ばあさまの独り言

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「日の名残り」にみる日本人のDNA

2017年10月21日 | 随筆
「日の名残り」という映画をご覧になられたでしょうか。この度ノーベル文学賞を受賞されたカズオ・イシグロ氏の同名の小説の映画化作品(1993年イギリス )です。
 アカデミー賞作品賞にノミネートされましたが、惜しくも漏れて、主演男優賞(アンソニー・ホプキンス)や主演女優賞(エマ・トンプソン)ほか脚色・美術・衣装などの賞を受けています。
 私達夫婦がこの作品を観たのは、2005~7年頃だったでしょうか。時代は1950年代半ば、イングランドに広大な屋敷を持っていたダーリントン卿が亡くなり,アメリカの政治家トレント・ルイスが買い取ります。
 元々このダーリントンの屋敷に使えていた執事ジェームズ・スティヴンス(アンソニー・ホプキンス)を残して、多くの使用人が去って、新しいご主人に使えるには、人手がたりません。
 大ホールで開かれる有名人達のとの会議や宴会に、万が一にも非礼があってはなりません。考え抜いた末に、彼が思い出したのは、元ハウスキーパー頭の、賢くて優しく良く気の付くケントン(エマ・トンプソン)です。
 此処から回想シーンとなり、二人が働いて居た頃のダーリントンの大邸宅に集まる、世界各国の元首などのとの会議や宴会の、生き生きとした催しや、こまごまと気を使う二人の働きぶりで、活気に満ちたお屋敷の様子が映し出されて行きます。
 真面目一方で、全身全霊でご主人に仕える執事は、その真面目さ礼儀正しさ、忠義深さに於いて、それはまるで日本人の武士道を見るようです。完璧な執事として、例えば卓上のコップさえも、一脚ずつ物差しで測って配置するほど細心の注意を払い、忠義一筋のジェームズです。また心優しく気配りの効くエマは、お互いに好意を持っているのですが、決して心の内を表に現さない彼との間で、心は行き違ってばかりです。
 彼は「秘するが花」の日本人の心に似ています。年老いた父親を執事の一人としてこのお屋敷に呼んで、気を使いつつも執事としての誇りが持てるように気配りするのですが、やがて父親は病に倒れます。
 ひたすら滅私奉公のジェームズは看病も思うように出来ず、エマに親切にして貰いながら、とうとう臨終にも立ち会えませんでした。父親も又執事としての働きを優先するように云うのです。
 これ以上の執事は居ないだろうと思える程です。エマもまた、ジェームズと共に完璧な迄にお屋敷の使用人を動かせ、重要な会議や催し物が日ごとに滞りなく行われて行くのです。
 しかし一心に奉公する傍ら、すれ違ってばかりの二人の心が、何とか上手く行くようにと、その折々に観客の心をハラハラさせながら、物語は続いて行きます。
 余りに素っ気ないジェームズに当てつけのように、請われるままに他の男性と結婚するエマですが、お屋敷を去ってから、やがて娘が生まれます。結婚や出産の折々にジェームズにエマは愛していると本心を伝えよえとするのですが、ジェームズは「おめでとう。良かった。」などと云うばかり、本心では心を引かれ彼女の愛を感じていても「愛している」と口に出せない
ジェームズです。
 そして20年、やがて画面は現実に戻って、年老いた二人がやっと再会出来た時に、エマの娘に赤ちゃんが生まれることが分かり、彼女は孫のお守りの手伝いの為に、折角会えたのに、また彼の元から去ることになります。
 激動の時代を共にあるじに精一杯仕え、その折節で心を動かされつつも、遂に通い合わせることが出来なかった二人です。しかし老執事には、お屋敷でエマと二人でお仕えした人生が、一生で一番充実して幸せだった事にやっと気づくのです。
 老執事の、叶わぬ恋の結末は、「日の名残り」という題にふさわしく、暮れなんとする雨の中での切ない別れのシーンがあります。折角会えたのに。孫誕生の知らせの為に、バスに乗って去るエマを、コウモリをさしかけて送るジエームズ。惜別の悲しさに耐えながら送るジエームズとエマの手が、ついにはなれて彼は日暮れの街に一人残されます。「人はみな人生に悔いが残ります。」とか、「夕暮れが人生で一番いい時間だといいます。」等というセリフと共に、観客の心に何時までも残る名場面です。二人共この名画に感動して、「何だか古い日本人の心に似ている」と云いながら、二回もDVDを借りてきて見ました。更に近日の事、またTVで放映されると番組表で知り、夫は録画しました。
 その数日後のことです。、原作者がノーベル文学賞を受賞すると発表されました。また略歴を見て、5歳まで日本に住んでいたということを知ったのです。
 私達は、「やっぱりネ」と納得しました。何処か日本人のDNAを感じさせる所があり、それが不思議に思えて,何度も「まるで原作者が日本人の様ね」と言い合っていたからです。
 科学的にみるとそれはあり得ないのかも知れませんが、私には日本人独特のDNAがあって、それが延々と引き継がれているのではないか、と思えたのです。
 カズオ・イシグロも日本人の血を継いでいる訳ですから、このような日本的な細やかな情緒に溢れた作品が出来たのではないか、と思えたのです。
 仙台の伊達政宗公の霊廟(瑞鳳殿)を尋ねた時に、正宗公亡き後に、切腹して殉死した家来のお墓が、煌びやかな霊廟を囲むように沢山ありました。更に哀しかったのは、その墓のかたわらに、そのあるじの後を追って切腹した、家臣の墓が寄り添って、一段小さな丸石の墓が建てられていたのを見た時です。正宗公の家来のまた家来の殉死ですから、日本人の忠義心は武士の人格の核であったのでしょう。家族や親族の哀しい迄の忠義心や悲しみが、伝わって来るようでした。
 仕事一途な執事には、「愛している」と口に出して言えない程のあるじへの心配りも察しられて、人生の最後の日々の名残を輝かしいものに出来ないまま、武士道に殉じたサムライのように、見えて来るのです。
 されども振り返れば、「あの時が一番幸せであった」としみじみ思う、そういう事を心に秘めての生き方も、また私にはある意味素晴らしいものに思えて来ます。
 私の大好きな名優アンソニー・ホプキンスが主演であったことも、私にとって忘れられない名作になった理由の一つです。
 未だご覧になられていない方には、お勧めしたい映画の一本です。
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