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末川博/考える精神-農業女子に会う/立山町 

冒頭に、とてもとても偉そうに聞こえると思います。
でも、ゆるしてください。
そして、この話は3月末の出来事。

この人の名前わかる方は、相応の勉学の徒、もしくは法律を業とする人。
はたまた年配者は滝川事件を思い起こすかもしれません。

一番よくわかる人は立命館大学の学長でありのち総長になられた人なので
大学関係者と思います。

私、学生の時、著作、「考える精神」を拝読しました。
いまは、手元にありませんが、ネットで調べると古本で3000円していました。
確か、600円か800円だったような記憶です。

その一説に「人はつくられたものであり、つくるものとして生きる」とありました。
何のことでしょうか。

自分は自分自身で生まれてくることはできず、生まれたのちも親、学校で学び教えられて
社会に出ます。
でも、歳月が過ぎると、今度は次の世代のために生きていく。

そんなような意味合いの内容が記憶にあります。

つまり「人として生まれ、人として生きるとは」とこの考える精神で著述されていた
と思います。

今日、保育所の所長さんが挨拶に見えました。3月末で定年退職されます。
一年間のうち、ほんの30分ほど、私のブルーベリー園を園児たちに開放していました。
それが、とても、印象的だったとご挨拶でした。

小さな心に、食する喜びを感じさせたいと自分勝手に申し出ていただけ。
そして、思えば、
私の心にこの考える精神、宿っていたかなと思います。

それと、さらに、わが町に農業女子が来ました。彼女がブルーベリーを栽培したいと
申し出たのです。
で、私がその一端をということで、現地に向かう途中、保育所の先生とすれ違い、
双方の顔があったので、退任、退職の挨拶を受けました。

人との縁とは不思議です。30秒違えば顔を合わすことはなかったのです。

そののち、農業女子にブルーベリーの講釈を垂れてきました。もちろん実技もです。

新聞記者もその場に居合わせていたので、記者は農業女子にいまの話、分かりますか
とたずねていました。

私は、思うのです。失敗して初めて考えるのです。
で、なければ、成長なんてありえないと思います。
農業に従事したことないので、多分私の言葉連射砲は意味なしていないと思います。

失敗の限りをしている自分、であるからこそ、失敗、知っているから話せ
たと思う内容です。

保育所園児と同じ、記憶の片隅になにか残っていれば、それを起点として
解決していってほしい。
成長を願うのみです。




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