BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

ご自愛仮面のその下は・・・・皇后陛下

2017-10-02 | 売国奴

旧記事に手を入れてのリニューアル版です。

 

皇后陛下が皇太子妃時代の和歌に、こういうのがあります。

新しき 貴(とうと)きいのちの あゆみここに はじめまさむか 御靴(おんくつ)まゐらす

昭和36年、東久邇宮成子様 薨去 御船入りの儀に詠まれる

あの世で、新しい命を得て再び歩まれますように靴をお棺の中に入れて差し上げました、

というほどの意味です。靴を棺桶に入れるのは皇室の習慣なのでしょうか。

当時はきっと(いえ今も)、心優しい東宮妃のお歌として世の中には出回ったの

でしょう。

だが!!

天女の顔つきで詠まれたその裏のお顔は?

東久邇成子さまは昭和天皇と香淳皇后のご長女。

悲しみに打ちひしがれ、那須の御用邸にいらっしゃる香淳皇后のもとを

美智子妃殿下は、皇太子(今上)と引き連れ突撃訪問、普段から

持っていた文句を「姑」にぶつけているのです。

娘の喪がまだ開けないお方に向かって。

美智子妃殿下は気性が激しく、気に食わぬ者に対してねちっこく執拗に

責め立て、時にヒステリックな金切り声を上げる、と

報道されたことがあります。

この時、美智子妃は直接反論した、と浜尾実の著書『皇后 美智子さま』 (浜尾 実著 小学館)にあります。

浜尾が引いた記事内容によると、

『皇后陛下にはご気性に激しい側面がおありで、御所の中では時折、
甲高いお声を上げられたり、お気に召さないことをすると延々とお小言を賜る』

その他には、

『宵っぱりの両陛下は午前1時、2時になってからも、インスタントラーメンを
つくってください、りんごをむいて、と下命する』 


『昭和天皇の愛した吹上御所の自然林を丸坊主にし、新御所を建設したのは
美智子さまの意によるものだった』

『天皇・皇后の(平成5年)9月の訪欧時、ご服装の新調代に3500万円かかった』

こうした記事に対して、誕生日会見の時に皇后陛下は反論なさったわけですが・・・・

しかし、たとえば新御所に果たして美智子さまの意向がまったく関わっていないかといえば、全体に奇妙な・・・・これが日本の象徴である天皇陛下の住まい? といぶかしい、日本離れした建物の建設に携わった建築家はキリスト教正教徒内井昭蔵(聖名ガウリル)であり、そういう意味で言えば異教徒美智子様のお仲間です。

それに、昭和天皇夫妻が住まわれていた吹上御所に住まわれれば

いいだけのこと。なぜわざわざ新御殿を建設せねばならなかったのでしょう。

さまざま意向を通している両陛下なので、一言「もったいない。止めましょう」

と言えば通ったはず。また衣装については、とっかえひっかえ、欧州旅行の

衣装が3500万円かどうか知りませんが、とっかえひっかえの衣装に

大金がつぎ込まれているのは事実。

香淳皇后があんな、着せ替え人形やモデルみたいなお衣装替えを

なさったでしょうか?

以下は読者さんからのレポートです。

 

吹上新御所 2017-04-04 20:54:44 あん      

 

吹上新御所の正面部分が番組で紹介されていましたが、
何故今まで、上空写真ばかり取り上げられていたのか、
不思議に思っていたのですけど、内装はともかく、
外装に物凄い違和感を感じました。


http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1491301171939.jpg

調べてみると、

この御所に携わった内井昭蔵と言う建築家は教会も設計していますが、
祖父・河村伊蔵は聖ニコライに仕えた正教会の聖職者で、
函館や豊橋のハリストス正教会の建設に携わっています。

父・内井進も大正から昭和にかけて銀行建築などを中心に設計を行い、
金成ハリストス正教会と小田原ハリストス正教会の両聖堂、
およびニコライ堂のイコノスタスの設計に関わっています。


内井昭蔵自身、クリスチャンとして教会ですごすことが多かった
幼少期の経験をもとに建物を多く設計したそうです。

高円宮邸も内井氏が設計していますが、高円宮邸は、昭和に建てられており、
昭和天皇の手前、品位のある設計になったのかもしれません。

マント服といい、確信犯です。



上皇后だなんて、とんでもない。

護衛付きでわざわざ皇居外周を散策、
徘徊した翌日は、スカイツリーに落雷。

皇室から出ていって欲しいです。

 

転載 ここまで

神道の祭祀王がお住いの御所建設にわざわざキリスト教徒起用などと、美智子様の存在を感じざるを得ないのは、普段の言動もあるでしょう。

入内してからも、御所近くのカトリック教会に出没、母校聖心女子大の

クリスマスミサにも、まめにご参列です。

 

 

 

一族郎党皆、カトリック。

美智子様と母親冨美さんだけが例外というのはあり得ないでしょう。(冨美さんは、臨終前受洗とされてますがもっと早かったと思います)

そして婚約スクープのこの写真。

この写真を懇意の朝日新聞記者に見せられたとき、美智子さまはわっと
泣き崩れたと記者は後に書いています。冨美さんいわく、
うちはキリスト教徒だと思われてるので、まずい・・・と。

それにしても、なぜ美智子さまは朝日新聞記者が部屋を訪れた時、
こんな格好をなさっていたのか?

「挨拶回りの衣装」と答えたそうですが、こんな格好で挨拶回りって、
相手はカトリック教会じゃないんですか?
これ以前にも以降にも、こんな衣装を見たことがありません。

神道の最高位の家に嫁いだ人のなさることではありません。けじめを

著しく欠いているというべきでしょう。

それにしても、一新聞記者の青年が一人だけ、なぜあの時代の

“良家”の子女の私室に自由に出入りできたんだか?

一般記者が入れぬ、正田家への秘密の通路を知らされていたそうな。

美智子さんが惚れていたという説もあったような。

何しろ、お見合い歴20回を越すお方で、天皇陛下の前に

波多野という青年と婚約寸前だったと、当時の国会で

追求されていたほど、華やかでいらした美智子さまなので・・・・

皇后の二面性については、過去記事で述べています。

「ご慈愛仮面がはがされるとき~皇后陛下もう一つの顔」より

 

以下、転載。

(東久邇成子さまは)

心労のためかどうか、癌をわずらわれ、わずか35歳でこの世を去られたのです。五人の子供を残されて。

昭和天皇皇后の哀しみは痛切で、香淳皇后は成子様を入院させた宮内庁病院に毎日お通いになりました。良い家柄のお家に降嫁させたものの、敗戦による娘の家の逼迫ぶりはご存知で、さぞかし不憫に思し召しであられたかと存じます。

初めて授かった愛しい我が子が、日々やせ衰えてゆく。生まれて初めて抱きしめた時のあの、やわらかさ、小さな指のたわみ、ほのかな息。ありがとうございますと、神にとも知れず祈ったあの日。

残されたまだ幼い5人の孫達の不憫さ。



お心を千々に乱れさせた香淳皇后は、医学で絶望的なことを認められず、怪しげなことにも救いを求められたようです。この辺り、民間の母親と同じですね。お立場上、人前で涙を流すことは許されず、それゆえ声を忍び泣き明かされたこともあったことでしょう。

成子さまが旅立たれ、魂も抜けたようにやつれゆく香淳皇后は、せめて心ゆくまで泣きたいと那須の御用邸に身をひそめます。

身をお隠しになって、慟哭の日々。

そこへ皇太子夫妻(今上陛下、皇后陛下)が、ふいに訪れたのは成子様ご逝去から僅か25日目でした。

哀しみに暮れる皇后陛下のおなぐさめに?

いいえ、なにか自分たちの不満をぶつけるためです。

その不満の内容は解りませんが、その間のことは入江侍従が日記にしるしています。

・・・・・・・

「昭和35年2月23日(火)快晴

4時15分親王ご誕生、御母子ともおさわりないとの事。これでよかった。本当に安心した」

「昭和36年8月11日

最近の奥のおかしな空気、東宮さまと妃殿下(現天皇、皇后)に対すること・・・・・・まったく弱ることばかり。下らなさに腹が立つが、そんな事話し合う」

「昭和36年8月16日(水)快晴

那須で東宮同妃から両陛下にいろいろのこの間からのことを十時すぎまで率直にお申し上げになったとのこと。お上はよく分かったと仰せになったが皇后さまは終始一言もお発しにならなかったとの事」

・・・・・・・ここまで

今上陛下にとっては、一番上のお姉さまです。
また美智子皇后にとっては、皇室内で唯一自分の結婚を歓迎してくださった恩人です。
異例の民間妃入内にあたっては、皇后陛下はじめ全てが反対の中、唯一の味方が成子さまであり、これは想像ですが、両陛下の説得にあたって成子様の一言は重たかったのではないでしょうか。最愛の第一子が、賛成と言っている・・・・

いわば恩人の喪の最中に、その母親である皇后陛下を訪れ、何ごとかといぶかしめば‥‥‥・当然お見舞いであろうとお迎えすれば、日頃の不満ぶつけ。

「皇后さまは終始一言もお発しにならなかった」

という入江侍従の記述から、香淳皇后のお心のうちは読み取れますね。懸命に耐えていらしたのだと思われます。
嫁だけならまだしも、息子がこの思いやりの無さ。さなきだに、悲しみに打ちひしがれているところに、息子とその嫁から浴びせかけられる不平不満。

将来の天皇皇后に対して侍従が「くだらなくて、腹が立つ」とまで書き残しているのだから、相当のことであったのではないでしょうか。
この時美智子妃は、第一子である浩宮様がすでにお生まれになっていたのだから、第一子に先立たれた母の哀しみと苦しみは解るはずでしょうに。

それを夫とともに、文句を言いに静養先にやって来る・・・・・。
夫の母であるお方が憔悴していらっしゃる時に。そして、逝去されたお方は夫の
姉であり、自分の入内を心から歓迎してくださった方。その思いも美智子様にはおありにならなかったのでしょうか。

宮中へ戻られるのを待たず、静養先に押しかけての鬱憤ぶつけですから、相当激しかったのではないですか? 日記によると長時間のようだし。「冷酷」という文字が脳裏を過るのは、大仰でしょうか。そう言えば、自らを批判した浜尾侍従の葬儀は皇居から目と鼻の先の教会で営まれたのに、参列していず、それだけならまだしも、さんざん養育係として世話になった皇太子も行かせていません。
この、なさり方! いくらお腹立ちでも、息子ぐらいはやりませんか。
念のため、当日の皇太子のスケジュールを調べてみたのですが、どうしても外せないもの、キャンセルできないものは入っていません。
浜尾さんの批判は、皇室も良かれと思っての発言だったと思います。
今、読んでも正論なのですから。当事から皇后が天皇を尻に敷いていることにも警告を鳴らしています。皇后の顔色を伺いながら天皇は動いていらっしゃると。

入内に際しての香淳皇后さまの反対と、那須の御用邸での逸話から美智子さまが香淳皇后さま他にいじめられていたように噂を流す人がありますが、どうなのでしょうね。

皆無であったとはいいませんが、現在画像その他で検証する限り、世間に流布されているような陰湿で激しいものではなかったような?
皇后陛下はああいう、おっとりしたお方であるし常磐会が意地悪だと言っても、身分は皇太子妃美智子様のほうが圧倒的に上なのですから。

雅子妃などは「それなら、皇太子妃を辞めます!」と言い放っていますが、お立場は似たようなもので、強いでしょう。言い放つぐらいなら、とっととお辞めになればいいものを、餌箱の餌は手放したくないのです。脅しとしておっしゃったのなら、それこそお里が知れますね。

女性なら即わかると思うのですが、意地悪な口うるさい姑が「近所」に住んでいる状況で、とっかえひっかえ、流行最先端の時には突飛な洋服や帽子で、お出かけできます?
今でも日本人には少々柄の悪いと思われている、濃いサングラスに高いハイヒール。これが、姑にいじめられている嫁でしょうか?

仮に多少はあったところで、娘を逆縁で喪って打ちひしがれているところへ押しかけて来て、日頃の不満を息子と息子と結託して、ぶつけて来る嫁。可愛くはありませんね。しかも言葉の端々に皇室でそれを主張しては伝統が壊れてしまう「男女同権」を匂わせる嫁。

押しかけなんて、いじめられていた嫁が出来ることではないでしょう? 後が恐ろしくて、夫だけやるのだけでも、怖いのに。さすがは母上が「皇室とのご縁談はstruggle(闘争)」ですと言ってのけた、その娘さんではあります。あの時代に言えませんよ? わざわざ横文字でおっしゃるところも、風変わりです。日本人離れしているといおうか。それに戦前から天皇は格別に偉くないのよ、とお教えだったようです。さしてお偉くないところに、私は嫁いだのよ、だから男女同権でいいのよ、ということでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・過去記事転載ここまで

新しき 貴(とうと)きいのちの あゆみここに はじめまさむか 御靴(おんくつ)まゐらす

で、想起されるのは、こちらですね。まるで悠仁親王お誕生を呪うかのような片足靴をまゐら」された皇后陛下。皇室では、靴は棺桶に横たわる死者への贈り物だとご承知でのお振る舞い、しかも片足だけ!

 

この画像、以下の、皇后陛下の持たれた服喪の花を連想させませんか?

 

正田美智子さん入内前のこと、正田家を訪れたGHQの要人たち。

正田家は美しく報道されていますが、戦勝国GHQとアメリカの小麦粉利権で癒着した売国の家です。アメリカ小麦は日本人の健康を損ないました。

また皇室との条件闘争をストラグルと表現した冨美さんは、「上海夫人」と言われています。侮蔑の呼称です。

当時の上海は、魑魅魍魎の世界。鳩山幸さんの母親も上海にいました。
この母娘の出自のいかがわしさは、過去記事に記しました。(宝塚時代の
同期生にお話を伺ったのですが、お母さんは貿易会社の秘書だったり、英語の先生だったり設定が変わるのですが、神戸で米兵相手の何かをなさっていらしたという噂が、宝塚内ではあったと)

上海夫人と指摘したのは、皇室内の高位の女官だったと思いますが、今史料が見当たりません。→ 読者のKUONさまから提供頂きました。

>橋本明氏の著書「美智子さまの恋文」

>新潮文庫72~74ページにかけて、松平信子氏の言葉として、あります。

>決まってしまった東宮妃の教育を任された信子氏は、なんとか格好をつけねばと努力されます。本心は反対でしたが、つとめであると。

>「ご返事が、ねえ、なってなかったの。うつむいて声が通らない。意思表示がはっきりしない。ハイとお答え遊ばせ。私は強く申し上げたわ」

>「美智子妃が東宮殿下のお荷物になってはいけない」

>と一点に絞ったあげくに、ある日、こう言い放った、と、あります。

>「わかったわよ、すべてが。母親の富美さん、上海育ちだったわね。彼女は大陸夫人です。だからよ」

 

・・・・・・・・・ここまで

 

「両殿下は御忍びでよく正田家にお見えになりました。皆さんが思っている以上に 来られています。そのたびに私は『手伝いに来てくれ』と呼ばれるのです。私の 役目は、侍従とか女官の相手をすることでした。お母さまは、お二人が見えられると ほんとにうれしそうなお顔をされていましたね。夕食はわりと中華料理が多かったと思います。 ← BB 上海婦人だから?

就寝時間があるのか、食事をすませると、お子様だけ先にお帰しになり、そのあと、 両殿下はゆっくりとすごされました」

 新証言「母・富美子さんと密会のとき」 文藝春秋五月特別号 ・美智子妃のご成婚前から正田家に仕えて来た澤田喜一郎氏(仮名)より。

ご実家にはめったにお帰りになれない悲劇の妃と報じられていたのは嘘。

香淳皇后にいじめられていた嫁が、こんなに頻繁に里帰りできますか、しかも皇太子殿下を引き連れて?

しかも、鎌倉の正田家の別荘でも美智子さまと皇太子は、ひんぱんに会っていて、冨美さんもまた皇居に出入りしています。

それが、週刊誌の美化による歪曲ではこうなっています。

《・皇后陛下は成婚のとき庭に白樺の木を植え「これからはこれを私だと思ってください」
 流産で葉山に静養中も富美さんは「家に帰ってきなさい」と言いたかったのをこらえて会いに行くこともしなかった。
・1965年、礼宮が誕生され、ご一家は軽井沢へご静養へ。
 一度でいいから孫を抱きしめたいと思っていた正田夫妻と、偶然出会ったというようにセッティングされる。
・間もなくご一家を乗せた車が到着すると連絡を受けた正田夫妻は、前日までの雨でぬかるんでいた道路で土下座。
 職員が立ち上がるように声を掛けても止めず。
・到着した車内から飛び出してきた皇太子殿下は泥に汚れた祖父母の手を取り
 「私のおじいさま・おばあさまなのだから顔を上げてください」
・これは皇太子殿下にとって強烈な印象を残し、(妻の両親に)そのような思いをさせたくないのではないか。》

今読むと、悲劇のヒロインにオオウケですが、当時はまともに受け止められてたのでしょうね。

庭に白樺の木を植えて、「お母様、美智子は嫁ぎます。もうお会いできなくなるわ。これからはこの木をわたくしと思ってくださいましね」

って、テニスで「やばい!!」と叫んでた娘が言うかってのw 当時の良家の娘のたしなみ、お茶お花和裁は出来ず、その代わりにテニスに英会話、ピアス穴耳に開けてボート漕ぎ、ってw

ぬかるみに土下座した正田夫妻wwww

皇室との条件闘争を「ストラグル」と表現した冨美さんがw
「天皇が偉いという教育をうちではしていません」と言い放った冨美さんがw

ちなみに、当時8月の長野では、ぬかるみが出来るほどの降雨量はなかった、と調べた人がいます。

1966年8月の長野県の天気
ttp://weather.goo.ne.jp/past/1966/08/610/index.html

こわいわぁ、鬼女さまw

母がstruggleなら、娘はpurify  

皇后、失声症回復した時の第一声が、「もう大丈夫、私はピュリファイ(purify、浄化)されました」

なんなんだ、この母娘。

アメリカ耶蘇かぶれ母娘ざます。

後記 和歌の新しき 貴(とうと)きいのち

ってのも、ちょっと不思議だった。神道に死後得る新しい命って
概念があったかしら? これ、キリスト教の天国での命の
ことだったりして?

付記 読者さまご紹介の西村眞悟氏によるキリスト教批判

http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1303

 

BB自身は、聖者キリスト個人は認めますが、そこから派生してできた
宗旨宗派は、人間の本来の自然さを押さえつけ、それは偽善を産み、
侵略の道具、戦争の種となってきました。

日本に原爆を落としたのは、アメリカのキリスト教徒、プロテスタント、カトリック双方でした。

  


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16 コメント

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私的旅行という名の国益毀損 (大和鹿)
2017-10-02 19:50:02
日テレ「皇室日記」の昨日放送分で、両陛下が私的に参拝された高麗神社について紹介していました。
渡来人由来の神社であることは隠していないものの、トーテムポールなどの怪しげな物は映さず、日本の神社と変わらないように見せかけていると感じました。
しかし、社号額の「高麗神社」の「高」と「麗」の間に、とてもとても小さく「句」を書き加えているところに、この神社の民族性といいますか、セコさが現れているような気がします。
ここへは、55年前に三笠宮殿下が杉の木を御手植になり、ナルさんは16歳のときに参拝、高円宮妃は記念碑建立の式典に参加したそうです。分かりやすいメンバーですね。そして新たに両陛下の名が加わったと思うと、残念でなりません。足をお運びになり、玉串を奉納すべき神社は、そこではないでしょう。
また、かつて李王垠さんと方子女王殿下も参拝されたそうです。このお二方の参拝には違和感はないのですが、宮司のインタビューによると、「朝鮮だから来たんだね」と陛下が仰ったのだとか。それならば、両陛下はどのような意図で参拝なさったのでしょう。宮司曰く、陛下は古代の朝鮮半島の歴史や、渡来人の足跡などに興味がおありだそうですけれども。
ナレーションでも、「以前から参拝を希望されていた」とのこと。決して、彼岸花鑑賞のついでなどではありませんね。
取り返しのつかないことをなさる両陛下。上天皇になられたら、それが加速しそうな気がします。

皇室日記[字] 2017.10.01
h ttp://o.x0.com/m/588694
歌と人格 (芳子)
2017-10-02 21:14:12
「はたらけど はたらけど 猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る」

「たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず」

「東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」

有名な石川啄木の歌です。
若い頃は心に深くひびき、なんと純粋な人なのだろうと思いました。

が後年、ある評論家が、啄木は借金だらけの生活で、しかもその原因が遊興費でありました、親孝行な生き方ではありませんでした等々、話していました。
啄木の歌を決して、否定しているのではありません。
歌の評価と作者の人格は別物である、と言っていたのでした。

言われてみればそうだなあと思ったものでした。
もちろん文に体が自然に現れることもありますが、巧みに創作することもしますもんね。
つい錯覚しそうになります。

皇后陛下の歌の数々に触れて、あの評論家の話を思い出しました。
カルト創価学会撲滅祈願 (宮内庁皇室浄化大作戦)
2017-10-02 23:08:12
伊勢神宮に朔日参りに行って来ました。

宮内庁皇室の浄化祈願をしっかりして来ました。

宮内庁皇室浄化祈願、正しいDNA鑑定で男系天皇陛下の継続維持、全国の平和と家内安全、天照大神に祈りました。

日曜日の朔日参りだったので、多くの参拝者が来ていました。

天照大神を始めとして、日本の神々を総動員して宮内庁皇室の浄化祈願を皆様も共に致しましょう。

参拝者の多くの人達が、宮内庁皇室の問題を知れば皆さんは宮内庁皇室浄化祈願をするはずです。

宮内庁皇室浄化祈願は近所の寺社仏閣でもやった方が良いのかも知れません。
眞子さまご婚約内定会見以後 (2) (風鈴)
2017-10-03 06:01:14

日米戦争本土決戦論を知ったのは数年前、桶谷秀治氏と長谷川三千子氏の対談だった。一読後、なんのための思考実験かと腹が立った。妄想もいい加減にしろ、先帝陛下の御聖断に異議を唱えるのかと。

眞子さまご婚約内定会見後、別の視点から同じ問題を考え直すことになった。原爆投下以後も戦い続けるとすれば第一次ベトナム戦争となったことだろう。桶谷氏は日本精神で戦うということだったが。

昭和天皇の敗戦後の地位は、OSS が占領計画策定中に決めたと言われる。占領軍は敗戦国の再建が終われば速やかに撤退する、恒久法を作ってはならないとする国際法がある、および天皇を利用する方が占領政策が遅滞なく行われると考えたとされている。

しかしマッカーサーは十一宮家を臣籍降下させ、皇室典範も改訂した。占領行政法を憲法と称して押し付けた。国際法違反だし、検閲は憲法違反そのものだった。傍若無人、昭和帝の御命も危なかった。

思考実験とはいえ本土決戦論に拒絶反応を示したのは、昭和帝にもしものことがあったらどうするのかという恐怖心からだった。皇居は爆撃され、皇后も皇太后も一緒に死ぬ覚悟でおられた。後がない。そんな事態になったら確実に日本は終わる。あと知恵で屁理屈をほざくな。

こんな日本人の心遣いをアメリカ人が理解するだろうか。いくら戦場から遠いOSSでも、赤十字船や輸送船を撃沈し、海を漂う者に機銃掃射を浴びせ、原爆や都市空襲を喜んだのと同じアメリカ人である。

アメリカ人は勝ち負けと数にこだわる。十一宮家を臣籍降下させれば皇族は昭和帝一家だけになる。一家族だけなら滅ぼすもコントロールも容易だ。昭和天皇一族だけを報道し続けたので日本人でも天皇といえば昭和天皇御一人以外考えられなくなった。

では昭和帝とその一家が、戦死でも不慮の事故でも、なくなられたら何が起こっただろうか。十一宮家のだれかが天皇位に就いて戦い続けただろう。それでもダメなら百名以上の皇位継承者の中から天皇になってもらって戦いは続いただろう。本土決戦はあり得た。

日本人は生身の天皇を中心にして戦う。本当の日本精神とは天皇だった。博識の両氏は天皇とは言えないから日本精神と言われたのかも。

OSS は昭和帝を亡き者にしても必ず旧皇族の誰かが天皇となることを予測したのだろう。アメリカ人にとって数は力だ。十一宮家を潰してもあと百名の候補者がいる。皇室に手をつけた時の日本人の死に物狂いの抵抗を思い描いたに違いない。アメリカ人百万人の犠牲で片がつくと断言できるか。

われわれは知らず識らずのうちに一神教に侵されている。だから本土決戦論と聞いただけでビビル。昭和帝は御一人、男子一系は一筋、最高権威は一つだ。一つしかない、無くしたら終わりだ。戦後日本は一神教の天皇国家になったみたいである。私もひたすら心細い日々を送ってきた。一とは何か。

一とは何かを考えて欲しい。百二十名の皇位継承者は一系なのか百二十系なのか。日本はもともと八百万の神々の国ではなかったか。水間政憲氏が百二十名以上の皇位継承候補者を発表され、皇室典範改正、女性宮家反対、東久邇家および臣籍降下された旧皇族の復籍を提唱された意味は深い。

アキミチ夫婦はサヨク思想の定石通り、己の権力を自分の家族を滅ぼすことに集中している。皇室を護持したい我々は皇位継承者全体、日本人全体、縄文文明を視野に入れて作戦を立て直すべきではないかと思う。

眞子さまご婚約内定会見以後 (3)  (風鈴)
2017-10-03 07:18:47

ある日人間界を見下ろして、神は一人の信心深い働き者を見つけた。感心した神はその男に語りかけた。

お主は信心深い、そしてよく働く。お主のようなものは得難い。褒美に三つの願い事を叶えて遣わす。何なりと申せ。

男は答えた。三つも願い事を叶えていただいては恐れおおございます。私は一つだけで結構でございます。

願い事は一つだけ、遠慮深いのう。ますます感心した。なんなりと言ってみよ。

はい、私が欲しいものすべてをいただきとうございます。


時々冗談で披露する軽口です。理屈で攻めてくる人のエッと怯む表情が面白い。一が三より少ないとは決まっていない。
敗戦後も昭和天皇がなぜ皇位を保たれたのか?お一人だけだったら危なかったでしょう。しかし百名を越す皇位継承候補者をどうするかという問題に直面して、OSSは 皇統に手をつけなかったと思われます。。
一人、一筋、最高権威、独裁なら一神教、個人主義で先細りです。
一系だが百系のバックアップがある、一人の元首だが国民とともに、最高権威は 天照皇大神で、神勅を奉ずるのが天皇であるのが八百万の神々の国の形だと思います。
関連するので連投させていただきました。

風鈴さま (BB)
2017-10-03 07:32:15
コメントそれ自体が、一つの論文になっています。
また言外に現状の皇室批判にもなっていますね。
コメ欄に埋もれさせるには忍びないので、
記事として表に出させて頂きたいのですが
よろしいでしょうか?

1は? (BB)
2017-10-03 07:39:23
マッカーサー駐日大使 2017-09-30 23:17:40  と思ってよろしいのでしょうか?

BBさま (シルビー)
2017-10-03 11:33:50
横から失礼します。
風鈴さまの1は下記の記事の1つめのコメントです。
印象深かったので覚えていました。
すでにご存じでしたら失礼しました。

愛子さま痩せて太ってまた痩せて(また太ったよ~ん)
http://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/345628ca43d6f15f3f355dd6566c0f97
宮内庁皇室浄化大作戦殿へ (一郎)
2017-10-03 11:47:53
大変、御無礼で、私の事実誤認かも知れませんが、
貴殿のお名前は、こちらを始め、皇室ブログ関連でよくお見掛けし、
例の騒動以降も、伏見やでれでれの所にも応援のメッセージを寄せてらっしゃった記憶があるのですが、貴殿とは別のお方、或いは私の記憶違い・誤解でしょうか?

貴殿が、創価学会を敵視されている事だけはよく伝わり、創価学会を非難する為には、ネット上で
どのようなブロガーの方々にも協力を求めたい
お気持ちなのかも知れず、

こちらに投稿されておられる貴殿の御意見に殊更意義を唱えるつもりはありませんが、御無礼ながら、同一人物なら、
貴殿の立ち位置がよく分からず・・。

私の誤解ならお詫びしますが・・。
しるびー様 (BB)
2017-10-03 12:16:59
了解です。ありがとうございます。