連日、30度を超える残暑の日が続いていて、
休みの日でも家でこもったきりになったりしますが、
新聞等などもそのことについては非常に敏感になってきています。
たとえば朝日新聞は、食欲の秋の代表的な食材である秋刀魚が、
海水温上昇により不漁であると報じています。
(朝日新聞参考URL:http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001008260005)
また、毎日新聞においては、梅雨明け直後からの猛暑についてその原因を探り、
産経新聞では、猛暑によるナラ枯れの被害を報じる等、
様々なニュースが今日も続いているようです。
(毎日新聞参考URL:http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20100812k0000m040043000c.html)
(産経新聞参考URL:http://sankei.jp.msn.com/science/science/100829/scn1008292230003-n1.htm)
実感として日々思うのは、自分の住んでいるところでも、
十年前の気候とは全く違ってきており、どうもそれは全世界的で、
日本に限定されたものではないようだということです。
ただ単純に地球温暖化の問題ということにとどまらない、複雑な要因がある気はしますが、
その解決策は人類にしか見出しえないということでしょうか。
けれども、毎日過ごしづらい、寝苦しい夜はあり、気温もうなぎ昇りで、
熱中症に罹る人もふえているということになると、
ただ暑い暑いとだけ言っているわけにもいかない気持ちがします。
以前、環境問題等に関する本を何冊かまとめて読みましたが、
実際に衝撃的だったのは、一冊の写真集『百年の愚行』でした。
コンパクト版ですが、100枚に及ぶ1枚1枚の写真が突きつける問いはほんとうに重たいものです。
いつの間に地球はこういうことになってしまったのか、
人間はこういうことまでするのかという現実をまざまざと見せつけられる思いがします。
気候だけではなく、この100年に限っただけでも、
人間が大気、水、森林、生物等に及ぼした害、戦争、公害など未来に対して暗い持ちになります。
けれども、このような現実にどのように立ち向かうかがいつも問われているのではないでしょうか。
地球が生き延びるとするなら、人類が生き延びようとするなら、
というふつうなら非現実的と言われそうな問いかけが、
切実なこととして感じられる夏の一日でした。
休みの日でも家でこもったきりになったりしますが、
新聞等などもそのことについては非常に敏感になってきています。
たとえば朝日新聞は、食欲の秋の代表的な食材である秋刀魚が、
海水温上昇により不漁であると報じています。
(朝日新聞参考URL:http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001008260005)
また、毎日新聞においては、梅雨明け直後からの猛暑についてその原因を探り、
産経新聞では、猛暑によるナラ枯れの被害を報じる等、
様々なニュースが今日も続いているようです。
(毎日新聞参考URL:http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20100812k0000m040043000c.html)
(産経新聞参考URL:http://sankei.jp.msn.com/science/science/100829/scn1008292230003-n1.htm)
実感として日々思うのは、自分の住んでいるところでも、
十年前の気候とは全く違ってきており、どうもそれは全世界的で、
日本に限定されたものではないようだということです。
ただ単純に地球温暖化の問題ということにとどまらない、複雑な要因がある気はしますが、
その解決策は人類にしか見出しえないということでしょうか。
けれども、毎日過ごしづらい、寝苦しい夜はあり、気温もうなぎ昇りで、
熱中症に罹る人もふえているということになると、
ただ暑い暑いとだけ言っているわけにもいかない気持ちがします。
以前、環境問題等に関する本を何冊かまとめて読みましたが、
実際に衝撃的だったのは、一冊の写真集『百年の愚行』でした。
コンパクト版ですが、100枚に及ぶ1枚1枚の写真が突きつける問いはほんとうに重たいものです。
いつの間に地球はこういうことになってしまったのか、
人間はこういうことまでするのかという現実をまざまざと見せつけられる思いがします。
気候だけではなく、この100年に限っただけでも、
人間が大気、水、森林、生物等に及ぼした害、戦争、公害など未来に対して暗い持ちになります。
けれども、このような現実にどのように立ち向かうかがいつも問われているのではないでしょうか。
地球が生き延びるとするなら、人類が生き延びようとするなら、
というふつうなら非現実的と言われそうな問いかけが、
切実なこととして感じられる夏の一日でした。










