カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

明日から連休

2009-04-29 22:51:20 | Weblog
 学校の事務室は、今日が通常の出勤日になった代わりに、明日から連休です。連休、ですが、のんべんだらりなある意味理想的な休暇にはならない予定です。明日たまった所用を済ませて、明後日から連日お寺の引っ越しのお手伝いをさせて頂く予定です。連日肉体労働の予定(予感)です。
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千石緑地の辺り

2009-04-29 15:40:24 | Weblog
 メモさせて頂きます。。。

東京紅團 《村上春樹の世界》早稲田時代を歩く
http://www.tokyo-kurenaidan.com/haruki-waseda1.htm

(前略)
村上春樹は昭和46年、陽子さんと学生結婚します。「三鷹のアパートで二年暮してから、文京区の千石というところに越した。小石川植物園の近くである。どうして郊外からまた一気に都心に戻ってきたかというと、結婚したからである。僕は二十二でまだ学生だったから女房の実家に居候させてもらうことにしたのだ。」、奥様の実家の千石の家は布団屋だったようです。「僕が居候していた女房の実家は、昔の徳川家の屋敷の一画に建っている。一画と言っても庭のずっと隅の方だから、べつに由緒も何もない。ただ困ったことにはというか何というか ー この家は実にかつての地下牢の上に建っているのである。つまり家の下には、その跡があるわけだ。で、もちろん幽霊が出る。僕ははじめのうちはそういうことを知らなくて、なんだかいやに湿っぽくて暗いなあ、というくらいにしか感じなかった。夜中に便所に行ったりすると妙に気持悪い雰囲気があったりした。女房が時々幽霊を見た。幽霊といっても人の形をとったものではなく、白いかたまりのようなもので、それが家の中をしばらくふわふわと飛びまわってから壁に吸い込まれていくのである。」
(後略)

 ***

千石緑地《文京区サイト》
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_kouen_annai_kuritukouen_kouen_sengokuryokuchi.html

一橋徳川家より寄付された自然豊かな樹林地です(もともと一橋徳川家屋敷内)。武蔵野台地の先端にあたる白山台地と、指ヶ谷の低地の境界にある、ゆるやかな傾斜地に展開しています。こんもりとした木立のなかでもムクノキは区内でも有数の巨木で、その樹齢は100年以上と推定されています。樹林や植物が傷つけられたり、林床が踏み固められたりすることを防ぐために浮橋状の木製園路を設置し、その園路を歩くと自然の中を一周できるようになっています。

所在地:東京都文京区千石1-6
都営地下鉄三田線「千石」駅徒歩10分

 ***

江戸東京医学史散歩10:「文京区立千石緑地」(一橋家敷地跡)
http://homepage3.nifty.com/sisoken/edotokyoA.htm

(前略)
千石緑地の辺りは、もと一橋徳川家の敷地跡で、慶喜の三女・鉄子の壻で、一橋家当主の徳川達道(さとみち)が住んでいた場所でもありました。旧小石川区林町92番地にあたります。
小石川林町の辺りは、昭和20年(1945)5月25日の大空襲で全て焼けましたが、一橋家は鉄筋コンクリートの洋館であったので焼け残ったそうです。現在、「文京区立千石緑地」の隣は、「徳川マンション」になっています。
小石川区林町は、現在の文京区千石一丁目および千石二丁目にあたり、一橋家のほか、酒井兵庫助、近藤縫殿助(ぬいどのすけ)、三宅對馬守、松下周防守(すおうのかみ)、林大學頭(はやしだいがくのかみ)などの旧武家屋敷跡を合併してできた町です。林大學頭の屋敷があったので、その林をとって、町名を林町としたともいわれています。林家(りんけ)は、幕府の儒官を務めました。
(後略)
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