糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

拒絶の持つ側面

2017-05-12 11:43:51 | 忍者的思索・忍界
 忍者のカウンセリングにおいては、自分が親もしくは環境から恵まれなかったり喪失感を持っていたりする分野のことを考え、転じて自分が神に対して取っている態度に同様な要素は無いかを思い巡らせるように指導する場合が有ります。

 人間の生育史において大変否定的で破壊的な効果を及ぼす要素には拒絶が有ると思います。最近、ストリート・チルドレンの為の奉仕や刑務所伝道をしているイギリス人の半生記を読みました。彼は、大変幼い時から施設に預けられ、親の記憶が有りません。何度か里親や施設を変わる生活をしましたが、里親は補助金欲しさに引き受けただけで、普段は屋根裏の部屋の閉じ込めておくような人たちでした。仕事ができる年齢になって一生懸命働き、結婚したのに、一番親しかった親友に奥さんを取られてしまいました。彼は拒絶され続けて生きて来たと感じていました。忍者になってからも、恵まれた結婚に導かれ、信頼されて奉仕に携わるようになってからも、時々拒絶感によって激しい怒りや悲しみ、パニック障害を持つことが有るそうです。

 ここで、どうして拒絶、もしくは拒絶感がそんなにまで大きな影響力を個人に対して持っているのかということを考えてみたいと思います。私達人間のことを考える時には、創世記に見い出される人間の原点を確認することが大事な場合が有ります。神は人間を創造された時、「われわれに似るように、われわれのかたちに人を造ろう」と言われました。神の性質の一つには三位一体の秘義が有ります。完全な融和と一致の中におられる神です。ですから、その反対のことが起きると大変悲しまれる存在と考えることができます。人間を創造した時に、感情というものを備えられた神ですから、オリジナルの神の持つ感情は人間の創造を遥かに超えた強さが有るだろうと想像されます。
 その神の似姿に創造されている故に、人間はかくも拒絶に対して敏感であり、打撃を受け、絶望を感じるのではないでしょうか。ですから、上記のイギリス人も大変長いこと拒絶感と戦い、今でも拒絶感に過敏に反応してしまうことが有るわけです。でも、その彼を支えているのは、拒絶の反対の受容なのです。永遠の神が彼を受容していることが彼の拠り所であり、彼の生活を一変させたのです。そして、同じような体験をしている人たちに、少しでも神様の受容を伝えていきたいと考えて奉仕し続けているのです。

 よく取り上げられる例話です。この世の中に、闇はそれ自体で存在することはできません。何故ならば、闇は「光が無い」ことによってしか生じないからです。ですから、火の着いた線香の先端程の明かりであっても、それが有れば闇ではなくなります。そのように、私達の中に、少しでも受容の光、融和の光が有れば、闇は去るのです。人間同士、忍者同士がその小さな明かりを持っていなければなりません。地球上の生活においては太陽光が私達の生活の明かりの大元と言えるでしょう。私達の魂が、霊的な明かりの大元である神とつながっていることは大変大事です。私達の魂の闇は「神が無い」ことに起因します。
 ここで、最初にお話ししたことが関わってきます。私達に「神が無い」状態は、神の方から見ますと、人間からの拒絶ということになります。それが、いかに神に否定的な思いを与えているかということを想像することです。私達が持つ拒絶に対する怒りや失望は、神の思いのミニチュアであり、鏡写しのような部分が有ります。神がそれを耐え忍んでいるということを、少しでも感覚的に想像すると、もっと「神が有る」生活を心掛けようと思い、忍者としての生き方に方向づけができるのではないかと思います。

どうして、私達は拒絶や拒絶感に対して大変耐性が無く、弱いのでしょうか。それは、私達が三位一体の融和し、一致した神の似姿に創造されているからです。時々この原点に立って忍者としての生活を省みることは意義深いことであると思います。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ベタニヤのマリヤとイスカリ... | トップ |   
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL