原石鼎

一枝の椿を見むと故郷に
 『頂上の石鼎』 深夜叢書刊

雨を来し人ひとくさし桜餅     大正12年

2012年03月31日 | 3月・石鼎俳句鑑賞
 桜餅と言えば先ず虚子の句が思い浮かぶ。

  三つ食へば葉三片や桜餅      虚子

 人を食ったような句であるが、大阪から東京に引っ越して間無しの頃、向島の長命寺さくら餅をいただいた時、あまりにもこの通りであることに笑ってしまった。
 暗黙のうちにおいしさが通っている。

 石鼎の桜餅の句は全句集の中に二句ある。
 掲句の前に、

  雨を来し人の臭ひや桜餅      大正12年

がある。
 セルのような毛織物であろうか、雨に濡れて少々臭ったのであろう、桜餅に雨の日の情趣がかぶさったものである。
「雨を来し人の臭ひや」はとりあえずの句であろう。
やがて、その臭いは雨を運んでやってきた、生身の、呼吸している人間の臭いであると、人なつかしくうけとめたのである。
「雨を来し人ひとくさし」と、畳みかけるように、作者の見た通り、感じた通りに書きなおしている。
ここには虚子のあほらしさはなくて、石鼎の五感が蠢いている。
虚子の句はいつなんどき食べても桜餅は桜餅であると突き放しているが、石鼎の桜餅は「ひとくさし」でもって、その時ならではの桜餅の味わいを文字通り咀嚼しなおさねばならないものになっている。

 桜餅らしい屈託のなさが虚子であり、桜餅らしい粘っこさが石鼎であろうか。

 ところで、大正11年に柳の句がある。

  お神輿の荒れて過ぎたる柳かな      大正11年

全句集において、この次に来るのが、

  神輿荒れもみにもみたる柳かな      大正11年
 
である。
「桜餅」と同様に、「柳」も又、はじめは、「荒れて過ぎたる」と実況報告的であったが、のちに「もみにもみたる」といっそう明確、具体的になった。
而うして、柳の最も柳らしい揺れかたが再現されるという趣きである。

 石鼎の全句集を繙いて、こういう手の内を覗かせてもらうような句に出会うと、石鼎の「ひとくささ」がひとしおなつかしく匂ってくるものである。(晨=草深昌子)
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春雷やひそと嗅ぎ合ふ犬と犬    大正9年  

2012年03月29日 | 3月・石鼎俳句鑑賞
 「春雷や」とあるので、昨日の午後のようなお天気模様だったのだろうか。私は犬を飼ったことがなく犬の生態にまったく無知なので、実のところ「ひそと嗅ぎ合ふ」をどうとらえていいのか分からないのである。挨拶のようなものか、敵情視察なのか、嗅ぎ合っている「犬と犬」が子犬同士なのか、親犬と子犬なのか、あるいは雄犬と雌犬なのか。しかし、「春雷」の季語とともに、中七下五のさみしみがなんとも言いようもなく、印象的なのである。

 石鼎の句集を繰っていくと、昭和7年には 春光やかぎろひて寄る馬と馬 の一句が見つかる。上五の春の季語を「や」で切り、下五に「馬と馬」と置いたところは、掲句とほぼ同じ作り様といっていいだろう。一人の人間が俳句を作り続けるということは、知らず知らずのうちに同じテーマをいく度も繰り返し、形を変えて作り続けるということなのだと身に沁みて思うのである。石鼎のさみしみは、形を変えつつも消えようもないものなのであろう。

 「犬と犬」「馬と馬」は、眼前の犬と馬を捉えたには違いないのだが、犬も馬も人間そのものの比喩のような気がしてならない。一個体が一個体と出会い、弱みを隠しつつ、あるいは曝しつつ、時に寄り添い尊重し合いもするが、決して重なり合う同一の個体ではないのだ。犬と犬、馬と馬、人と人、個は個のままに自我を保たねばならないのである。悲しみの本質がそこにこそあると言いたげなのである。さみしさが吃水線を超えなんとする寸前の一句であろうか。(清水和代=春塘) 
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三月は鳥も啼かずに暮れにけり    昭和16年

2012年03月26日 | 3月・石鼎俳句鑑賞
「鹿火屋」昭和16年5月号所収。一気呵成に詠まれた句意は説明する必要もないほど明瞭だ。その上、事立てするほどの句でもないのだが、三月は鳥も啼かないで過ぎたという叙述の異常さに立ち止まった。例えば雀が、あるいは土鳩や鴉が啼くのを一度も耳にしない月などは特別な環境であるように思える。あるいは誇張し過ぎに思える。

 この句を詠んだ昭和16年とは、石鼎が松沢病院に入院していた時期である。この入院中の句を見渡すと、視点は殆ど天空へ投げられ、鳥が詠まれていない。身近に木立などが無かったのかもしれない。入院して最初に詠んだのは(武蔵野の真夏の草を見にも来よ)である。病室は広大な敷地の中にあった。

 また、この句には(有感)という前書きがある。この前書きもまた書かでもの感を抱くのであるが、あえて書き込む理由があったのだ。昭和16年2月に次兄の運市が亡くなった。この兄が居なかったら吉野という風土と縁が無かっただろう。次兄運市の亡くなった悲しみに過した日々が(三月は)という断定的な言葉使いになったと推察している。

   一つ一つ岩にこぼれし千鳥かな    大正14年
   啄木鳥の羽美しくうつりけり     昭和4年
   美しき鳥来といへど障子内      昭和7年
   雪に来て美事な鳥のだまり居る    昭和8年

 鳥を詠んだ作品を拾うと、鳥は石鼎にとって美意識あるいは喜びの象徴となっている。このことに注目すると、鬱々と過した日々が前書きとともに存在感を持つのである。(岩淵喜代子)
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石鼎はどちら利き

2012年03月25日 | 石鼎余滴
 リコーダーは指穴の一番下が右手でないと使えないようなやや斜めのかたむき孔になっているのですが、尺八はどうやら穴がまっすぐで、孔が手を決めるわけではなさそうです。だから、利き手がでるのでは?と思います。写真の裏焼きかもと思ってみましたが、着物の打ち合わせが正しいので、写真のミスではなさそうかと思いました。
 ネット上で尺八の画像を見ると、石鼎の持ち方は、マイノリティーのようですね。無いわけではないですね。漱石も子規も左利き、左利き派閥はさぞかし暮らしにくかったことでしょうね。(一番の問題は、筆、刀、刃物、馬、だったと思いますが)


 鑑賞を書いてくださっている清水さんから、石鼎は左利きだったのでしょうか、とう以上のメールを頂いた。ふらんす堂刊の文庫本『原石鼎句集 吉野の花』の扉にある尺八を吹いている石鼎を見て気がついたようである。

 少年時代の思い出を書いた大冊の『石鼎窟夜話』にはそうした話は載っていないように思う。また夫人の著書『石鼎とともに』でも、そうした話は出てこない。どちらにしても筆は右手にもっただろう。そうでなかったら、弟子の誰かが一度くらいは石鼎の利き腕についての話をしたのではないだろうか。

 あらためて、『石鼎窟夜話』を開いてみることにする。(岩淵喜代子)
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春寒く座敷掃く間を待ちにけり    大正14年

2012年03月19日 | 3月・石鼎俳句鑑賞
冬の寒さは覚悟が出来ているが、春のそれは期待を裏切られたような理不尽さが加わって、ことさら身に堪えるものである。生活の中に雛段が据えられたり、お水取りの便りが聞こえる季節になっても、なかな暖かくはならいものである。

 家中を開け放って掃除をしていた家人がいよいよ石鼎の部屋にまで及んできたのである。障子の内に籠っていた作者がしぶしぶ牙城を明け渡して廊下に立てば、梅が咲き始めているのを目にしたかもしれない。それでも、冷たい外気が一気に押し寄せ、寒さをことさら意識する瞬間である。部屋を追われた無聊の姿が「待ちにけり」に集約されている。中からは、箒を使う音、はたきが障子を打つ音もしてきそうだ。

 たかだか掃除の間の待ち時間のようであっても、それもまた人生に積み重ねられていく時間の一つである。日々繰り返されていく日常の一駒が、俳味を醸し出している。「座敷掃く間」の「掃く」もまた掃除機を使う現代になれば懐かしいことばとなる。

 この句の大正十四年に住んでいたのは龍土町、現在の六本木である。初めに「秋晴れや二階六畳下六畳」と詠む一軒家を借り、後に隣の平屋建ての家も借りて「鹿火屋」を発行していた。大正十二年の関東大震災後の精神不安定さが長引き、虚子との軋轢も尾を引いていたが、原石鼎という作家はそうした重苦しさをほとんど詠まなかった。俳句が身辺を詠んでいるように見えて遥かを遠望しているからである。(喜代子)
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彼岸会を燃えて居るなり大香炉    大正11年

2012年03月16日 | 3月・石鼎俳句鑑賞
 3.11から丸一年が経ち、あらためて災害の大きさが浮き彫りにされている。このような大災害は、時間が経つにつれ、その大きさ、深さが見えてくるような気がする。ようやく見えてきたのかもしれない、とも思う。

 世界中、あらゆる場所で災害は起こっている。日本も数えきれないほどの自然の異変を経験してきた。地震、津波、大水。かつては飢饉で多くの人が亡くなった。今は人為的な放射能汚染が加わった。これからも地震や津波は起こるだろう。くりかえし自然の異変は起こるだろう。そのたびに、人の命が失われる。
 人の命は、地震や津波で失われるとは限らない。病気や怪我で亡くなる人の数もまた多い。医学がどれほど発達したとしても、それを完全に打ちのめすことはできない。

 今までに、どのくらいの人が彼岸へ渡っていったのだろう。
 ひとつひとつの命が燃えて灯となっている。灯はいくつも集まって、やがて大きな炎となる。炎の勢いは増すばかりである。
 ごうごうと音がする。炎の燃える音に混じって、ほかの音がする。いろいろな音、声が混じっている。さまざまな思いが浮び上がる。その全てを包み込み、炎は燃えている。焼いて浄化しながら、なおも燃えている。

 大香炉の中が燃えている。その燃え方は激しく、香炉が熱くなっているのでないか、とまで思える。燃えているのは香炉の中だけだろうか。一時的に燃えているだけだろうか。すさまじいとも思える掲句の勢いに、何もかも巻き込んで、消えることのない炎を感じている。
 大香炉も、命も、さまざまな思いも、激しく燃え続けている。(有住洋子)
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