井上一幸の開物成務

週刊チャイニーズドラゴンに連載中のコラム、『井上一幸の開物成務」』バックナンバーです。

第40回 経営方針が悪いので・・・

2010年11月02日 | 開物成務
日本語ではそういう言い方はしない、という表現を中国人がしてしまうために、違和感を感じることがあるが、そういった表現の中から今回取り上げるのは、「社長の経営方針が悪いので」というもの。

これは中国人の転職希望者が、転職理由としてよく使う表現である。日本でこの表現を転職理由に挙げるとしたら、それは間違いなく役員または上級管理職として経営に関わった人物であろう。でなければ経営方針などという大仰な言葉は使えない。ところが中国人の場合は、入社半年から数年レベルの若手社員でもこれを言う。

ところが、その若手社員に経営方針のどこが悪いのかと立ち入って聞いてみると、日本語では「経営方針」として表現しないことが答えになっていることが大半だ。例えば、「最近売上が伸びていなくて」とか、「この業界、最近パッとしないじゃないですか」などということであったり、はてまた「社長が仕事しないで遊んでばかりなんです」など、あまり経営方針っぽくない。

どうやら彼らは、日本語では経営方針と言わないことを、「社長の経営方針」という単語で表している。日本人がその単語から連想するのは、5年先10年先をにらんだ商品戦略や販売戦略のことだ。だから、入社数年の小僧に経営方針などという大きな概念を掲げられてしまうと、なにを偉そうに、と反発もしたくなる。しかし、彼らにとって経営方針とは、目先の仕事の調子、程度のイメージらしいのだ。

中国人の会社は、儲かりそうだと思ったらすぐに飛びつく傾向がある。悪く言えば、目先の思惑でコロコロ変わっているに過ぎないが、よく言えば社長が「経営方針」を柔軟に変更しているわけだ。中国人の起業率は日本人よりはるかに高そうだし、結果として個人経営的な会社も多いだろうから、「社長」が「経営方針」をコロコロ変えるのもそんなにおかしなことではないのだろう。対して日本人は何ごとについても、まずは様子を見て、続いて分析し、それから協議して・・・などとやる。すると、「経営方針を柔軟に変えない」日本人社長に対して、中国人は愛想を尽かす。
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第39回 競争社会に生きる・・・

2010年10月26日 | 開物成務
転職の面接で中国人の候補者が、「自分の強み」や「私の得意なこと」をハッキリと言い切ることと同様、会社を辞める理由でもやはり同じことを言う。つまり多くの転職希望者が、「今の仕事では自分の強みを発揮できないので、やめようと思うんです」と言う。日本人であれば「自分の希望と多少違うので」とか「自分のやりたいことは別にあるので」といった表現をするところだ。

ちなみに、日本で働く中国人の圧倒的多数が、語学力を自分の強みとしてあげる。つまり「自分の強みである中国語を活かす仕事をしたい」と言う。すると、「今の会社では、私の得意な中国語を使う機会があまりないので、やめようと思うんです。」「中国事業から撤退することになって、それでは私の強みである中国語力が活かせないのでやめました。」等々である。本題からそれるが、強みとして中国語をあげるのも、実は違和感の元になっているような気がする。たとえば日本に生まれ日本語を母国語とする私が海外で仕事を探すとき、「私は日本語が得意です」や「私の強みは日本語ができることです」と言ったところで、どれ程の説得力があるだろうか。だったら日本へ帰って仕事を探したら、と言われるのがオチだ。

とはいえ、彼らにとっては「強みを発揮すること」が仕事を決めるときの重要な要因であって、これは日本人にとっての「やりたいこと」に相当するのだと思う。
複数の中国人から次のようなことを聞いたとがある。「私は外国人として日本で暮らしているんです。ここで日本人と競争しても、やっぱり勝てないんですね。で、自分の強みは何だろうってあらためて考えると、やはり中国語力だと思うんです。」これを言ったのは、日本に長く日本語が極めて流暢な中国人だ。一人や二人ではない。

極論かもしれないが、こういう言い方をされるとつくづく、彼らは激しい競争社会で生きているのだなぁ、と考えてしまう。人に勝つにはどうしたらいいか、それが思考の中心にある。日本人のキーワードが「自己実現」、「やりたいこと」であり、一方中国人のそれは「自分の強み」を発揮する、「競争に勝つ」である。
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第38回 私の強み

2010年10月19日 | 開物成務
さてここまで数回、コミュニケーション・ギャップとのテーマで話を進めているが、ここからはその中の二つめの話題。文化的な背景を感じさせるものについてとしたい。「文化的な背景」と言うと範囲が広すぎて何を指しているのかわかりづらくなってしまうのだが、ほかの言い方が見あたらないのでやむを得ず使わせていただきます。つまり、ある場面で、日本語として間違っているのではないが、日本人だったらそういう言い方はしないだろう、と思わせる言い方のことである。

今回取り上げるのは、彼らが、就職や転職の面接で「私の強み」や「私の得意なこと」をハッキリと言い切ること。そして「それを活かせる仕事をしたい」と言うことだ。対して日本人は、自己実現やら自分探しなどという言葉に見られるように「自分のやりたいこと」を第一に考え、転職先を選ぶさいにそれを重要な要因としている。

多くの中国人が転職相談で、「自分の強みは何だろうって一生懸命考えたんです」と言い、「それは〜なんです。だからそういう仕事を探しています」との論調で語る。この仕事を始めた当初はそういった中国人の転職動機を聞いて、さすがに彼らはよく考えているなぁ、と感心したものである。なぜなら一方の日本人は、脳天気でそんなこと微塵も考えていないからだ。しかし、百人会っても二百人会ってもほぼ全員同じことを言うのを耳にして、あれは彼らのクセ、よく言えば思考回路なのだと思い直すようになった。一方、日本人の場合は「自分のやりたいことは何か」が出発点になっていて、「どうやったらそれを実現できるか」と進む思考回路になっているのだろう。

もちろん日本人だって、転職にあたって「私の強み」を表明することは多々あり、ある意味当然でもある。ただし日本人は、それが本当に強みなのか、それを判断するのは会社側だと思っているし、さらにその強みや得意分野をどう活かすのか、それを考えるのも会社側、という意識を持っている。常に相手にあわせようとするのが日本人だ。だからそれをハッキリ言い切ることは少なく、「〜だと思っています」くらいの表現をする。
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第37回 何の会社ですか?

2010年10月12日 | 開物成務
今回も翻訳調日本語の番外編。滅多にない例だが実際に耳にするとかなり驚く言い方がある。それは、電話をかけてきた中国人が「すいません、そちら何の会社ですか」と聞いてくるもの。
私は第一声で社名を名乗っているのに、「何の会社ですか」とは何とも失礼な・・・。一体、この人は何の用があって電話してきたのだろうか。片っ端からダイヤルして、何かの会社を探そうとしているのだろうか。それともただのいたずら電話か・・・。一瞬の間にこんな思いが頭を駆け巡る。

そこで私としても警戒心アリアリで「どのようなご用件でしょうか」と尋ねるわけだが、次の瞬間には安心させられる。なぜなら「あの〜、わたし、仕事探してるんですけど・・・」「御社のホームページ見て電話しました」等々言ってくれるからである。

となると、あの第一声「何の会社ですか」の意味は何だったのだろう。多くの中国人に、中国語だとそういう言い方をするのか、と聞いてまわっても、ほとんどが「言わないと思います」との返事だったが、ある人が「あっ、言うかもしれない」として中国語の表現をつぶやいていた。その彼によれば、丁寧な表現として「御社は何の会社ですか」または「あなたは誰ですか」と聞くことがあるらしい。だとすれば、あの電話の主が「なんの会社?」といきなり聞いてきたのは、実は丁寧に語ったつもりだったのだ。しかし悲しいかな、日本語にそれを翻訳するのは厳禁である・・・

さて過去数回、こうした翻訳調の日本語表現を紹介したが、実践する外国人本人の身になると、そうしないのは難しいことだ。特に番外編の例のように、自国の文化では「するべきではないこと」が、他国の文化では「するべきこと」であったり、自国では「するべきこと」が他国では「すべきでないこと」である場合、まさにそれは、乗り越えなければならない異文化の壁となる。そんな彼らに同情しつつも、外国人だからしょうがない、といった思いやりや甘えは許されるものではない。日本人が中国で仕事する場合も、日本人らしく振る舞っていたら相手にされないケースは多々あろう。それも同じことだ。
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第36回 誰ですか?

2010年09月28日 | 開物成務
さて、コミュニケーション・ギャップの中でも、中国語を翻訳してそのまま日本語にしている、と思わせる表現について書いているが、今回と次回はその番外編。翻訳して言っている(もしくは、言わないでいる)のだとは思うが、挨拶として使われる言い方はそのまま覚えて欲しい、と感じさせるものである。

それには二つある。一つ目は、名乗らないこと。
電話でも企業訪問でもまず初めに名乗るのは、日本のビジネスマナーとしては常識の部類に入る。だから外国人とはいえ日本で仕事をしている以上、ほとんどの方はまず名乗る・・・と思いきや、私の経験はそうでもない。初対面で名刺交換をする場面であれば必然的に名乗るのだが、それ以外、例えば人材紹介をしている当社に登録面談に来る場合。日本人や韓国人の登録者であれば、入り口のインターフォンから「すいません、二時に登録面談の予約をしたチェと申します」という具合に必ず名乗る。例外はない。
ところが中国人の登録者だとおそらく四割は名乗らない。「あっ、すいません、三時の予約で来ました!」(マル、以上!という感じの終わり方。)日本人の私としてはこのあと名前を言うだろうと勝手に想像して身構えているので、結果として一秒くらい沈黙が流れる。それを受けて相手が「あっ、劉と申します」と言ってきたり、こちらが「劉さんですか」と聞き、「ええ、そうです」という答えを引き出したりするわけだ。

これが当社の日本語研修に来る受講生だと、その比率はもっと上がる。レッスンは毎週だから初回以外は初対面ではない。すると、インターフォン越しに「あっ、すいませ〜ん」とか「お願いしま〜す」としか言わない。韓国人は二回目でも三回目でも名乗るが。

中国語の会話では名乗るのは不遜、つまり「こんなにも偉い俺のことを知らないのか?」という雰囲気になる、と聞いたことがある。だから滅多に名乗らない。本当だろうか、と思い何人もの中国人に聞いたが、答えはまちまち。そうだ、と言う人もいれば、最近は名乗ります、という人もいる。仮にそうだとすると、前出の四割はその会話方法をそのまま日本語に適用しているわけだ。
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第35回 交流が得意です?

2010年09月21日 | 開物成務
前回に続いて、外国語(中国語)をそのまま訳して言っているのだろうなぁ、と思われる自己PRを取り上げてみる。それは「私は交流が得意です」や「交流が好きです」というもの。

これを聞かされる方は、なんとなく意味はわかるがしっくり来ない。なぜならば、日本語で交流という単語は、「海外交流」や「交流試合」など、交流の二文字の前後に別の単語を付けて、イベントごとの名前になることが多いからだ。異業種交流、異文化交流という単語も頻出ワードである。だから、交流が好き、という表現を見たり聞いたりすると、「一体、何の交流を指しているのだろう」「この人はイベントの企画が好きなんだろうか」などと一瞬考えてしまう。母国語として日本語を使っている者は、おそらく「交流が得意」とは言わないし、はてまた「交流したい」「交流しましょう」などと聞くと、何のことかわかりかねる。

たいていの場合、中国人がこの表現を使って言わんとしていることは、人と話すのが好きだ、とか、友達がたくさんいます、ということである。それを言いたいのなら、「社交的だ」「外向的な性格だ」と言うのが、もっともぴったりくると思う。人によっては、単なるおしゃべりだったりもするが、それも外向的といえば間違ってはいない。

なお、同種の表現で「コミュニケーションが大好き」「コミュニケーションが得意」というのも頻繁に目にする。日本語の「コミュニケーション」は抽象概念を表していて、好きとか得意の対象にはなりにくい。「コミュニケーションが大切」「コミュニケーションを図る」という表現で使われるものだ。

さらに、「コミュニケーション」は、新入社員とのコミュニケーションとか、(気むずかしい)上司とのコミュニケーション、外国人とのコミュニケーション、など「高度な会話テクニック」という意味になることもあり、これをタイトルにした社内研修があるくらいである。だから「コミュニケーションが得意」と言う人がただのおしゃべりだったりすると、いささかショックを受ける。
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第34回 中国人の自己PR

2010年09月14日 | 開物成務
外国人との日本語によるコミュニケーションについて、まずは外国語(中国語)をそのまま訳して言っているのだろうなぁ、と思われるケース、すなわち日本語では言わないであろう表現、をいくつかあげてみたい。

人材紹介業を営んでいると、当然ながら転職希望者の履歴書を見る機会は多い。そんな中で散見される自己PRが次のようなものだ。「両親の寵愛を一身に受けて育ってきた私は・・・」「高校を卒業してすぐに日本に来て、アルバイトを続けながら苦労して大学を卒業した私は・・・」「性格が明るく、誰とでもすぐに友達になれる私は・・・。」

いずれも主語である「私」を、長い言葉で修飾している。このような表現は、それが客観的事実であると断定しているかのような印象を与えてしまう。しかも自分を客観的事実として、ほめている。自己PRなのだから自分をほめて当然といえば当然だが、日本語の履歴書としては不自然だ。良くも悪くも日本人は謙虚なのであって、自己PRと言えども、自分をストレートにはほめないものである。

さらに、これは履歴書であるから、「私」を判断するのは自分自身ではなく、それを見る企業の担当者である。だからなおさら「私」のことを断定的に語ったりはしない。そのようなことを言いたい時は、「〜と言われています」や「〜と思います」を使い、(人からはそう言われているが)または(自分ではそう思っているが)、判断するのはあなたです、というニュアンスを出しているわけだ。例外として断定的な言い方ができるのは、自分の能力を客観的に証明する資格、試験のスコア、表彰などがある場合である。

だからこのような文を目にすると、人によっては「この人、なんか変」くらいの印象を持ってしまったり、「自分のことをこんなにもあからさまにほめるなんて、いったい何様だろう」という気持ちになったりするわけだ。

ところが、当の本人には悪気もなければ自慢する気もない。傲慢さのかけらもなかったりする。日本語ではそれが不自然な表現だと知らないだけである。
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第33回 コミュニケーションギャップ

2010年09月07日 | 開物成務
今回以降、日本で働く中国人とのコミュニケーションから、面白い事例、興味深い事例や不快な例を取りあげ、私が感じる日中の文化差や温度差などを考えていきたいと思う。

私の場合、中国語はわからないし、話す相手は日本企業で働く中国人社員なので、コミュニケーションといってもすべて日本語での会話になる。全員が日本語を流暢に操り、意思疎通にはあまり困らない。「あまり」と敢えて書いたのは、たまには困ることがあるからである。とは言っても、日本語がたどたどしいとか、発音が悪くて聞き取れないなどの初歩的な問題ではない。違和感を覚えたり、誤解したり、ということである。つまり日本語力そのものが低いために起こる困難ではなく、むしろ日本語の使い方が本来的なものではないために起こる問題である。

一応、前置きとして言っておきたいが、一歩外国に出れば、慣れた母国の環境とは何から何まで違うわけだから、その環境の中で言葉を学び、働き、暮らすのは本当にたいへんなことだ。だから、日本語を使いこなして(うまい下手の個人差はあるにせよ)、この国に暮らし、社会になじんでいる外国人には絶対に敬意を払うべきである。同じレベルの日本人が海外にどれ程いるか考えるがいい。

さて、言葉の使い方が少し違うがために違和感や誤解が生まれるのは、やはり困ったものだ。私の経験では、そういった違和感は、おおよそ三つの原因に分類されると思う。一つめは、中国語を翻訳して言っているのだろう、と思える表現。つまり、頭の中では中国語で考えていて、それをそのまま日本語に「変換」しているような場合。二つめは、文化的な背景を感じさせるもの。日本語として間違っていないが、そもそもそういう考え方をしない、従ってそのような表現はしない、というもの。そして三つめは文法的な誤りや、不適切な敬語使用(または敬語の不使用)のために、違和感を与えたり、不快にさせるものである。この三番目のケースが最も多く、そんな言い方したら失礼になる、と知らずに使っているケースも多々ある。
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第32回 レッドクリフ

2010年08月31日 | 開物成務
「人を信用しない」話の例として、最後にもう一つ。それは『レッドクリフ』として映画にもなった三国志の中のこんな場面だ。呉の周瑜が「魏の水軍の将、蔡瑁と張允を殺してみせよう」と言い、蜀の諸葛亮が「三日以内に十万本の矢を集めてみせよう」という。お互いに計略を用いてそれを見事に果たすという場面。

周瑜は魏の曹操の使者で降伏を勧めに来た蒋幹に、ニセ物の手紙を持たせる。その手紙は、蔡瑁と張允が周瑜に宛てたことになっていて、彼らが呉蜀の連合軍と内通していることを示している。それを見た曹操は激怒。周囲のいさめには耳を貸さず、直ちにこの二人を処刑してしまうのである。実のところは、この二人は内通などしていない。それどころか、前の戦いでの敗北を恥じ入り、来るべき大会戦(赤壁の戦い)では必勝を期さんと、日夜水軍の訓練に明け暮れていたのであった。曹操もすぐにそれに気がつくが、後の祭り。結局この二人の将軍を失ったことで、もともと統制のとれていなかった魏の水軍はもろさを露呈し、敗北の憂き目を見る。

映画『レッドクリフ』を観て、一緒にいた中国の友人は「すごい、やっぱり中国人は頭がいい」と感激しきりであった。私も中学生の頃から三国志が大好きで、岩波少年文庫の三国志も、岩波文庫の三国志演義も五回くらい読み返している。数々の登場人物とその活躍ぶりをノートにまとめたこともある。彼らの知略には心から感服しきっていたものだ。きっとその感慨と同じものを、彼女も抱いていたのだと思うが、一方で私はかつての純粋な気持ちにはなれなかった。
現在の私の感想は、「そうか、二千年も前から騙し合っていたのか。どおりで人を信用しないわけだ。」

もちろん戦争に騙し合いはつきものだ。関ヶ原で家康が勝ったのも内通と寝返りがあったからだ。勝てば官軍。家康は英雄だ。
一つや二つの話を以て何かを決めつけるような言い方はしたくないが、権謀術数がなかば美談として後生に伝えられる文化と、「敵に塩を送る」ような逸話が大事にされる国民性との違いはあるような気がする。
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第31回 人の足を引っ張る

2010年08月17日 | 開物成務
「人を信用しない」話の例として、こんなこともあった。
だいぶ前の話になるが、私がアメリカに住んでいた頃、友人の中国人が彼女自身の中国人観を披露してくれたことがあった。彼女は天安門事件当時ちょうど大学生だった世代である。いい話も悪い話も語ってくれたが、いい話としては、おおらかであること、楽観的であること、家族愛の強いことなどをあげていた。そして最も嫌なことは「上を行く人の足を引っ張る」ことだと言っていた。その当時、私は中国人社会については何も知らなかったので、それくらい日本でもあるよ、程度の反応しかできなかったが、縁あって中国ビジネスの片隅に身を置くことになって、ようやく彼女の言ったことがわかるような気がしてきた。

ここ7〜8年、中国ビジネス体験談などを耳にしたり、実際で働いている友人から生の話を聞くにつれ、なるほど、そこまで辛辣に足を引っ張るのか、と半ば感心している。曰く、「成績の良い社員が、根も葉もない噂を立てられ、退社に追い込まれた。」「問題が起こると、問題解決より先に、誰が悪いかで喧嘩になる」「ライバル会社を蹴落とすために、営業社員がガセネタを触れ回る」などなど。もちろん、日本だろうがどの国だろうが、そういった話はあるにはある。しかし、どうやら規模感が違うようだ。なるほど人を信用しなくなるわけである。

中でも最もよく聞くのが次の話だ。「儲かっている会社は狙われる。」つまり、なんだかんだと理由をつけて罰金やら追徴課税やらの対象になる。実際、中国人の友人が経営する会社が罰金を食らったことがある。私は詳細は知らないが、彼の解説では「儲かったから狙われた」のだそうだ。

日本で成功している中国人経営者の話で印象的なことがひとつある。「外国で起業して、ここまで成功するなんて、苦労も多かったことでしょう」というごく普通の質問に対し、彼の答えは普通ではなかった。「中国にいたら、競争も激しいし邪魔も横やりも数えきれない。理不尽なこともいくらでもありますよ。それに比べたら日本市場は簡単です。」
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