歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

死の名場面⑪(絶世の美女クレオパトラ)

2010年01月23日 | 死の名場面
死の名場面⑪(絶世の美女クレオパトラ)

歴史上、最も有名でありながら、
クレオパトラの実像は、今なお、
神秘の厚いベールで覆われている。

クレオパトラは、日本の小野小町、中国の楊貴妃と
並び称され、世界の三大美女の一人に上げられ、
絶世の美人の代名詞のように語り継がれてきた。

「もしクレオパトラの鼻がもう少し低かったら
 歴史が変わっていただろう」

フランスの哲学者パスカルの有名な言葉である。

鼻が低かったからというのは、
我々低鼻族の日本人の感覚では、
鼻ペチャのブスだったらという意味にもとれるが
古代貨幣に刻まれているクレオパトラの横顔は
険しいワシ鼻で、口が大きく、
とても絶世の美女とは思えない。
身体つきも意外と小柄で、
たくましいローマの将軍たちを
骨抜きにするほど、セクシーなグラマーでもなかった。

歴史家プルタルコスは、クレオパトラ7世を、
複数の外国語に通じた、知的な女性と伝えている。
ちなみに、容貌については
「彼女の美貌そのものはけっして比類なきものではなく、
 見る人をはっとさせるものでもないと言われていた」
と評している。彼女は魅力的であったが、
それは雰囲気や優雅で穏やかな話し方に
よるものであったと言われる。

もっとも大きな魅力は、
世界の穀倉といわれたナイル河のデルタ地帯を支配する
エジプト女王としての富だった。

クレオパトラは、紀元前69年1月に生まれた。
彼女の母親は、出産の直後に亡くなっている。
また、彼女には、二人の姉がいたが、
どちらも夭折してしまっていた。

彼女の一族は、土着のエジプト人ではなく
マケドニアの血を引くギリシア人であった。
ちなみに、クレオパトラとはギリシア語で
「父の栄光」を意味するものである。

彼女の属するプトレマイオス家は、
王家の血を純潔に保つために近親相姦を
盛んに行ってきた。
それは、アレクサンダー大王が、
この地を征服し、大王の後継者で将校だった
プトレマイオス1世が統治して以来、
250年間続けられてきた習慣だった。

そうした近親相姦は、
身体や性格にも悪影響を及ぼし、
それが、原因で、一族の者の中には、
てんかん質、異常性格、肥満体の者が
少なくなかったらしい。

例えば、彼女の父であったプトレマイオス12世は、
柔弱な国王として、
民より「笛吹き」と呼ばれ馬鹿にされる始末だった。
彼は酒好きで、酔うと、
何かと笛を吹き鳴らし場所を選ばず、
得意になって踊りだす奇妙な性癖があった。

そして、晩年には、その傾向はますます激しくなり、
女装したり、魔術師の出で立ちで民衆の前に
平然と姿を見せたこともあったほどである。

王のそういった奇妙な性癖は、
プトレマイオス一族に共通して見られるものであった。

やがて、大増税やら、
キプロス島をローマ人に売り渡した件で、
民衆の怒りが爆発し、
この無能の王はローマに命からがら
亡命することになるのである。



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