カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

訃音記事2件。。。

2006-11-30 13:18:12 | Weblog
 訃音記事2件。。。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。。。

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劇作家の木下順二さん死去 「夕鶴」「子午線の祀り」
(2006年11月30日03時16分朝日新聞記事)

 「夕鶴」「オットーと呼ばれる日本人」「子午線の祀(まつ)り」など、戦後を代表する戯曲を送り出した劇作家の木下順二(きのした・じゅんじ)さんが、10月30日に病気で死去したことが、29日に分かった。92歳だった。
 民話劇の無垢(むく)な魂をうたい、戦争責任と人間のモラルを厳しく問い、天空から人の営みと運命を見つめる壮大な叙事詩劇に到達した、戦後新劇の良心だった。
 1914年、東京・本郷の生まれ。少年時代から旧制高校までを熊本で過ごした。東京大学英文科卒。戦争中に「彦市ばなし」などの民話劇を書き始め、そのうちの一編「鶴女房」が戦後改稿されて「夕鶴」となった。
 49年に女優の山本安英さん主演で「ぶどうの会」が初演したこの作品は、86年まで全国で1037回上演された。
 民話劇と並行し、「風浪」(47年)、「山脈(やまなみ)」(49年)、「沖縄」(63年)など歴史の中の人間を描く現代劇も相次いで発表した。70年代も、東京裁判とBC級戦犯を描く「神と人とのあいだ」2部作(72年)、「平家物語」を踏まえた大作「子午線の祀り」(78年)を発表。また、シェークスピア劇の翻訳にも取り組んだ。
 93年に山本さんが死去してからは、「夕鶴」の国内上演を断っていたが、97年に坂東玉三郎さんの主演で再演された。
 今年は4月に、劇団民芸が「神と人とのあいだ」第1部「審判」を36年ぶりに再演している。
 78、84年度の読売文学賞、85年度の朝日賞。民間の賞は受けたが、国の賞や勲章は固辞し、84年に芸術院会員に選ばれた時も、「一介の物書きでいたい」と辞退した。

http://www.asahi.com/obituaries/update/1130/002.html

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「ウルトラマン」「帝都物語」の実相寺昭雄さん死去
(2006年11月30日06時16分朝日新聞記事)

 テレビの「ウルトラマン」シリーズの演出や映画「帝都物語」などで知られた映画監督の実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)さんが29日午後11時45分、胃がんのため東京都文京区内の病院で死去した。69歳だった。通夜・葬儀の日取りは未定。
 1937(昭和12)年東京生まれ。中国青島で育つ。青島での幼少期に金森馨(のちに舞台美術家)と出会い、大きな影響を受ける。早稲田大学第二文学部卒業後、59年、ラジオ東京(現TBS)に入社。テレビ演出部を経て、映画部に転属、円谷プロへ出向。66年の「ウルトラマン」をはじめ、「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」など特撮番組に数多く参加。奇抜な構図や照明を駆使する独自のスタイルで、不可解で不条理なムードあふれる映像を作り上げた。
 69年に映画に進出。エロチシズムを大胆な手法で表現した「無常」「曼陀羅(まんだら)」、人気小説を原作とした「帝都物語」「姑獲鳥(うぶめ)の夏」などを監督。「魔笛」などオペラの演出も手がけた。
 昨年は「ウルトラマンマックス」の演出に参加。半年ほど前、手術を受けたが、かつて手がけた特撮番組を自らリメークした映画「シルバー假面(かめん)」を完成させ、11月の試写会に姿を見せた。12月23日の公開を待つばかりだった。
 東京芸術大名誉教授。著書に「ウルトラマン誕生」など。

http://www.asahi.com/obituaries/update/1130/003.html
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