先日、黒澤知弘弁護士が担当している裁判員裁判の3日目の審理を傍聴しました。
午前中だけでしたが、被告人質問、被害者の意見陳述があり、
傍聴していてとても緊張する2時間あまりでした。
2年前の2008年9月に横浜地裁であった模擬裁判で、
自分が被告人役を務めたということもあって、強い関心を持ってその場にいたのですが、
ほんとうの裁判を目のあたりに傍聴していると、犯罪の重さに面と向かわずにはいられませんでした。
本件の争点は、被告人の量刑という事案でした。
被告人質問のなかで、被告人の生育歴から事件の背景を考えさせられる場面がありました。
また、被告人の事件当時の考えと現在の考え、被害者の方々に対する現在の気持ちなどを弁護人がひとつひとつ糺していくのに、
答えていく被告人の言葉を聞くことで自分に生まれる感情もさまざまありました。
逆に、検察官からの厳しい質問に対する被告人の答えが、
事件を起こした被告人の動機について考えさせられたりすることもありました。
4日間にわたる集中審議で被告人の刑が決まるわけですから、
自分はそのごく短い時間立ち会ったに過ぎませんが、
裁判員の方ひとりひとりも、とても真剣に事件に向き合っているのがわかりました。
傍聴のなかでも、自分が最もつらい思いにさせられたのは、被害者の方の意見陳述でした。
別室から声だけが法廷に聞こえてきますが、
不眠、恐怖、怒りなど到底被告人を許せない感情が今もあること、
その気持ちは被害に遭ってからいまだに終わっていないことなど、
ほんとうにぎりぎりまで感情を抑えながらの声を聞いているうちに、
被告人が被害者の尊い人生を踏みにじる行為をしたという紛れもない事実が、法廷全体に響くような気がしました。
被害者の方にとってみれば、意見陳述を現実にすることさえ非常な困難だったはずで、
そのことも話されていましたが、切実なまでの感情は、自分にもじゅうぶんに伝わった気がしています。
けれども、被害者の方は、陳述のなかで「被告人の更生を望む」とのひとことを挿れておられました。
本来、許すことのできない感情のなかからも確かにその言葉が発せられることに、
また深く考えさせられる思いがしました。
模擬裁判で自分が被告人だった事件においては、
「裁く」ということの意味がどういうものであるかを、身をもって体験することになったという思いを持っていますが、
今回の傍聴では、「償う」ということや、「赦す」ということがどういうものであるか、あり得るかということを考えざるを得ませんでした。
この社会のなかにおいては、今も連日、多くの犯罪が起きていることは事実ですし、
起訴された被告人が刑を言い渡され、その期間「刑に服する」ということが行われているのですが、
そのことだけで罪が赦されるということではないはずではないでしょうか。
やはり、被告人が死刑を言い渡されているのでない限り、
いつか現実に社会に戻ってくる可能性があることを考えるなら、
被告人の更生ということを考慮せずに、「償う」「赦す」ということは考えられないのではないでしょうか。
自分が裁判員に選ばれた場合に、ほんとうに多くのことを考えて大きな決断を下さなければいけないということが、現実に理解できました。
裁判員裁判が、導入されて一年が経ち、この制度についての多くの課題も指摘されているようです。
その課題についてもこれから弁護士に聞きながら、裁判員裁判について、また考えていきたいと思います。
午前中だけでしたが、被告人質問、被害者の意見陳述があり、
傍聴していてとても緊張する2時間あまりでした。
2年前の2008年9月に横浜地裁であった模擬裁判で、
自分が被告人役を務めたということもあって、強い関心を持ってその場にいたのですが、
ほんとうの裁判を目のあたりに傍聴していると、犯罪の重さに面と向かわずにはいられませんでした。
本件の争点は、被告人の量刑という事案でした。
被告人質問のなかで、被告人の生育歴から事件の背景を考えさせられる場面がありました。
また、被告人の事件当時の考えと現在の考え、被害者の方々に対する現在の気持ちなどを弁護人がひとつひとつ糺していくのに、
答えていく被告人の言葉を聞くことで自分に生まれる感情もさまざまありました。
逆に、検察官からの厳しい質問に対する被告人の答えが、
事件を起こした被告人の動機について考えさせられたりすることもありました。
4日間にわたる集中審議で被告人の刑が決まるわけですから、
自分はそのごく短い時間立ち会ったに過ぎませんが、
裁判員の方ひとりひとりも、とても真剣に事件に向き合っているのがわかりました。
傍聴のなかでも、自分が最もつらい思いにさせられたのは、被害者の方の意見陳述でした。
別室から声だけが法廷に聞こえてきますが、
不眠、恐怖、怒りなど到底被告人を許せない感情が今もあること、
その気持ちは被害に遭ってからいまだに終わっていないことなど、
ほんとうにぎりぎりまで感情を抑えながらの声を聞いているうちに、
被告人が被害者の尊い人生を踏みにじる行為をしたという紛れもない事実が、法廷全体に響くような気がしました。
被害者の方にとってみれば、意見陳述を現実にすることさえ非常な困難だったはずで、
そのことも話されていましたが、切実なまでの感情は、自分にもじゅうぶんに伝わった気がしています。
けれども、被害者の方は、陳述のなかで「被告人の更生を望む」とのひとことを挿れておられました。
本来、許すことのできない感情のなかからも確かにその言葉が発せられることに、
また深く考えさせられる思いがしました。
模擬裁判で自分が被告人だった事件においては、
「裁く」ということの意味がどういうものであるかを、身をもって体験することになったという思いを持っていますが、
今回の傍聴では、「償う」ということや、「赦す」ということがどういうものであるか、あり得るかということを考えざるを得ませんでした。
この社会のなかにおいては、今も連日、多くの犯罪が起きていることは事実ですし、
起訴された被告人が刑を言い渡され、その期間「刑に服する」ということが行われているのですが、
そのことだけで罪が赦されるということではないはずではないでしょうか。
やはり、被告人が死刑を言い渡されているのでない限り、
いつか現実に社会に戻ってくる可能性があることを考えるなら、
被告人の更生ということを考慮せずに、「償う」「赦す」ということは考えられないのではないでしょうか。
自分が裁判員に選ばれた場合に、ほんとうに多くのことを考えて大きな決断を下さなければいけないということが、現実に理解できました。
裁判員裁判が、導入されて一年が経ち、この制度についての多くの課題も指摘されているようです。
その課題についてもこれから弁護士に聞きながら、裁判員裁判について、また考えていきたいと思います。

<読売新聞 2010年7月10日>














