Be now

今しかないんだ!すべては自分だったんだ!と気づいてから、宇宙に任せ、今に生きるを実践中!

今できること

2011年03月15日 | 日記
地震がおきたとき、みなと未来のビルの10階にいました

机の下にもぐりこみ、机の脚につかまり
ゆれるのがおさまるまで、ひたすら待ちました

今まで生きてきて、机の下にもぐりこんだのは
生まれてはじめてです

まったく携帯もつながらず、家にいる子供たちが
無事かどうかもわからず。

とりあえずメールだけ送り、返信があったのは
6時近くになってからでした

その前に、公衆電話でどうにか
家には連絡がつき
子達の無事を確認できました

横浜までは歩きましたが
横浜からは家まで歩けそうもなく

その日は横浜のシェラトンホテルの
ロビーで仕事先の友人と
泊り込むことを決意

何人ものそういう人たちがいて
まだ、2歳くらいの子を連れた
お母さんもいました

9時半、相鉄線が再開したという連絡を
ホテルマンから受けて
どうにか無事、その日のうちに
家にたどり着きました

地震や災害、どこかで他人事でしたが
自分ごとになりました

今、自分ができること
計画停電の地区に住んでいますが
節電をすること
このくらいしかできることはないのかもしれない

だけど、今できることを
していこうと思います


そして今、起きてることを受け止め、
目の前のことを
心込めて、生きたいと思います

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手放せないもの

2011年01月16日 | 日記
今日は風が強く、びゅーびゅーとうなっていましたが、
一日家の中で、のんびりと過ごしていました。


ところで、今日感じたことです。


昨年、断捨離をしまして、家の中がすっきりとしました。
いろんな「いらないもの」を家の中に溜め込んでいたことにも
気がつけたし、それは、いつかいるかもしれないと
未来のためにとっておいたもの
思い出だからと、過去のものなのに捨てられないものなどでした

でもそれって、今に生きていないってことですもんね

ばっさりと捨てました

人間関係もかなり、断捨離があったと思います

そうしてみると、
すごく軽く、シンプルな暮らしになりました


ですが、まだまだ、手放せないものがあって
けっこう執着してるよな
これ、手放したほうが楽に生きられるわ
っていうものはあるものですね


で、ようし、手放しちゃおう
手放せないから苦しむことになってるようだし
と一回は決心しました

が・・。

手放せない。やっぱり、もうちょっと握り締めていたい〜〜。

ってなりまして。

どこかで、もう、いっか。執着だもの。
って、あっさりと、すっきりとしたい自分もいます

だけど、いざとなると
う〜〜ん、でもでもっ!
と駄々をこねる私もいるんです


こういうときは、まだ握り締めててもいいのかな〜〜

いつか無理なく、手放せる日がくるでしょうか。

手放せない理由はなんでって
自分に聞いてみました

もったいない

手放したら、面白みがなくなる

手放すと寂しい

などなど、いろいろな理由が出てきましたが
きっと、「依存」していたいのだと思います

私の心の奥から声がします

本当は、自分がどうしていきたいのかを
知っている

自分のあり方も、気づいている

そして、すでにそれをしている

依存する必要もないし
何かに執着する必要もないことも知っている


だから、手放してもいいんだよって。

手放したら楽になることも知っているし
手放してもいいものだということも知っているし


何かに依存しないでも生きられることも知っているし

そして、もっと軽く生きるすべも知ってるのだと思います

だけど、それを何かが停めます

低い位置に、重い場所にとどめようとします。

それを手放すのはもったいないし
つまらない毎日になるよ

なんのために生きてるの?
もっと、もっと、求めて、
がんばって、生きていかないと。

なんのために生まれたの?
意味は?生まれた意味は?

なんのために存在してるの?
何をしたくて生まれたの?

それをかなえないでいいの?
そんな人生でつまらなくないの?

もっと面白い人生にしたら?
それでいいの?こんなでいいの?
そんな自分でいいの?

なんてね。こういう声はエゴというか自我の声ですよね

だってね、
存在する意味なんてないからです

目的もないからです

なぜなら、存在することに意味があるからです
存在すること、これがすでに素晴らしいことなんですよね


今、しっかりと手に握り締めているものを
もし手放したとしても、
大丈夫なんですよね


あれ?ブログ書いていたら、なんだかぱっと
手放せる気がしてきたな〜〜〜(笑)

いさぎよく手放してみるかな

多分ね、依存もあるし、未来に期待もしてるんです
これが叶ったらもっとすばらしい人生になるだろう、なんてね。

今しかないというのにね(笑)


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全体と個

2011年01月15日 | 日記
今日は仕事、お休みの日
でも早起きが習慣になっていて
早くに目が覚めました。

早起きはいいですね。
今、お日様の光が部屋にはいりこみ
気持ちいいです

ところで、昨日の続き
こう書いたらわかりやすいかなって思ったので
説明したいと思います


分離してる私ではなく
全体の私として生きていくっていうのは

たとえるなら、宇宙が一人の人の体だとして
私は、右足の小指の爪だとします

まあ、左目のまぶたでも、なんでもいいんですけども。

地球の日本の横浜に住む、個人である私が
幸せになるためにこれをする
これをがんばる、もっと成功する、お金を得るぞ
って私だけが幸せになったり豊かになろうとしても、

それは足の小指の爪が、自分だけ幸せになる
そのためにがんばる
お金を稼いで、豊かになるぞって言ってるようなものなんですよね


だけど、小指の爪だけ幸せ、豊か、健康、になんて
なれないわけです

小指の爪が、たとえば昔私も経験がありますが
タンスの角にぶつけて、骨にひびを入れたこと
たかが足の小指でも、歩けないほど痛い

それに足の爪が阿波踊りで、死んでしまい
爪が半分はがれていますが
歩きにくいし、けっこう大変です

たった足の指のことですが
それが私の体全体にかかわってきます

どこかが痛いだけで、全身がそれを感じていますよね

それと同じで私が不幸なら
宇宙全体も幸せではないでしょう

その逆も言えることで
足の爪だけが幸せを感じてるなんてことも
ありえないことです

全体で幸せを感じることですよね

だから、もし私が足の爪だとしたら、
私の役割というか、爪なりの生き方をすると思いますし

綺麗でいようとか、健康な爪でいようとか
注意するかもしれないけど

だけど、爪だけのことは考えず
もっと体全体のことも考えて
生きていくと思うんです

だって、全部とつながってるし
体の一部だけれども、体全体が私でもあるわけですから。

分離してる私ではなく、全体で生きるっていうのは、

たとえるなら、爪の意識だけで生きるのではなく
体全体としての意識で生きるってことです

はい。

そうしたらね、隣の爪とか、足の指とか
もう片方の足のこととか
もっといえば、足首、ひざ、もも、腰、背中、お腹などなど
そういう爪以外にも意識を持つだろうし

全体が健康でいられること
全体が幸せでいられることに
意識を向けると思うんです

そうすると、「私だけがしあわせになる」とか
「私だけが豊かになる」の「が(我)」が消えると思うんです

全体である私の意識で生きていく。

うまく説明できたかな〜


この宇宙にある存在がね
みんな幸せで豊かになったら
それがいいなって思うんです

個人である私も含めてね。

みんな幸せであること
豊かであること

これを意識しながら生きていけたらいいな
そうやって生きていきたいな

と感じております


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私を消す

2011年01月14日 | 日記
今日、感じたことです
っていうか、内側から聞こえたことです


これからは、分離してる「私」ではなく
全体の「私」で生きるようにするといいって、
そんな声が聞こえたんです


分離してる私、つまり自我
これはリアルな私ではなく幻想の私

本当の私は全体であり、宇宙であり
大いなる意識であり、神の意識ともいえるよね

その神の意識で生きていったらいいって声がしたんだ

つまり、自我の私は消して生きていくってこと

無理やり消そうとしたりするわけじゃない

だって、もともと分離してる私なんて
いないんだから

あるのは、大いなる意識の私だけ

個の私ではなく
全体が私だから


個である私のことを考え
「私が」「私が」と我をもって生きるのではなく

全体の私でものを見たり、
考えて生きていったらいいんだなって、そんなふうに感じたんだ

うまく言えないんだけど
狭く考えず
もっと自分を広げて考えるっていうのかな


意識を拡大するっていうのかな
言葉ではうまく言えないね、こういうのって。

考えるっていうのもちょっと
ニュアンスが違う

全体を意識する
っていうか、全体になるっていうか

これまた、うまくいえないね


だからと言って、願望も持たずに生きていくって
ことじゃないの

自分がしたいなっていうことはやってみるし
かなえたいってことは
宇宙に任せてかなえていったらいいしね

だけど、それにも執着しなくてもいいんだって
100パー宇宙に任せていいんだって

そう思いました。


自分が、がんばる
自分が、かなえてみせる
自分が、なんとかする

っていったことはもう、しなくてもいい

もし、分離してる私が何かをするのだとしたら

それは、100パーセント宇宙に任せるって
それだけかもしれない


全体の私でこれからは
生きていくこと

うまくいえないけど
それを感じた今日でした

不思議とそう感じたら体が軽くなり
元気になり、楽になったよ


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「愛しい」と「裁き」

2011年01月13日 | 日記
今日感じたことです

自分の子供をただ、あるがままに受け止め
愛しいな〜〜

と思っているとき、
心が広がった感じ

心からこんこんとあったかいものが
沸いてくる感じ

優しい〜〜感じ

それがもしかすると
宇宙そのものなのかもしれない


そして愛の逆を感じるときは
子供を判断して
裁いているとき

ここが悪い
ここはこうしたほうがいい
ここはこうしないとだめだ

そんな思いを抱いたり
子供に言っているときは
心が縮む感じ

暗い感じ、寒い感じ、
重苦しい感じがする

それって、宇宙と反対の性質
というか、反対の波動を持っているものかもしれないな〜


人を、判断しているとき、裁いてるとき、従わせようとしてるとき

心は重くなる
苦しくなる

でも、人を認めたり、許したり、愛してるって感じるとき

心はあったかくなる
幸せになる
満たされる


どっちがいいかなって言ったら、
やっぱり、心があったかくなって
満たされるほうがいいよね


愛の反対は裁く心なのかもしれないな〜〜なんて
思った私です

そして罪悪感
これは自分を裁いたときに感じるよね


これもまた、おも〜〜い感じになるよね


自分を認めたり
許したり
愛したり

それも大事だよな〜〜って
思ったわたしでした


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