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華麗なるギャツビー

2013年06月25日 | 洋画(13年)
 『華麗なるギャツビー』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)スコット・フィッツジェラルド(注1)が書いた小説『華麗なるギャツビー』を3Dで映画化した作品であり、それにディカプリオが出演していると聞いて、映画館に行ってきました。

 本作は、向こう岸のイースト・エッグ(注2)から放たれる緑の光りが映し出された後、パーキンス療養所にいるニック・キャラウエイトビー・マグワイア)の話から始まります。



 彼はアルコール依存症で療養所にいますが、ある男―ギャツビー―を忘れられないでいたところ(注3)、医者にその男のことを書いてみろと言われ、記憶を辿りながらタイプを打っていきます。

 時は1922年の春。
 その頃証券会社に勤務していたニックは、ウエスト・エッグに家を求めたところ、隣がジェイ・ギャツビーレオナルド・ディカプリオ)という大金持ちの大豪邸。



 そのお城のような家では、連日、ど派手なパーティーが開催されています。

 他方、対岸のイースト・エッグには、ニックの従兄妹のデイジーキャリー・マリガン)が、億万長者の跡取りで夫のトム・ブキャナンジョエル・エドガートン)と暮らしている大邸宅があります(冒頭の緑の光は、その邸宅の前に設けられている桟橋にあるライトからのもの)。



 実は、ニックは、エール大学時代、ブキャナンと友達であったこともあり、彼の家に出入りしますが、デイジーの友人で女性プロゴルファーのジョーダンエリザベス・デビッキ)とも親しくなります。

 ニックは、そのジョーダンを通じて、隣人のギャツビーが昔デイジーと恋人同士であったことを知るだけでなく、更には、ギャツビーとデイジーを自分の家のお茶に誘って(実は、ギャツビー自身が言い出したことですが)、二人の再会の場をアレンジしたりします。
 さあ、ギャツビーとデイジーの関係はその後どうなるでしょうか、…?

 映画の冒頭とラストで映し出される遠くの緑の光とか、ギャツビーの城で繰り広げられる豪華絢爛のパーティーなどによって、3D映像の威力が遺憾なく発揮され、さらには、ギャツビーに扮するディカプリオの力強い演技とか(注4)、デイジーを演じるキャリー・マリガンのみずみずしさなどとかがあいまって(注5)、なかなか見応えのある作品となっています。

(2)この映画を見れば、誰しもR・レッドフォードミア・ファローによる前作(1974年)と比べたくなってしまいます。クマネズミもご多分にもれず、TSUTAYAでDVDを借りてきました(既に映画館で見ていましたが、記憶が酷くぼんやりとしてしまっているので)。

 細部にわたって色々違っているところはあるにせよ(注6)、基本的な物語の骨組みは前作と本作とでほとんど変わっていない印象を受けました。
 ただ、やはり、ギャツビー役がレッドフォードからディカプリオに代わることによって、ギャツビーに力強さが随分と出てきたように思いますし(注7)、デイジー役がミア・ファローからキャリー・マリガンとなって、ギャツビーが長い間恋心を燃やし続けていたことにつき説得力が増す一方、金持ちの令嬢然としたところは(注8)、ミア・ファローがうまく雰囲気を出しているように思います。

 また、前作は、リアルに生真面目に画面を作り上げている感じながら、本作では、3D画像の特徴を生かして、随分と奥行きがクローズアップされたり、俯瞰したりして高さを意図的に強調したりして、遊びの要素もふんだんに取り入れつつ描かれる場面が多いように思われます(注9)。

 こんなところから、ギャツビー役はディカプリオ、デイジー役はミア・ファロー、そして全体を本作のような3Dの雰囲気のものとしたらどんな作品ができあがるのかな、とあり得ない空想をしたくなってきます。

(3)渡まち子氏は、「すべてが不確かなローリング・トゥエンティーズ(狂騒の20年代)の虚栄は、やっぱりバズ・ラーマンらしい世界観なのだろう。ミュウミュウやブルックス・ブラザーズのハイセンスな衣装、テイファニーの華麗な宝飾品などが、セリフ以上に雄弁に、時代やキャラクターの個性を語っていた。こんなゴージャスな映画は、スクリーンの大画面で見るに限る」として65点をつけています。

 また、前田有一氏は、「この映画の舞台設定は、その後まもなく大不況に陥る直前のアメリカ。ここでこれでもかと描かれる金持ちどもの、ひどいありさま。それはそのまま、本日も平常運転中のアメリカ合衆国のお金持ち層、彼らに対する警告でありメッセージとなっていると、まあそういうわけなのである」などとして75点をつけています。

 ただ、前田氏が、「本日も平常運転中のアメリカ合衆国のお金持ち層、彼らに対する警告でありメッセージ」である点が「本作最大のテーマであり見どころ」だとしているところ、そんな今更めいたつまらないものが「見どころ」だとしたら、本作は馬鹿馬鹿しいことこの上ない作品になってしまうのではないでしょうか(注10)?




(注1)スコット・フィッツジェラルドについては、このエントリの(2)で若干触れています。

(注2)ニューヨーク郊外のロングアイランドにあるとされる架空の地名(対岸のウエスト・エッグも同じ)。

(注3)「皆が酒に溺れていた中で、彼ほど途方もない野望を抱いた者はいなかった」として。

(注4)ディカプリオについては、最近では『J・エドガー』や『ジャンゴ』を見ました(後者については、クマネズミの怠慢によりレビューのアップをしておりませんが)。

(注5)キャリー・マリガンについては、『わたしを離さないで』におけるキャッシー役が印象的です。

(注6)たとえば、本作では、ニックが療養所で話す話が描かれているという構成をとっていますが、前作のニックはアルコール依存症ではありません。

(注7)特に、プラザホテルにおけるブキャナンとの対決シーンで、ギャツビーがブキャナンに対し「シャラップ!」と大声をあげる場面の迫力はただ事ではありません(この場面は、前作にはありません)。
 また、ギャツビーの金の出所についても、なるほどと思えてきます。伝説の賭博王ウルフシェイムなど裏社会との付き合いは、優男のレッドフォードではあまり説得力を持たないのではないでしょうか。

(注8)外地へ行くが待っていてくれとの手紙をギャツビーから受け取っていたにもかかわらず、ブキャナンと結婚してしまったことや、最後の事件の後、ギャツビーに至極冷淡になったところなどにうかがえます。

(注9)たとえば、前作では、ギャツビーの豪邸での大パーティーも、隣のニックの家から覗き見られているシーンが多く、その結果、視線は水平に動いて行くだけとなっています。
 これに対して本作では、冒頭とラストの緑の光が対岸に見える場面がとても印象的ですし、またギャツビー邸での大パーティーも、水平・垂直の視線がスピーディーに縦横に組み合わされていて、その豪華絢爛たる有様が随分と強調されます。
 さらに、誠につまらないことながら、本作では、ギャツビーの邸宅に大きなパイプオルガンが設置されていますが、前作では普通のピアノしか登場しませんし、また、ギャツビーが有り余る洋服を次々に見せるシーンにつき、本作ではわざわざ2階から1階にいるデイジーに放り投げるところ、前作ではそんな高低差はつけられません。こんなところも、3Dを意識してのことではないでしょうか。

(注10)むろん、前田氏の見解にも根拠があるでしょう。劇場用パンフレットの「Production Notes」によれば、バズ・ラーマン監督は、原作小説は「08年の世界規模金融危機に通じる部分があると思った。今考えてみると、その点こそが、今、この形で「ギャツビー」をやらなければと思わせた気がする」と述べているのですから。




象のロケット:華麗なるギャツビー


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (クマネズミ)
2013-06-27 04:35:44
「デイジー」さん、TB&コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、「パーティのシーンは圧巻」でした!
Unknown (クマネズミ)
2013-06-27 04:34:35
「KGR」さん、TB&コメントをありがとうございます。
このくらい派手派手しい映画になると、3Dも効果的
なような感じがします。
3D (デイジー)
2013-06-25 12:31:46
こんにちは。
トラックバックありがとうございます。
3Dで見ることもないなぁと思って、2Dにしてしまったのですが、3Dでも楽しそうですね。
特に、パーティのシーンは圧巻かな?
立体感と3D (KGR)
2013-06-25 09:03:18
ご指摘の数々のシーン、やはり3Dを意識した演出のようですね。
残念ながら試写会では2Dでしたが、3Dで見たかったでする

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