大正15年というと石鼎は40歳、年譜によると相変わらず病を養っていたようであるが、こんな風に追儺の豆撒きをやったのだなあとなつかしく偲ばれる。
追儺は、大晦日の夜、疫病神を追い払う朝廷の儀式だったが、いつしか民間に普及して今の節分になったらしい。
夫婦して個々に、炒ったばかりの豆を桝一杯に抱えてはいるが、きっと妻コウ子の方が先頭をきって、「福は内、鬼は外」と大きな声を張り上げていたのではないだろうか。
ぼそぼそとコウ子につき従っていた石鼎も、廊下をわたり畳をわたりするうちに、いつしか厳粛になって、それなりの声を四方に放って鬼を追い払ったに違いない。
「夫婦して豆撒き歩るく」までなら誰にでも言えそうだが、これを下五で「暗さかな」ととどめられてみると、やっぱり石鼎ならではのものだと思うばかりである。
豆撒きといえば、明日は立春、こころなし弾み心があってもよさそうだが、そうは言わない。
灯のもたらす明るさと闇夜のはざまにただよう現実の暗さはもとより、自身を意識せずにはおれない心情としての暗さも滲み出ているようである。
暗いと感じるのは、石鼎がいまここに生きているからであって、石鼎がいなければそういう暗さもないのである。
石鼎が病身だからというのではない、石鼎の暗さは、ふと今を生きる私のもののようにも実感されるのである。 (草深昌子=晨)
追儺は、大晦日の夜、疫病神を追い払う朝廷の儀式だったが、いつしか民間に普及して今の節分になったらしい。
夫婦して個々に、炒ったばかりの豆を桝一杯に抱えてはいるが、きっと妻コウ子の方が先頭をきって、「福は内、鬼は外」と大きな声を張り上げていたのではないだろうか。
ぼそぼそとコウ子につき従っていた石鼎も、廊下をわたり畳をわたりするうちに、いつしか厳粛になって、それなりの声を四方に放って鬼を追い払ったに違いない。
「夫婦して豆撒き歩るく」までなら誰にでも言えそうだが、これを下五で「暗さかな」ととどめられてみると、やっぱり石鼎ならではのものだと思うばかりである。
豆撒きといえば、明日は立春、こころなし弾み心があってもよさそうだが、そうは言わない。
灯のもたらす明るさと闇夜のはざまにただよう現実の暗さはもとより、自身を意識せずにはおれない心情としての暗さも滲み出ているようである。
暗いと感じるのは、石鼎がいまここに生きているからであって、石鼎がいなければそういう暗さもないのである。
石鼎が病身だからというのではない、石鼎の暗さは、ふと今を生きる私のもののようにも実感されるのである。 (草深昌子=晨)










