原石鼎

一枝の椿を見むと故郷に
 『頂上の石鼎』 深夜叢書刊

朝やけも夕やけも映る障子かな    昭和12年

2011年12月20日 | 12月・石鼎俳句鑑賞
 雨戸を閉めずに眠ると、夜が明ける頃、目を覚ますのがうれしい部屋があった。
部屋に輪郭が戻ってくる。闇色に、一滴また一滴と白を落してゆくようだ。ピアニッシモからピアノへ、音のような色の膨らみ。まだ白とはいえないが、白に少しずつ近づいていく障子の色。鳥の声。吐く息が部屋に拡散してゆく。布団の色、畳の目、天井の板目も見えてくる。これからはじまる一日のことを、ぼんやり考える。山の中にある家に目覚める、贅沢な時間だった。

 日の暮れてゆく時は、この反対の現象が起こるが、心情的には同じとは思えない。朝は冬の凛とした障子の白さが際立つ。青空のはじまる気配がする。それに対して夕方は、白に朱色が混じる。夕焼けの朱色だけとは思えないのは、なぜか湿気が感じられるからである。それに夕方の障子は、一日を終えて疲れているようにも見える。朝暁にも朱色があるが、障子をそれほど通さないような気がするのはなぜだろう。

 掲句は、朝やけと夕やけを同列に並べているが、石鼎が、同じものと思っているとは限らない。朝やけも夕やけも、一日のはじまりと終りに起る自然現象、気象現象。太陽を回る地球の軌跡を考えると、それを同列に置いてもいいように思えるが、俳句にそれが取り入れられると、微妙な変化をするように思える。地球の一角の東京(石鼎はこの時期、本村町に住んでいた)の、一軒の家の障子に映る光の変幻。それから葉の影、風の音、人の気配。障子は、さまざまなものを遮る、仕切る、というより、やわらかに受け入れてもいるようだ。(有住洋子)
ジャンル:
俳句
キーワード
ピアニッシモ
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2 コメント

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石鼎忌 (雲秀)
2011-12-22 09:54:57
12月20日は石鼎忌。この特別な日に石鼎句鑑賞を掲載していただいたこと、石鼎ファンとしてありがたく感じております。
Unknown (岩淵喜代子)
2011-12-30 20:11:33
お運びくださって、嬉しいです。今後ともよろしく。

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