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ブルース、ソウルにニューオーリンズ!ソウルフルな音楽溢れる東京武蔵野の音楽呑み屋バイユーゲイトにまつわる日々のつれづれを

2012年夏③☆高知/須崎 My first カレーショップ『ガリバー』!編

2012-10-05 | 日記・エッセイ・コラム

しばらく間があいてしまいましたが、2012年高知の夏の覚え書きの続きです。途中で終わるのは良くないですね。


そんなこんなでいろいろと職業意識出しつつ高知を散策した中で、今回の個人的メインイベントは須崎のカレーショップ『ガリバー』を訪ねることでした。
小学校4年生の夏、家族旅行で当時住んでいた室戸(東端)から中村(四万十)~足摺(西端)へと向かう途中で寄ったカレー屋さん。
父親の知人が開店したばかりのお店へ寄ってお昼ごはんということで連れていかれました。「お昼はカレー屋さんでカレー」。「カレー屋さん」という言葉にイマイチピンとこない田舎の小学生でした。当時カレー専門店なんて概念はなかったのです。
辿り着いた須崎のカレー屋さん。カレーだけのお店、ガリバーなんて店名の付け方も凄く都会的に思えたものです。実は都会ではなく須崎という海辺の町だったのですが…。カウンターに座ってメニューを見るといろんな種類のカレーが沢山。驚きましたね。食べたのはエビカレー。美味しかった!と同時にそれまで食べ慣れていた自宅のカレーやドライヴインで食べるカレーと違ってスパイシーで刺激が強かったような記憶が鮮明です。豚肉や牛小間でないカレーというのもなんとも新鮮でした。
もちろんはっきりした味なんて覚えていないのですがそれ以来、エビカレーという響きには弱く、いまだに『ココイチ』ではたびたび「エビにこみカレー」をオーダーする僕…。あれから36年。“ファーストタイムアイメットザオトナノカレー!須崎ガリバー ” は、いろいろな記憶が曖昧になってゆく中でココロにしっかりと残っていたのでした。

そんな昨年、ふと気づいたのです。気がつけばインターネット時代!「ガリバーを検索してみよう」
すると、なんとガリバーは元気に須崎で営業中、健在だったのです!興奮を隠せなかったのですが、すぐに向かうこともできず「あー行ってみたい!」と悶々とする日々。そんな時間を経て、遂に再訪となったのでした。

いつしか時はカーナビ時代!ネットで住所を調べてカーナビに入力、高速道路を使って須崎の町まで行ってまいりました。

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ガリバー!!ありました。変わらずありました。まぁ記憶は曖昧なのですが。
中に入ると、ん??ちょっと、いや記憶と明らかに違う。カウンター席が中心の細長い店内、という印象だったのですが…。
昼時を過ぎつつある時間だったので店主たえさんに話しかけると、驚き喜んでくださいました。感激!
思いで話に花が咲く中でわかったのですが、お店はすぐ近くで移転したそうで記憶の中のガリバーは旧店舗だとのこと。おお~記憶力結構イケルやん!でした。
でカレー。注文は当然エビカレー。でもメニューを見ると明らかに記憶と違います。説明によると昔のエビを煮込んだカレーは今はやっていなくって、現在のエビカレーは海老フライの乗ったカレーだとのこと。煮込むサイズのエビが冷凍でしか入らなくなってしまい(これは仕入れの問題なのかコスト面なのかはわかりませんが)冷凍のエビで作ると変なクセが出て美味しいダシにならないのでやめてしまったとのことでした。ちょっと残念でしたが納得、海老フライのカレーをオーダーしました。待っている間にメニューや店内を見ると、現在のガリバーさんはカレーを売りにした、町の人気喫茶店といった佇まいで親しまれているようです。定番は日替わり定食?美味しそうです。カツカレーが人気?とろろいものカレーなんてのもあります。
出て来たカレーは、美味しかった~!でも、スパイシーな専門店の味というよりも人気喫茶店自慢の味といった感じ。元からこうだったのか、定食を中心とした今の形態になった時に変わったのかはわかりません。36年も前のことなのです。問題は今もガリバーがあって美味しいカレーが食べられることそれに尽きるのです。サイドメニューもサービスしていただいて、子どもにお小遣いまでいただき恐縮しきりでありました。店内は数々の賞を獲るなど写真の世界でも活躍している店主たえさんの作品や

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お仲間の写真が飾られなかなか良い雰囲気。

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写真仲間も集い、彼女を中心とした「場」として成り立っているようで…

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日々のバイユーを思い出し元気や勇気を貰ったのでした。長くやってるって凄いんですよ、やっぱり!
※作品は店内に飾られているものではありません。ネットで探した彼女の作品を転載させていただきました。

再訪を楽しみにガリバーを後にし、高知に戻る途中の仁淀川で真夏の川遊び。帰りはたえさんからの「アイスでも食べなさい」とのお言葉に従って高知のソウルフード・クボタのアイスを嗜みました。セレクトは定番「花まんじゅう」と「おっぱいアイス」。

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美味しゅうございました。楽しく美味しい夏の一日でした。ガリバー・たえさんありがとうございました。また伺います!
皆さん、須崎のカレーショップ『ガリバー』〒785-0005 高知県須崎市東古市町6-13 是非行ってみて下さい。

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2012夏②☆高知/大杉の立川(たじかわ)そば編

2012-09-07 | 日記・エッセイ・コラム

2012年夏の覚え書きの続きです。

『ルーラルカプリ農場』で遊んだ日の夕方高知着。大人しくしてれば良いものを…深夜、久しぶりの高知の夜をパトロールに出かけました。目的地は『ロッカールーム』というロックバー。
ここはなぜか共通の友人が多いマスター~ロックバンド『ゴールデン野郎』を率いて東京や大阪でも活躍する濱田亮くん(やっぱり同い年だった!)のお店。
初めて訪れた店とは思えないくつろげる雰囲気。高校時代からの友人、大黒も現れて楽しい深夜となりました。大黒サンキュー!亮くんこれからもよろしくお願いいたします。

翌日からは高知の夏。蝉ギンギン、太陽ギンギンの南国土佐の夏でした。
実家にお坊さんを呼んで、一緒に暮らしてたおじーちゃんの33回忌とおばーちゃんの13回忌を共催。久しぶりの皿鉢を堪能。

翌日は四国山脈に向かって北上。大豊地区や早明浦ダムなど高知県山間部を食材探索しつつ楽しみました。
山奥で見た星空はもの凄い迫力!かつて体験した~いまひとつ夜空に恵まれなかった石垣島や、凄い星空だった佐渡島よりも圧倒的な宇宙でした。

そうそう、日本一の大杉の近く立川地区(たじかわと読みます。なんと!変換されました!)の独特な蕎麦には驚きました。挽いてぶつ切りにしたようなボソボソの10割蕎麦に出汁に甘さが控えめにひろがるかけつゆ。洗練とはほど遠いものなのですがコレがなんとも個性的で美味い!

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酒飲みにはお薦めします。車だったので飲めなかったのがなんとも残念。

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大杉の道の駅で食べたのですが、高速のSAでも食べられるそうです。
見た目の素朴さに騙されてはいけません。ホンモノは更に素朴でワイルドです。また食べたい~。

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2012年夏①☆岡山ルーラルカプリ農場編

2012-09-06 | 日記・エッセイ・コラム

夏が完全に去ってゆく前に、今年の夏の思いでを…。

今年も高知に向かったのですが、その途中で車を借りて立ち寄ったのがここルーラルカプリ農場。岡山駅から東へ30分ほど車を走らせたところにある山羊牧場。なぜ山羊牧場?と思うかもしれませんが、これが得意の行き当たりばったり。車を借りようと電話したレンタカー店の方がなんとも親切で、お薦めの場所を訊いたところ「自分もまだ行ったことないけど、今度行こうと思っている」とこの山羊牧場を教えて下さいました。山羊牧場!?未知の響きになんとなくピンときたので向かってみることにしました。
Photo郊外に向けて一般道を走っていくとどんどん田舎に。道順通りに行くとガードレールもない池沿いの細い道。池に落ちるのは嫌だなあと思いつつ更に山道に入って少しすると目的の山羊牧場に着きました。 「ルーラルカプリ農場は観光施設ではありません」と謳っていることからもわかるように山羊を育て乳を搾り、乳製品を作っているいたって素朴な農場でした。飾らない佇まいに沢山の山羊。なんとも良い雰囲気。

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農場の奥(上)にある小さなショップの店頭(外)に置いてある山羊ミルクは驚きの味!!

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瑞々しく爽やか。そしてコクがあるのにクドくない。人間の母乳に一番近いとされるだけあってお腹に優しく身体にも良いようです。臭み、のようなものは感じませんでした。そして本当に美味しかったソフトクリーム。

オーナーさんが接客してくださるショップで買い物をしたのですが問題はその店内!壁にビッシリとCDが…。それがまた凄い内容。どうやらデッドヘッズらしいことはわかるのですが、そんな単純なものではありません。この方かなりのスキモノ、とみました。チラチラ見てると本当に凄い!ムムム。ってなもんです。

Cd

(この棚も凄いけどBOXセット棚もムムムでした)で、このまま帰るのもあまりに勿体なくって、話しかけてしまいました~。

いやーこの方、ルーツモノを中心でアメリカンな品揃え(変か!)なのですが。かなり自分のスタイルを持ったマニアックな方でした。いろいろ教えて貰えそうであまり時間がなかったのが残念なくらい。William Fitzsimmons、Robert Earl Keen、The Avett Brothersなどを薦めていただきました。
そのままロックバーが出来そうな店内と、外の山羊たちの姿がなんとも絶妙なバランスで共存していて非常に良い感じ。
へぇ~と思われた方は是非HPをゆっくりとご覧になってくださいませ。
(写真はRyonさんという方のブログから使わせて頂きました。こちらのブログの方が山羊の魅力が伝わると思います!)
そして岡山に行かれた時には是非!

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深澤晟雄という人を知りました

2011-06-03 | 日記・エッセイ・コラム

『深澤晟雄』さんという人を私、恥ずかしながら知りませんでした。

ふかざわまさおさん。1957年から65年まで岩手県沢内村(現・西和賀町)の村長として「豪雪・多病多死(特に乳児死亡)・貧困」の追放を目指し尽力、いや闘った方です。知ってる人にとっては「え?知らなかったの??」なのだと思いますが…。

当時の沢内村は貧困に喘ぎ、乳児死亡率も6%(東京では約2.7%)を超えていたそうです。豪雪のため道は閉ざされ医者にかかることもできない状況のうえ、開業医はなく診療施設に派遣されてくる医師は問題のある者が多く、なかには薬物中毒者もいる有り様であったとのこと。 また、貧困のため病院にかかることは家の財産を失う、という考えも根強く治療を受けずして死ぬこともあり家計の負担にならないよう自殺する高齢者も少なくなかった。
医者には死亡診断書を書いてもらう為に行くという状況を憂いて村長を志した深沢さん。彼は生命尊重の志のもと~逆境の中多くの困難と戦い、ブルドーザーやバスの導入による豪雪期の交通の確保、そして優秀な医師を持つ病院整備に成功。更に1歳未満児と60歳以上に国保10割給付を断行し遂には乳児死亡ゼロを達成したのでした(地方自治体初の快挙)。
ゼロですよ、ゼロ!62年、昭和37年の話です。

乳児と高齢者の医療費無料化については時の岩手県庁から国民健康保険法違反として待ったがかかったのですが
深澤村長は
「国民健康保険法に違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ。憲法が保障している健康で文化的な生活すらできない国民がたくさんいる。訴えるな らそれも結構、最高裁まで争います。本来国民の生命を守るのは国の責任です。しかし国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついてきますよ。」
と語り村議員達を説得、断行した。

しかし、生命尊重の政策は財政面ではすぐに結果を出せなかったのでしょう
二期目の村長選では財政問題などを突く相手を迎え苦戦した。
その時に訴えた言葉がこれ
「生命の商品化は絶対に許されません。人間尊重・生命尊重こそが政治の基本でなければなりません」
応えた村民、投票率は90・1パーセント。わずかに305票差で勝利を収め奇跡的な成功へと歩み始めたのでした。

うーん。すべてがあまりに情けない現状と違いすぎる。

政治家とは職業ではなく他者の為、社会の為、理想のために殉じる役割では?などと考えるのはあまりにナイーブに過ぎるのでしょうか?「青いね」と言われたりするのでしょうか。まぁ戦国時代なんかは己の権力欲で闘っていたのでしょうけどね…。でもオキナワの瀬長亀次郎さんをはじめ、確かにまっとうな人もいたのです。今の国会議員さんにもいる、と思いたいのですが。

65年、食道癌に倒れ59歳で村長のまま世を去った深澤さん。彼の死を悼み、吹雪の中2000人(人口6000人)を越える村人が沿道を埋めて、村長の遺体が福島の病院から帰村するのを出迎えた。
この時の写真が残っているのですが…胸が熱くなりました。
Photo_2
※彼のことは俳優の長谷川初範さんがラジオに出演し、自分の出演作として深澤さんを演じた映画の話をしていて知りました。
『いのちの山河~日本の青空~』時間を作って観ようと思っています。

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山口冨士夫の日記

2011-01-14 | 日記・エッセイ・コラム

ずっと放置状態だったツィッターを最近ちょくちょくやってる。するといろいろな情報を見つける。今日は山口冨士夫さんの日記についての記述(つぶやき)を見つけて、それをきっかけにひさしぶりに彼の日常に触れました。
http://blog.fujio-yamaguchi.com/?day=20110111

僕が高校生の頃、彼は『山口冨士夫グループ』というバンドをやっていてインディから4曲入りの8インチ盤(微妙な大きさだ)『RIDE ON !』をリリースした。村八分に興味があったので迷った末に購入。今のインディと違ってストリート、いや都市の路地裏の匂いがプンプンしていた。
そのワイルドでルース、黒いサウンドは高知の高校生には刺激的でいっぺんにファンになった。ストーンズやブルースをルーツに持つバンドでは最高の存在だ!と思ったりもしたものでした。
それからしばらくして地元の小さいライブハウス『BUZZ』に『山口冨士夫グループ』がやって来ることを知った僕とミキ(初めてのバンドのベーシスト・男)は驚きつつも、手作りのチケットを購入して二人で行ったのでした。。試験期間中だったのを気にしながらの冒険だったような記憶が有る。
6時半や7時に始まるコンサートとは違って9時頃スタートの薄暗~いライヴハウス。バイユーよりも小さい店だったように思う。その後、自分たちも出演したけどよくあんなところでデカイ音だしてライヴをやっていたものだ。そう!とにかく音がデカかった!!1時間以上開演が遅れて(理由はここには書けません)登場した山口冨士夫は開口一番「デッカイ音出すぞぉ~」。にやりと笑ったのが印象的だった。半ば無理矢理連れてこられたミキは「有、こいつなんかきちゃないぞ…」とつぶやいた。その夜、僕らはレコード用に整えられたり、コンサートでPAシステムで整理された音以外で聴くロックンロールというものに初めて触れたのでした。あれは16歳。

それはそんな別に大したモノじゃなく、どちらかというと穴だらけでツッコミどころ満載のなんともガサツなシロモノだった。…なのにそれまで生で聴いたどんなロックバンドよりも生々しくカッコイイものでした。僕は目の前で演奏されている音楽が良いものかとるにたらないものなのかもわからず、ただ未知のものに出会ったという衝撃でドキドキしながら眺めていたことを覚えています。『RIDE ON !』の曲は勿論、『Red Rooster』『pipeline』、レゲエアレンジの『Love Me Do』なんかを演った。ササクレだってていい加減でキレ味ばかりの演奏だった。進行もだらだらしていてとてもライヴとは思えなかった。そしてなにより一般人とは違った匂いをプンプン漂わせていて、凄みが有り過ぎ。怖いくらいだった。、、、繰り返しますが、16歳でした。コワイよなー(笑)。
ゆったりとしたペースのライヴは11時を過ぎても終わる気配がなく僕らは翌日の試験勉強のためアンコールの合間に店を出たのでした。今考えるとバカバカしい。試験なんて一瞬のものの為に。最後まで聴いておくべきだった。ま、たいしたことはおこらなかったかもしれないけど。。。途中で帰ったという記憶のおかげでいろいろと鮮明なのかもしれないし。その後、バンドで村八分の曲をカヴァーしたし、山口冨士夫の『からかわないで』をレパートリーにしたりした。
数年後、東京に出ての最初の夜(翌日だったかもしれない)。荷物も届いてないフロトイレなし4畳半の経堂の部屋を抜け出して原宿クロコダイルへ『山口冨士夫グループ』から改名した『タンブリングス』を観に行った(その少し前のタンブリングダウン時代かも)。満員の東京のライブハウスで観るフジオちゃんは絶好調で素晴らしかった。バンドが意欲に溢れていて一番いい時期だったのかもしれない。
時に酷い演奏をすることで知られる彼だけど、いい時は本当に素晴らしい。あの頃の彼は酷い演奏の時も含めてスリルに満ちていて実にカッコよかった。感激のあまりクロコダイルにはその後何度も足を運んだのでした。ああ、当時は『シティロード』くらいしか情報源がなかったなぁ。

タンブリングスからティアドロップスに改名する頃から彼の音楽を聴く機会は激減してしまったけど、リリース状況や頻繁に刑務所に入る姿など動向はいつもなんとなく気にはしていました。
近年は体調を崩し、一時は生命さえも危ぶまれたフジオちゃん。
2008 僕にとって…清志郎さんやローリークックさんのように、最高に特別で重要な存在のミュージシャン!というほどではないのですが、やはりいつも気になる存在です。
また元気に生々しくてキレ味満点の演奏を聴かせてもらいたいものです。あの歌世界も彼が歌うと何となく納得するから不思議だ。貴重なお人です。
写真はROLLING STONESトリビュートバンド THE BEGGARSのブログからお借りしましたこの日の日記もいかにもフジオさんらしくって笑えます。

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30年目の日出ずる国。

2010-12-09 | 日記・エッセイ・コラム

今日12月9日はジョン・レノンが凶弾に倒れた日。

世界中で昨日ジョンの命日というニュースが流れたけれど
Far East、日出ずる国であの日の記憶を脳裏に刻んだ者としてはやっぱりカレンダーや新聞で12月9日という日付を見ると、なんとなく思い出すのです。

事件が起こったは日本時間の9日。
ニュースが流れたのが昼過ぎで、僕が知ったのは夕方。

部活を終えて冬だというのに汗まみれの身体を冷ましつつ帰宅したら
母親に「あんた、知っちゅうかね?ジョン・レノンが死んだぞね」
と言われたことを今もクッキリと思い出す。
中学2年生でした。部活帰りだったから平日だったのだろう…今調べると火曜日ですね。30年、便利な時代になったもんだ。。。
まだ実家は古い建物で庭から回ってすのこを踏んで家へ入っていた頃だ。何故だかあの頃玄関から出入りした記憶があまりない。庭に続く床まで有る窓から入ったら左上、台所に続く壁に古い時計が掛かっていたことまで思い出せる。

日付が早くやってくる日出ずる国、Far Eastのテレビやラジオの前…
昨日12月8日のジョン関連の海外ニュースは
地球は思ってる以上に丸くて広くて、
決してみんなが同じ今日を生きているわけじゃぁないことを思い出させてくれたりするのです。

昨日のこと。友人の女性が「職場で朝からずーっとジョンの曲が流れ続けてる。スローな曲ばかりで眠くなって困る」というような事を言ってた。

うーん、特にコメントは差し控えるけど
そんなもんなんですね。

確かに年間を通しても『Imagine』と『Happy Xmas』ばかりを聴く事が多いようだ。まぁ亡くなった時みたいに『Let It Be』や『Yesterday』が流れたりしなくなっただけでも良しとするべきなのでしょう。

…昨日いろんなところで『Imagine』を何度も何度も耳にしたあなた!今夜はローリークックの『偽りの英雄』を聴いてジャコ・パストリアスやアポロ計画 に想いを馳せては如何でしょうか?12月に入ってからずーっと、今日も朝から『Happy Xmas』を聴かされてるアナタ!今夜からザ・ワルツの『127E×26N(HappyNew Year)』を聴いて、いやアルバム『OKINAWANN CHRISTMAS』を聴きつつクリスマスに備え、夜の部屋でひとり踊ってみようじゃありませんか♪
ほら、『Imagine』や『Happy Xmas』も違って聴こえるように。。。。

Photo …普段あまり気にしない「この日」なのですが、30年という響きには感慨を覚えてしまいました。

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梅雨近し…

2009-06-08 | 日記・エッセイ・コラム

個人的にドトウの1週間が終わり、恒例の鰹宴も済み日本代表はワールドカップの出場権を獲得。そして…昨日の休日は素晴しい晴天。
あくまで勝手に
なんとなく一区切り。いよいよ梅雨かなーという気分です。気象庁がじゃなくって自分がです。
すっきりしない天気がしばらく続きそうです。こんな季節だからこそ季節を楽しみ、地に足の着いた落ち着いた営業を目指したいと思います。皆様どうかよろしく。

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JUMP!キヨシロー

2008-12-04 | 日記・エッセイ・コラム

朝も早よからRCサクセションを観ていた。
ちょっと別件でyoutubeを開いた後、なんとなくRCが観たくなって検索。数ある映像の中から懐かしい『ファイティング80's』出演時の『よォーこそ』を。チャボがセンターマイクで煽るところから始まる。…なんともカッコイイ。素晴しい!演奏がどうのこうのというレヴェルを遥かに越えた世界。ロックンロールのマジックに溢れてる。筆舌に尽くし難いとはこのこと。中学生の時に夢中で観ていた『ファイティング80's』の映像を沢山見つける。当時高知までネットしてくれたKUTVに感謝感謝なのです。これまた中学生の時に観た横浜スタジアムの『Sweet Soul Music』。若き清志郎。最高です。止まらなくなってしまった。
『ドカドカうるさいロックンロールバンド』に胸が熱くなる。なんなんだろいうこのピンポイントで胸をくすぐるような歌心、そしてロックンロール。初めて聴いたときはなんじゃこりゃ?と思ったのに。30年近い年月を経てなお自分の皮膚感覚を刺激する清志郎。
J西中学校の校庭で友人から、当時まだ持っているのが少数派だったウオォークマンで初めて聴かせてもらった『トランジスタラジオ』。K澤大学の講堂で、まるで痒い所に手が届くかの如く自分のカッコイイと思う価値観覚を鷲掴みにしてきたタイマーズ。(震えるような衝撃というやつを本当に味わいました。タイマーズはCDももちろん素晴しいけれどライヴこそがタイマーズだったと思う)。そして日比谷野音。PCの前でいつしかアタマから湯気が出そうに興奮していた。
『ザ・ベストテン』での『サマーツアー』!そして86年、あの『メリークリスマスショー』での山下洋輔&桑田圭祐との『セッションだ!』(確か東京は夕方から雪のクリスマスイヴで、下北のレコファンでキンクスのLPを買ってコンビニに寄って四畳半トイレ無しの部屋に戻り~この桑田Presents『メリークリスマスショー』を14インチのテレビで観たのでした。)
タイマーズを観て、昨年の日本武道館復活祭での『JUMP』を…。自分が一番最近清志郎のLIVEを観たのが3年と少し前の早稲田大学大学祭。その時懐かしいナンバー以上に、一番感激して記憶に残ったのが新しい曲だったこの『JUNP』。ぼーっと立って聴いていた自分にあまりにドカン!と突き刺さってきて感情のコントロールを失ってしまいそうなくらいにグッときたのでした。その曲を病からの復帰後武道館で歌う清志郎。
たとえばリズム&ブルースやブルースを聴いていたり、ローリークックの音楽に仕事として立ち会っていてどうにもこう~にも溜らなくなったりした時。感じる人にしか感じないものがあるということをいつも思い知らされます。そんな気持ちを若い頃教えてくれたのがRCであり清志郎だった様に思う。例え武道館いっぱいの熱狂的ファンの前でジャンプしている姿を見ていても、やはり感じる人の胸にしか届かない種類のものだと思う。ソウルミュージックが好きで…清志郎と音楽的嗜好があって…とかではなくって彼の作りだすものと感性的に通じるものがる人たちなのだと思う。たまたまそんな人たちに沢山出会えているだけ。RCにだってそんな人たちに出会えない時期もあった。

自分は「なんでみんなにはわかんないんだろう?」とはあんまり思わない。そういうもんなんだろうと思う。仕事としてはそれではいけないとは思うけれど、みんなに理解されることを目指すよりは、感じる人であろう人が触れ易いよう垣根を低くすることが肝要だというように思ったりする。PCの中でシャウトする清志郎。きっとこれからも、未だ出会ってない人(若者?)の胸に突き刺さったりしそうな輝きに満ちています。

先日はMG'Sと共演したとのこと…。非合法なインターネット映像に夢中になりながら、自分にはまだまだ彼の歌が必要なことを痛感しました。
アルバム『夢助』、そして『JUMP』を聴きながら…キヨシロー、待ってます。Kiyoshiromgs081120

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寒くなったらコバーン!

2008-11-14 | 日記・エッセイ・コラム

寒いです。こんなの大したことはないとはわかっておるのですが。寒さの序の口だとわかってはいるのですが、急激な気温変化について行くのが大変です。
そんな季節の楽しみ方。そうです。コバーーンです。カナダを代表するシンガー・ソングライター『Bruce Cockburn』ブルース・コバーンの音楽です。

夏だレゲエだ!トロピカルだ!というような風潮をいつも冷ややかに見てきた私ですが、なんのことはありません。今、ここで言いたいのは「晩秋から冬はやっぱりコバーンだ!!」という同じような煽りだったりするのです。
そうなのです!一年中いつ聴いても素晴しいコバーン作品なのですが、やはり秋が深まり冬を感じ始めたころから聴こえかたが少しづつ変わってくるように感じられます。かつては例の " 冬のコバーン " というコピーに対しても冷ややかな気持ちでおりました。でもそれも過去のこと。今では、仰せの通りでございます、と思っております。ここ数日の深夜の空気の澄みきり具合など、まさにコバーンの季節がやってきたことを物語っています。音楽にも旬はあるようです。Sunwheel_dance
連日聴いているレコードは『Sunwheel Dance』。彼の初期、3枚目のアルバムです。息をのむギターに素敵なメロディ、暖かい歌。素晴しいです。この音盤(LP&CD)はお願いしてカナダから買ってきてもらったといういわく付きのシロモノ。なんとなくカナダの匂いがするような気がします。哲、サンキュー!

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王選手

2008-09-26 | 日記・エッセイ・コラム

ホークスの王監督が監督職を辞する事になったというニュースが大きく取り上げられている。
大病も経験している王選手。これからはお身体をいたわりつつゆっくりしていただきたいと思う次第です。

自分は長嶋さんの全盛期には小さかった…(あの引退式の時は小学校低学年だった。覚えてるけど。)。でも王選手はしっかりと観た。テレビでラジオで。
700号本塁打だって715号だって756号だって、800号だって。
ご両親とオープンカーに乗って球場内を一周したのを覚えています。

とにかく凄い人。良い人。という印象。今では王監督や王さんと呼ばれることが多いけれど、現役時代を眺めていた自分なんかにとってはやっぱり『王選手』がしっくりくる。
王選手は謙虚な人。打たれた人のことを考えて、派手に喜んだりなんかしない。いつも真面目で地味。だけれども派手なホームラン。甲子園のスターからプロ入り、若い頃は決して優等生ではなかった。でもスーパースターの地位を確立して謙虚になった人。子どもからみたら、発言が地味で面白味がないようにも感じたけれどもそれこそが王選手。だから、凄い。とも思えた。”エライ人”はかくあるべきという感じだった。なので熱狂的王ファンっていうのは子どもにはあんまりいなかったような気がする。全盛期をあまり知らないというのに熱狂的長嶋(監督)ファンってのは結構いたけど。

王選手はその後も真摯で有り続けた。巨人という抜け出す者のいなかったブランドを捨てて福岡へ(ホークスへ)行ったときは感心したものでした。不成績で泥をかぶる可能性が高かったのに(実際苦労した)。ホークスで優勝して胴上げされているニュ-スを観た時には、普段野球をあまり熱心に観ないのにグッときたものでした。

王選手は子どもゴコロになんとなく偉大な人の象徴であったように思います。偉ぶらない王選手。子ども達のお手本的な存在として王選手は…っていう言い回しがいくつかあったような記憶があります。

その中のひとつ。
「王選手は暑い真夏でも冷たいジュースは飲まずに、喉が渇いたら熱いお茶を飲むそうです。だからあんなに沢山ホームランが打てるんですよ。(なので冷たいジュースばっかり飲んでちゃ駄目です)」

この説得力!

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黒人はなぜ待てないか

2008-09-22 | 日記・エッセイ・コラム

「黒人はなぜ待てないか」。

勿論、チカーノだって待てないし。メキシカンだってジャパニーズやコリアンだってチャイニーズだって、誰だって待てやしないのだけれども。何より黒人は待てないとのことだった。
1966年にみすず書房から(翻訳本が)発行された公民権運動の父・マーティン・ルーサー・キング Jr(Martin Luther King, Jr)の著書のタイトルである。原題は『Why We can't wait ?』。045
キング牧師と呼ばれる彼は人種差別撤廃を目指し、アメリカ黒人の公民権を勝ち取るべく「非暴力主義」を掲げ闘った人物であります。
有名な「I have a dream…」の人です。
と、高名なキング牧師についてはこれくらいで…(もしあまり御存知ないという方がいらしたらお調べ下さい)。

ここのところ~自宅の本棚でこの本がなんとなく目につくのであります。そう、巷でいや、世界で話題のアメリカ大統領選挙のニュースを目に耳にする度に棚の上の方に窮屈に押し込められている小さなこの本がなんとなく目についてしまうのです。で、カバーを外しスキャンしてみました。

1966年4月、自分の生まれる数ヶ月前に発刊されたこの本を僕は20数年前、高知から上京した日に家賃2万2000円風呂トイレ無しのアパートを借りた世田谷区・経堂『西通り』の古本屋で購入したのでした。東京での一人暮らし!中古レコード屋も古本屋もあふれかえっている東京!西新宿のレコ屋街も(当時本気でそう思っていました)神保町の古本屋街も電車に乗りさえすればすぐに行ける。そこには山のようにレコードも本も揃っている。その上なんと自分のアパートのある街にも中古盤屋や古本屋がある!!最高だ!

ホームシックや5月病?もまったく無縁にお一人様道??を邁進する第一歩を踏み出したのでありました。そんな10代の終わりの日々のこと…やはりどこか激しく勘違いしていたのでしょう。記憶違いでなければ東京に着いたその日の午後、近所の古本屋に入り熟考しこの本を購入しているのです。定価480円を1000円にて購入。いったいナニがしたかったんでしょう??店内で鼻息荒かったんでしょうか??とても恥ずかしいです。黒人音楽狂いの(入り込んだばかりで熱かった!!)少年は何を何処で間違えていたのでしょう??まっすぐ歩んでいたら政治家、だったのでしょうか??

ありえません。この本をきっかけに書棚に政治的な本が大量に収められる、というようなことはまったくなく、レコード盤ばかりが増えていったのですから。そういえばこの本を買ったその夜は一人で原宿クロコダイルに『タンブリングス』(山口冨士夫のバンド)を観に行ったのでした。どういうスタートなんでしょうか?そんなのその気になれば毎月だって観られるのに…やはり舞い上がった田舎モンでしたねー。まあ今もあんまり変わらないのですが。

とにかくそんな大いなる勘違いとかもろもろを思い出させてくれる1冊、なワケです。

そして今回のアメリカ大統領選挙。
テレビで民主党のバラク・オバマ候補の姿を目にする度、いまだに信じられないような気持ちでまじまじと眺めてしまいます。
20数年前、この本を読んだり公民権運動について興味を持ったりしていた頃、知れば知るほどアメリカという巨大な社会での人種差別撤廃ということの困難さを強く認識し、そのわかり易い例として「どんなに黒人(エリートの)社会進出が進んでも自分達が生きている時代に黒人大統領誕生だけはありえないだろう」と言われているのを聞き大きく納得していました。それはその選挙の席に着くということも含めてです。しかし、現実は民主党を代表し合衆国を二分する候補として大統領選挙にオバマ候補が臨む日がもうすぐそこまで来ています。まさに隔世の感有り、です。急激に歯車が進んだだけという見方もできようかとも思いますが。アメリカ大統領となるであろう2人のうちの一人が黒人であるということはまぎれもない事実なのです。事実の持つ重みにクラクラしてしまいます。

オバマ候補、勿論命がけです。相当な覚悟だと思います。J党総裁選挙とはワケが違うのです。無事に選挙戦を戦うことも、そして勝つ事も全てが想像の範疇を超えています。
もし、アメリカ合衆国大統領となった場合でも『オバマ大統領』は彼を指示したリベラル派を中心とする白人層と、黒人大統領という言葉の響きに激しく期待する黒人層の両方に支持される政治を行うことができるのでしょうか?アメリカという国は思っている以上に巨大です。そう、彼は決して単なる新しい大統領とは見てもらえません。黒人初の大統領なのです。
とにかく彼がこれから歩む道の全てが、良い事も悪い事も含めこれまでにまったくサンプルのない新たな前例となっていくのです。どこまでいけるかに注目が集まります。選挙に勝つにせよ敗れるにせよ、身辺警護をしっかりとしてアメリカ社会に新たな一歩を示して欲しいものだと思います。

でもまさか20数年でこんな日が来ようとは…しかしだからといってアメリカ社会から人種差別が無くなっているというわけではないのですが…。

と、まあこんな風に日々ノホホーンと暮らしている元勘違い少年ですら注目してしまう今回の大統領選なのであります。日本の総選挙もおおごとなんですけどね。

最後にキング牧師の有名な演説の一節を
I have a dream.One day the sons of former slaves and the sons of former slave-owners will be able to sit down together.(私には夢がある。いつの日か、全ての奴隷の子達と、全ての奴隷の所有者達の子達が、席を並べられる事を)

以上、たまには真面目に、、、ではなくて思いつくままに書いてみました。

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ひとまず安堵

2008-09-03 | 日記・エッセイ・コラム

ハリケーン・グスタフの被害は予想よりも小さく、とりあえず安堵しました。
もちろん、ほぼ全市民が避難生活を強いられたことによる苦痛や混乱は決して小さくはなかったと思いますが。
ひとまず安堵いたしました。

…そういえばもう9月だというのに日本列島の近くに台風が来ていません。異常気象といわれればそれまでですがなんとなく不気味です。

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引き続きGustav

2008-09-02 | 日記・エッセイ・コラム

若干、勢力を弱めた模様です。一喜一憂してもしようがないのですが…。
とにかく街を壊さないでー という気持ちでいっぱいです。

しかし『グスタフ』。グスタフなのですね。アメリカにしては正しき呼び名・読み方だなぁと思いました。TVをあまり観ていませんでした。
ゴンサレスをゴンザレス。ムン・ソンキルをムーン・ソン・キル。コンスタンチン・ズューをコスタヤ・デューなんて呼ぶ国ですけどね。でもなぜかマイケル・デューセみたいだし(重箱読みだ)。マイケル・デューセットでもミハエル・デューセでもないんですよね。。。なによりアメリカっぽくない名前ですね。グスタフ。グスタボ・バリャスを連想しました(知らないか!?)。

甚大な被害をもたらすハリケーンに人名、って感覚。日本育ちの身としてはやはりなんとなく馴染めません。同じ名前の被害者もいることだろうに…。

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Gustav

2008-09-01 | 日記・エッセイ・コラム

ハリケーン・グスタヴがまもなくニューオーリンズ~南西ルイジアナを襲うようです。ニュースを見て2、3日前から気に病んでいましたが、どうやら勢力の強いまま直撃コースのようです。
バイユーで日頃、楽しませていただいている音楽たちのふるさとがまた脅威にさらされようとしています。
大きすぎます。最近のハリケーン。
とにかく、どうか少しでも被害が少なくありますようにと願うしかありません。

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荒勢、逝く

2008-08-13 | 日記・エッセイ・コラム

呼び捨てなのはお許し頂きたい。なんせ子どもだったのでやっぱり「荒勢」でした。

大相撲の元関脇・荒勢関がお亡くなりになりました。享年59歳。
Photo
がぶり寄りの荒勢。もみあげといえば高見山か荒勢、です。ヒロスエ、などという華やかな芸能人が現れる遥か前、昭和の頃。高知の有名人・芸能人といえばアラセ!でした。(親方株を売却してタレントに転身している)
吾川郡伊野町出身。『トゥナイト』など深夜のテレビではよく見かけていました。でも今、パソコンに向かい、あらせと打ち込ん変換しても荒勢とは出てきません。残念です。少し早すぎます荒勢。

がぶり寄りと荒勢は同義語でした。後に盟友、横綱・輪島関の狼藉によりお家断絶となる花籠部屋所属でした。大関取りの声はかかりませんでした。朝潮太郎が登場するまで、県民の大相撲熱を一身で支えておりました。感謝。

僕が保育園&小学校時代を過ごした室戸を舞台にした映画『いさなの海』に荒っぽ~い高校教師役で出演していたのが思い出されます。しばらく見かけませんでしたが、高知で療養中だったとのこと。もう会えないんだなぁ。Photo_3

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