糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

イエス・キリストの物断ち(マタイ伝二十六章二十九節等)

2017-04-04 22:06:44 | 奥義書講解・福音書
イエス・キリストが聖餐の制定をされた時に、その締め括りに

あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。 (口語訳)

ということを言われました。

よくなされる解説は、この過ぎ越しの祭りの祝いの宴の次は、小羊の婚宴と呼ばれる神の国の到来の宴で、それまではどのような宴の席にも着くことは無いというようなものです。


しかし、もう一つの理解を加えることが、私達の信仰の糧としては大事な部分ではないかと思います。イエス・キリストはここで、誓いを立てて約束をされたのです。使徒パウロを殺すまでは、食事をしませんと宣言したユダヤ人たちがいたことが使徒行伝に記されています。「~するまでは、・・・をしません、食べません。」という誓いの立て方がユダヤ人たちの間には有りました。日本人も願掛けをしている期間はお茶を飲まないという誓いを立てる人がいます。それをお茶断ちと言ったりします。その誓いの形式をお用いになったということになります。イエス・キリストはここで、ぶどうの実から作ったものを飲むことをしないという物断ちの誓いを立てられたのです。

ユダヤ人たちの間では、この誓いは必ず成就させなければならないという強い気持ちによって立てられました。イエス・キリストが必ず成就させることは何でしょうか。文脈から直接的につながりの有る事柄は、聖餐式の意味になります。聖餐式はキリストの死とよみがえりを宣言することにあります。ですから、イエス・キリストの誓いの中心は、復活に有ったと考えて良いと思います。勿論、復活に伴う全てが含意されるでしょうけれども、先ず目を向けるべき部分は復活に有ると言えます。

イエス・キリストご自身の復活は成し遂げられ、使徒たち及び聖徒たちの証言を通して現代の忍者である我々にまで伝えられました。同時に、この誓いは、イエス・キリストに連なる聖徒たちも必ず復活に与ることになる、復活させるという約束、宣言になっています。神である方がその誓いを立てたのだから、必ずそうなる、というわたしたち現代の忍者たちの信仰を奨励する部分があり、それが大事な点になっています。



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