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映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ファウスト

2012年06月30日 | 洋画(12年)
 『ファウスト』をシネスイッチ銀座で見ました。

(1)ソクーロフ監督の作品としては、『牡牛座―レーニンの肖像』(2008年にユーロスペースで)と『太陽』(DVDで)を見たにすぎませんが、特に後者の印象が強く残っていて、同監督の新作の上映と聞いて映画館に出向いてみました。

 物語の舞台は、19世紀初めのドイツのある町。
 カメラが空の高いところから次第に降りて行って、一軒の古めかしい家の中に入っていくと、そこは教授のファウストヨハネス・ツァイラー)の研究室。彼は、助手のワーグナーゲオルク・フリードリヒ)と一緒になり、生きがいを求めて「魂」がどこにあるのかを探究しています(注1)。



 ですがファウストは、「魂」の研究で壁にぶち当たり、お金もなくなって外をほっつき歩いた末に、高利貸のマウリツィウスアントン・アダシンスキー)の家へ(家の中は抵当物件で溢れ返っています)。



 ファウストの借金の要請は断られたものの、マウリツィウスから「別の形で力になる」と言われます。ファウストが研究室に戻ると、先ほどのマウリツィウスが現れ、「知らないことを教えてやる」と言ってファウストを再び外に連れ出します。

 二人は町中の洗濯場に行ったところ、そこで出会ったマルガレーテイゾルダ・ディシャウク)にファウストは一目惚れしてしまいます。



 次いで二人は地下酒場に潜り込みますが、学生や兵士たちで大騒ぎの中、ファウストは、マウリツィウスによって握らされたフォークで、誤って兵士のヴァレンティノを刺してしまいます。
 マウリツィウスは、ファウストをマルガレーテの家のそばに連れて行きます。ファウストは、ヴァレンティノの遺体が運び込まれる様子を見て、刺した相手が死んでしまい、それもマルガレーテの兄であるとわかり驚愕します。
 ですがファウストは、何食わぬ顔でヴァレンティンの葬儀に参列、帰り道をマルガレーテと二人で一緒に歩いて四方山話をします。
 とはいえ、別の者の知らせで、兄を刺し殺したのがファウストだと知ったマルガレーテは、ファウストにその事実を確かめると、彼の元から立ち去ってしまいます。
 マルガレーテに恋い焦がれるファウストは、再度マウリツィウスの家に行き、「一晩マルガレーテと二人きりで過ごしたい」と頼み込みます。
 それに対して、マウリツィウスは契約書を差し出し、署名しろと要求します。その契約書には「魂が肉体から離れたらそれを引き渡す」と書かれています。
 さあファウストは、そんな契約書に署名などするでしょうか、……、そして?

 映画の冒頭は高い空の上から次第に地上に降りていきますし、またファウストとマルガレーテは山の斜面の森の中を歩いたりします。さらには、映画のラストには岩山が登場します。このように一方で「山」が強調されるとともに、他方で、ファウストとマウリツィウスは、洗濯場に長い階段を下りていきます。また、ファウストがマルガレーテの兄をフォークで刺してしまう酒場も地下にあるというように、「地下」も強調されています。
 映画はむろん横の移動(ファウストが、自分の研究室からマウリツィウスの家に行くように)もあることはあるにしても(注2)、むしろ縦の動きが重視されていて、おそらくは、善、愛、自由といった崇高なことに関わる場面では「山」が強調され、悪(あるいは悪魔=マウリツィウス)に関わる場面は「地下」が選ばれているのではないでしょうか。

 そしてラストの方では、荒涼たる岩山をファウストとマウリツィウスが登っていきます。ファウストは、悪魔に魂を売り渡してまでもこの世の虚しさから逃れたいとしても、それはかなわないとわかり、マウリツィウスに対して、「もうお前には頼らない」、「力も影響力も自力でつかみとるよ。素質と精神さえあればいい。それで自由な地に自由な民を創れる」と言うのです。
 そして、さらに、「これで終わりだ。何もなかったのさ」と言いながらファウストがさらに進んでいくと、平らな所に出ます。

 要すれば、何かをつかもうとして別の何かに頼っても虚しいのであって、自分でとにかく前に進んでいくしかないのだ、そしてこれからはそういう姿勢で普通の生活(平らな大地)を送っていくということではないでしょうか?

 それはともかく、本作は文芸作品で、いろいろな解釈が可能ですし、さらにまた、映画の中で話される饒舌なおしゃべりの中にもセンスあふれる個所がいくつもあったりして(注3)、それなりに楽しめる作品に仕上がっているなと思いました。

(2)映画の冒頭で、「ゲーテ原作より自由に翻案」とあり、確かに、原作とだいぶ違っているところがあります(むしろ、全くの別物と考えるべきでしょう!)。

 何しろ、原作に登場しないファウストの父親が現れたりするのです(注4)。
 特に、原作の悪魔メフィストフェレスが、本作では高利貸のマウリツィウスになっていて、ずっと人間くさく(でも、洗濯場で裸になると、性器が尻尾のように尻に付いています!)、また原作の場合、ファウストは、その魔術で若返りマルガレーテに遭遇するわけですが(注5)、本作では最初から最後までファウストの年齢はそのままです。
 それに、ファウストと契約するのも、原作のように物語の最初の方ではなく(注6)、最後の方でファウストがマルガレーテと一晩会いたいと望んだ際のことです。それも、原作のような契約ではなく(注7)、単に「魂が肉体を離れたら、それを引き渡す」というものにすぎません。
 また、原作の場合、マルガレーテは、身ごもったファウストの子供を殺してしまい(注8)、牢獄にとらわれ処刑されることになりますが、本作のマルガレーテはそんな罪は犯しません。
 そうなるのも、原作全体を覆っている神の存在が、本作では否定されているからではないか、そしてその結果として、悪魔メフィストフェレスが高利貸しのマウリツィウスに置き換えられることになったのではないか、と思われます。

 さらに、原作の第2部に登場するホムンクルス(人工生命)が本作にも出てきますから(注9)、本作は一応ファウスト全体を踏まえているのでしょうが、原作の第2部で中心的に描かれるヘレナなどは登場しませんから、やはり取り扱いやすい第1部を中心的に映画化したものと考えられます。

 とすると、本作には原作の第2部を中心的に翻案する続編が考えられ、そこでは、本作のラストで石に閉じ込められたマウリツィウスが再度登場し、ファウストが、またもやヘレナに該当する女性を追い求めたり、果ては干拓地の開発までやり遂げるに至る様が描かれるのかもしれませんが、それは想像が過ぎるというものでしょう。

(3)本作については、映画評論家の蓮實重彦氏が、雑誌『群像』6月号の「映画時評」で取り上げています。
 蓮實氏は、本作について、「この『ファウスト』は、まぎれもなくソクーロフの作品である」としながらも(注10)、「いつになく撮り急いでいるように見え」、「ここでは世界―現実―を「撮る」ことよりも、物語―虚構―を「語る」ことだけに神経を集中しているように思えてならない」と述べています。
 クマネズミは、蓮實氏が列挙するソクーロフ監督の作品を見ていないために、その見解について余り云々できませんが、ゲーテの名作に基づく本作は、レーニンの晩年を描いている『牡牛座』や、昭和天皇とマッカーサーとの会見を中心に描いている『太陽』とは(注11)、少なくとも歴史上の人物を描いてはいないのですから違っていて当然のこととも思われます(まさに「物語―虚構―を「語る」ことだけに神経を集中」せざるを得ないのではないでしょうか?)(注12)。

 なお、蓮實氏は、「マルガレーテに惹かれるファウストの男女関係の描写は、劇的な流れとしては充分に説得的とはいいかねる」と述べているところ、クマネズミもそんな感じはしましたが、それは蓮實氏が述べている点(注13)というよりもむしろ、原作のように若返るのではなく、酷くむさくるしい年のいったままのファウストを、年若いマルガレーテが一目で気に入ってしまうという設定が、大層非現実的に思えてしまうことによります。

(4)さらに、評論家の中条省平氏は、6月1日付けの日本経済新聞に掲載された映画評において、「本年屈指の問題作だ」として、「主題としては、ゲーテをひき継ぎ、多くの哲学的問題が詰めこまれている。魂とは何か、人間の欲望と弱さ、愛と情欲、堕落と救済…。それらのテーマが扱われ、過剰な言葉の本流となって物語を押し流」し、「そうして醸しだされる世界の混沌は、先の見えない現代の本質的な鏡なのかもしれない。その志の高さには賞賛を惜しまない」ものの、「どこか一か所でいい、映画的活力で無条件の悦楽を浸らせてくれる場面が欲しかった。この映画の空気はあまりにも稀薄だ」と述べています(☆5のうちの★4)。
 「この映画の空気はあまりにも稀薄」との中条氏の感想は、先の蓮實氏と通じているのではと思われます(注14)。
 ただ、中条氏が「多くの哲学的問題が詰めこまれている」と述べている点に関しては、確かにそうした話題が提示されてはいるものの、ごく通り一遍であって、哲学的に議論が展開されている訳のものではなく(特に、「堕落と救済」に関しては、本作に神の視点がないものですから、取り上げているとまでいえないのではと思われます)、また「世界の混沌」といったものはいつの世にもおなじみであって、それを描き出したからといって「現代の本質的な鏡」とまでいえるかどうか疑問ではありますが。





(注1)ファウストが、死体の中から心臓を取り出して、「魂がどこにあるのかわからんのだ」と呟くと、助手のワーグナーは、「魂も命も足にありそうですよ」などと茶化したりします。
 さらに、ワーグナーが、「魂の正体を知っているのは、神と悪魔だけです」、そして「神はどこにでもいますが、悪魔は金のあるところにいます」と言い、それに対してファウストが、「神などいないが、誰が悪魔なのだ」と尋ねるのに対し、「広場にいる男がそんな感じですよ」と答えます。

(注2)描かれている町が随分とこじんまりとしているのです。

(注3)たとえば、マウリツィウスの家の地下室で家捜ししているとき、マウリツィウスが「おばの財布が出てきた」と言ったのに対して、ファウストが「悪魔におばがいるのか?」と尋ねると、マウリツィウスは「神に不可能はない」と返答したりします。

(注4)父親とは別の場所で研究していたファウストは、資金がなくなって、医師の父の診療所に出向きますが、「人に頼らずに働け」と言われ、金の無心を断られてしまいます。

(注5)池内紀訳『ファウスト第一部』(集英社文庫)の「魔女の厨」の場面で(P.152~P.156あたり)、ファウストは、魔女から渡された薬を飲み、次いで次の「往来」の場面でマルガレーテと遭遇します。マルガレーテは、さらに次の「夕方」の場面で(P.163)、「今日会ったあの人は誰だろう。とってもイキに見えた」などと呟きます。

(注6)原作の「書斎」の場面で、契約書について、ファウストが「いったいどうして欲しいのだ。黄金づくりか、石に刻めばいいのか、羊皮紙か、紙でいいのか?」などと尋ねると、メフィストは「ちょっとした紙きれでいい。血のひとたらしで署名ねがいたい」と答えます(P.100;第一部全体の3分の1あたりのところ)。

(注7)原作では、ファウストはメフィストにこう言います。「そうだ、こうしよう、もしとっさにいったとする、時間よ、とどまれ、おまえはじつに美しい―もし、そんな言葉がこの口から洩れたら、すぐさま鎖につなぐがいい。よろこんで滅びてゆこう」(P.98)。

(注8)原作の「牢獄」の場面で、マルガレーテは、「わたし、母さんを殺した、子どもを水に沈めた。わたしたちに授かった子だった」と言います(P.292)。

(注9)ホムンクルスは、池内紀訳『ファウスト第二部』(集英社文庫)の「実験室」の場面で登場します(P.130~)。

(注10)蓮實氏は、「いきなり俯瞰となったキャメラが、二人の男女の波立てる同心円状の波紋が湖畔に音もなく拡がるさまを見すえるショットには、ソクーロフなりの署名が読みとれて思わずほっとする」と述べています。

(注11)例えば『太陽』では、昭和天皇が写真帳を椅子に座って見ている殆ど動きのないシーンが10分近く続いたりしますが、こんな長回しは本作では見かけません。

(注12)さらに、『牡牛座』や『太陽』といった作品全体を覆っている不気味で暗鬱な雰囲気(例えば、B29を擬した飛び魚が火炎の中を飛び交う大空襲の映像など)は、本作に余り感じなかったように思います。

(注13)蓮實氏は、「兄の葬儀で彼女のかたわらに立つファウストが、手袋越しにその手に触れる瞬間に、はたして彼が性的な欲求にさいなまれていたかどうかは、いきなり闖入する犬の群れに乱されて描かれずに終わる」と述べています。

(注14)蓮實氏は、「ソクーロフならではの生々しい瞬間は、音響的にも映像的にも皆無だといわざるをえない」などと述べています。


〔本エントリにおける会話の引用の大部分は、劇場用パンフレット掲載の「シナリオ採録」によっています〕




★★★☆☆



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