちらかというとファンタジーは売れないから敬遠されている。
さらに言うと、濃ゆいファンタジーはなかなか出なくなってしまっており、ダークファンタジーにいたってはほとんど壊滅的に無いという有様だ。
ダークファンタジーの筆頭は “ベルセルク” だろうが、“ベルセルク” がバカ売れしたのは例外的だと思う。
(ひょっとしたらダークファンタジーの筆頭はクトゥルー神話かな? まあ、その辺はおいといて・・・)
個人的にはダークファンタジーのアニメが出たのは大歓迎だ。
さて、そろそろ本題に入ろう。(こっからネタバレ)
“魔法少女隊アルス” の世界は崩壊の危機に直面している。
① 主人公たちのいる魔女社会は、崩壊は運命であり誇り高く座して死を待つことを説いた。
② 主人公たちと敵対する魔族社会は、座して死を待つのではなく、失敗すると世界が滅ぶかもしれないほど危ない魔法を使ってイチかバチか崩壊を食い止めようとした。
③ 主人公たち魔法少女隊は、きっと崩壊を止める方法はなにかあるはずだと言い、個々の日常においてできるかぎりの小さなことの積み重ねをやった。
④ そして、崩壊を食い止めようとはせず自分だけ脱走を図るいろんな人たち。
ストーリーの都合か、主人公たちに敵対する魔族がワルモノという設定になっている。
しかし、限られた条件下で①②③④のどれが正しい選択かと問われると、どれも正しくないが②の魔族の選択が最善ではないかと、わたしだったらそう答える。
結果的には主人公たちの活躍で世界崩壊にはいたらずに済む。
わたしは結果的にそうなっただけで、本当に主人公たちの選択肢が正しかったのだろうかと考えざるを得ない。
これは現代社会における核の抑止力とか、そういったものの暗喩ではなかろうか。
(ほかにも “魔法少女隊アルス” では、妖精の体の一部をもぎ取ってこないと魔法が使えないという設定もある。これも現代社会における化石燃料を使わないと車も走らないことの暗喩だろう。)
見終わったあとの余韻ののこるアニメは、きまってこうやって視聴者に考察を求めるものだ。エヴァンゲリオンにしてもそうだった。
思想的に正しいかどうか若干のギモンが無いわけでもないが、それくらい目をつぶろうか。
願わくば多くのアニメがかくあらんことを。
追伸:
まあ、アニメだから対立構造を単純化させたのだろうけど、現代社会でこうなったら恐らく韓国人は
「日本が○○したせいでこうなったんだ! 謝罪と賠償を要求する!」
とか死ぬ間際までイチャモンつけて何もせずに、というか最後まで日本の足ひっぱって終焉を迎えるだろうね。
さっきの①②③④のどれにも属さない真のクソ野郎集団はアニメには出てこなかったな・・・。