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KUBO/クボ 二本の弦の秘密

2017年11月26日 | 洋画(17年)
 『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』(吹替版)を新宿バルト9で見ました。

 〔お知らせ〕本作についてのエントリが、クマネズミのブログの方からTBを送ることができる最後のものになってしまいました(明日からはTB機能が撤廃されるというので、大慌てで以下のエントリをアップいたしました)。
 TBは、映画感想を書き連ねているブログにとって、極めて重要な機能と思っているところながら、昨今の諸事情からすれば、撤廃されてしまうのも、誠に残念ですが仕方がないのでしょう。
 今後、このままgooブログを継続するべきか、それともTB機能が有効な他のブログに乗り移るべきなのか(移行するにせよ、乗り換え先のブログでも、早晩TB機能が撤廃されてしまうかもしれません)、年末までの1ヶ月の間、よく考えてみようと思っているところです。


(1)評判が良さそうなので映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、「まばたきをしてはならぬ」との声がするとともに、月が出ている空ながらも、大粒の雨が降りかかります。
 嵐の大海原を漕ぎ進む一艘の小さな船が見えます(注2)。
 その船では、女が三味線を持ってスクッと前方を見て立っています。
 再び、「全てに気を配れ」「いくら奇妙なものであっても」との声。
 船に立つ女がバチで三味線を弾くと、波が二つに割れて、その前に大きな岩山が出現します。
 そして、「心せよ。束の間でも目を他にやれば、我らが英雄は滅びるであろう」との声。

 船は、大波に沈められてしまったようです。
 次いで、海岸に打ち寄せられた女。
 赤ん坊の鳴き声が聞こえるので、女は布に包まれた赤ん坊のもとに這い寄ります。

 「この子の名はクボ」「その子の祖父が、あるものをその子から奪った」「それは始まりに過ぎなかった」との声。
 そして、タイトルが流れます。

 海岸のそばの洞窟の中。折り紙が、上から落ちてきて、クボ(注3)が目を覚まします。
 周りに折り紙がたくさん落ちているので、クボは拾い集めます。
 それから、薪に火をつけ、鍋を温め、食事の用意をします。
 クボは、寝ている母親を起こして、食事を与えます。
 次いで、母親を連れて、クボは洞窟の外へ。
 クボは、折り紙を折っていくつも動物を作りますが、母親の方は、焦点の合わない目をして、黙ったまま座っています。

 クボは、三味線を背負って、海岸近くの岩山を降りて、野原を通り過ぎ、橋を渡って小さな村の中に入っていきます。
 市が立っているようで、人々が集まっています。
 魚などを売るものたちや、将棋を指す男たち。

 おばあさんのカメヨ(声:小林幸子)がクボを見つけて、「クボじゃないか?」と声をかけます。
 クボの方が、「今日はどう?」と聞き返すと、カメヨは「悪くない。銭が2個と白い玉」と答えます。
 そして、「あれをやってくれよ」「今日は、お話をおしまいまでやってくれるのかい?」と言います。
 すると、クボは三味線を弾きながら、「まばたきをしてはならぬ」「見えるものすべてに注意せよ」と語り始めます。



 同時に、折り紙の武人・ハンゾウ(注4)が踊り始めます。
 クボは、「ハンゾウは、最果ての国を彷徨っていた」「3つで1つの武具を求めて」「折れずの刀、負けずの鎧、そして壊れずの兜」「月の帝はバケモノを差し向けた」「ハンゾウはそれらを次々と打ち破った」と語ります。村人が集まって、クボの物語に耳を傾けます。

 こんなところが、本作の始めの方です。さあ、これから物語はどのように展開するのでしょうか、………?

 本作は、アメリカで制作された日本を舞台にしたストップモーション・アニメーション。三味線を弾いて折り紙を操る少年が主人公で、父母を奪った闇の力に立ち向かうべく、猿とクワガタとともに旅に出ていろいろな冒険に出会うという物語。様々の日本の風物とか文化を大層上手に取り入れながらも、戦いの場面などは圧倒的な迫力を持って見る者に迫ってきます。昨今の流れに従って、家族愛の物語となっていて、主人公に対応する女の子が登場しないのは残念なところながら、大人が見ても十分な作品に仕上がっていると思いました。

(2)本作を見た時に思い出したのは『怪物はささやく』です。
 本作では、最初の方で、クボとその母親が、海岸近くの洞窟の中で暮らしている様子が描かれますが、同作でも、コナー少年と母親が2人で暮らしています。
 その上、本作の母親は、精神的に変調をきたしていて、クボが何かと面倒を見ていますが、同作の母親も末期がんを患っているのです。
 さらには、本作では、クボが、母親から聞いて村人の前で語る物語が重要な役割を果たしますが、同作でも、イチイの木が変身した怪物が話す物語が重要な役割を果たします。

 そして、同作では、イチイノキの怪物の話す3つの物語とコナー少年が話す最後の物語によって、コナー少年が次第に現実(特に母親の死)をありのままに受け入れていくという成長譚が描かれます。
 それと同様に、本作においても、サルとクワガタ(声:ピエール瀧)、さらには折り紙のハンゾウを伴って「3つの武具」を求め歩く旅の物語とか、クボの残った片方の目を奪おうとする叔母(声:川栄李奈)との戦い、はては祖父である月の帝との死闘を通じて、クボが次第に成長する様が描かれているように思われます。



 結局、本作においては、残った片目をクボが守り通すことによって、クボは、現実の世界の有様をしっかりと見届けることが出来るのでしょう。
 まさに、「見えるものすべてに注意せよ」なのです。

 本作は、こうしたストーリーを、上記(1)で記したような嵐の大海原とか、「折れずの刀」を奪おうとした際に出現する骸骨のモンスター(注5)、ラストの月の帝が変身したムカデのような巨大怪物等々の迫力あるものを繰り出して描いていき、最後まで観客をぐいぐい引っ張っていきます。

 とはいえ、少々疑問も残りました。
 一つは、月の帝が、叔母(又は、闇の姉妹)を使ったりしてまで、なぜクボの片目(ひいてはクボの命まで)を奪おうとするのか、という点がよくわかりませんでした(注6)。
 さらに言えば、クボの母親は、月の帝によって、ハンゾウを殺すために差し向けられたにもかかわらず、その命令に背いてハンゾウとの恋に走ったために、叔母によって殺されてしまうのですが、その話自体もよくわからないところです。

 母親が叔母の攻撃を食い止めている間にクボはその場を離れ(注7)、しばらくして雪原で気がつくのですが、あるいはそれ以降の話は、クボの夢の中の話なのかもしれません(注8)。
 もしかしたら、クボの成長を願う母親が作り出した物語をクボが夢で見ているのでしょうか?

 二つ目は、クボが父母に会いたいと願うのはよくわかるものの、彼の成長にとって重要な役割を果たすのは異性との出会いではないでしょうか?
 本作におけるクボの年齢ははっきりとはしませんが、三味線を弾き、物語を語れるとなれば、現代ならば高校生くらいか、それ以上でしょう。
 にもかかわらず、本作では、母親とか叔母といった親族を除いて、クボに適うような異性は誰ひとりとして登場しません。
 あるいは、本作も、今流行りの家族第一主義の流れに沿った作品なのでしょうか(注9)?
 でも、異性に出会わなければ家族も構成できないと思えるのですが(注10)。

 三つ目は、本作でクボは、3つの武具(注11)を求めて様々な戦いをし、それを手に入れ(注12)、それを持って月の帝に戦いを挑みますが、実際の戦いにおいて役に立ったのは、それらの武具ではなくて、クボがいつも手にしている三味線なのです。こうなると、この3つの武具を求めた意味はどこにあるのか、酷く疑問に思えてしまいます。
 あるいは、3つの武具は、それ自体に意味があるのではなくて、それを手に入れる過程でクボが成長することに意味があったと言うべきなのかもしれませんが(注13)


 まあ、それらのことはどうでもよく、ストップモーション・アニメとして描き出された素晴らしい世界を目で味わうことができれば、それで十分というべきなのでしょう(注14)。

(3)渡まち子氏は、「単なる悪者退治や復讐ではなく、許しというフィルターを経て、物語を語り継ぐことの素晴らしさに至るストーリーは、近年のアニメーションの中でも出色だ」「極上の芸術品に酔いしれる103分だ」として80点を付けています。
 金原由佳氏は、「クボが三味線の音で自在に動かす折り紙の百変化が実に楽しい。一枚の紙に命が吹き込まれ、愛らしい動物にもなれば、猛々(たけだけ)しい武器にも変わる。紙を扱う繊細な手や指の動きはアニメであることをすっかり忘れさせられるほど優雅だ」と述べています。



(注1)監督はトラヴィス・ナイト
 なお、本作の吹替版でクワガタの声を担当するピエール瀧は、『アウトレイジ 最終章』に出演していましたし、また、叔母(あるいは、闇の姉妹)の声を担当する川栄李奈は、『亜人』で戸崎(玉山鉄二)の秘書を演じていました。

(注2)公式サイトの「Production Notes」の「3」(あるいは、劇場用パンフレット掲載の「Production Notes 1」)によれば、このシーンは、葛飾北斎の「神奈川沖波裏」(画像はこちら)とのこと。

(注3)クボは片方の目しかなく、眼帯をつけています。公式サイトの「Production Notes」の「4」(あるいは、劇場用パンフレット掲載の「Production Notes 2」)によれば、クボの眼帯は、伊達政宗と柳生十兵衛三厳を思わせるように作られたとのこと。

(注4)公式サイトの「Production Notes」の「4」(あるいは、劇場用パンフレット掲載の「Production Notes 2」)によれば、ハンゾウは、『七人の侍』の三船敏郎に似せて作られているとのこと。

(注5)公式サイトの「Production Notes」の「3」(あるいは、劇場用パンフレット掲載の「Production Notes 1」)によれば、これにインスピレーションを与えたのは、歌川国芳の「相馬の古内裏」(画像等はこちら)とのこと。

(注6)いったい、どうして、クボの祖父は月の帝(Moon King)なのでしょう?
 劇場用パンフレット掲載の「Characters」き記載されている「月の帝」では、「天上界の主」「強大な力を持ち、クボの右目を狙うため闇の姉妹を動かしている」「かつては娘たちを天上界から地上界へと降ろし、多数のサムライを殺すように命じていた非道な男」と述べられています。
 この説明でも、どうして月の帝がクボの目を奪おうとするのか全くわかりませんし、それに、「多数のサムライを殺すように命じていた」と述べられていますが、なんのためにそうするのでしょう?

(注7)クボの背中に羽が生えて、クボは空に舞い上がります。

(注8)何しろ、これ以降に登場するのは、実際のところ、クボに近しい者ばかりなのですから!

(注9)『怪物はささやく』でも、原作ではリリーという少女がしばしば登場するのですが、映画ではほんの僅かしか登場せず、ほとんど無視されています。本作においても、クボのガールフレンド的な存在は全く描かれていいのです。

(注10)ラストで、クボは、父母の墓に向かって、「僕の物語は続いていくでしょう」「2人に会うことができて感謝しています」「3人でご飯を食べて幸せだった」「でも、母上と父上に会いたい」「そうしたら、物語を締めくくることが出来る」と言うと、川の向こう側に2人が立っているのが見えます。
 でもこれでは、クボは自立した大人になることができないのではないでしょうか?父母のことは思い出としておきつつも、前に向かって新しい道をつき進んでいく必要があるのではないでしょうか?

(注11)「折れずの刀」(sword unbreakable)、「負けずの鎧」(breastplate impenetrable)、そして「敗れずの兜」(helmet invulnerable)。

(注12)「折れずの刀」は骸骨のモンスターの頭蓋骨に突き刺さっていたのをクボが引き抜きますが(アーサー王の伝説とか、ワーグナーの楽劇に登場するジークムントなどと類似しています)、「負けずの鎧」は湖の底の方にあって大きな目玉の怪獣(オディロン・ルドンの「目玉」を思い出させます:例えば、こちらをご覧ください)が守っています。クボは見てはいけない目玉を見てしまい危うかったものの、クワガタが目玉を矢で射たためになんとか助かります。
 最後の「壊れずの兜」は、クボがよく出入りする村の目につくところに吊るされていることがわかります(これは、「灯台下暗し」の教えを説いているのでしょうか?)。

(注13)もう一つ挙げるとすれば、主人公のクボの設定がよくわからない感じです。
 月の帝を父とする母親と、地上に住んでいたと思われるハンゾウとの間の子供ですから、ある程度の魔力を持っているのでしょうが(折り紙でできた動物などを操ることができます)、いくらなんでも祖父の月の帝と対等以上に戦えるとは思えないところです(3つの武具を身に付けることによって、それが可能となるのでしょうか?でも、最後にはそれらを取り払ってしまいますが?)。

(注14)それと、吹替版の最後に流れる吉田兄弟が演奏する「While my Guitar Gently Weeps」も素晴らしいと思いました(こちら)。



★★★★☆☆



象のロケット:KUBO/クボ 二本の弦の秘密



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4 コメント

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Unknown (クマネズミ)
2018-01-02 17:02:39
「ふじき78」さん、新年早々のコメントをありがとうございます。
「クボは小学生高学年くらい」とのことですが、せめて中学生くらいでないと、月の帝との壮絶な戦いの迫力も出てこないのではないかと思いました。
また、月の帝との戦いを巡って、「竹取物語の影響」とか「「逆噴射家族」の影響」を挙げておられます。確かに,そうした作品の影響が強いように思われます。ただ、そうだとしても、戦いに至る本作の具体的な話の内容に人を説得させる細部がないと、唐突感が否めないようにも思われます。
Unknown (ふじき78)
2018-01-01 23:11:33
村人の姿とか見て大人と子供で割とリアルに身長差があるので、クボは小学生高学年くらいじゃないかと思います。

何で敵は月から来たのか? 竹取物語の影響かしら?近々では高畑勲のアニメがある訳だし。あとマンガ「月光条例」では敵が月なのですが、地上にいる人間は太陽光を身体に蓄積していて、月に持ち変えると電池として使用できるという設定があり、似ています。

何故、家族で殺し合うのか?
「逆噴射家族」の影響? いや、それは飛躍が激しいな。「子連れ狼」はアメリカでもカルト人気があるそうなのですが、最終回で敵と大五郎が祖父-孫の間柄である事が分かります。この辺に影響受けてるのかも。
Unknown (クマネズミ)
2017-11-27 05:12:20
「まっつぁんこ」さん、TB&コメントを有難うございます。
おっしゃるように、映画レビューを掲載するブログは、このところめっきり少なくなってしまっています。感想をブログで長く書くよりも、機動的なツイッターで簡単に手軽に済まそうとする人が増えているのではないかと思います。
なお、クボがどんな魔力を備えているのか、クマネズミにはわかりませんでした。
また、3つの武具ですが、途中まではあれほど労力をかけて探し求めていたにもかかわらず、最後になって「マクガフィン」(登場人物たちの視点あるいは読者・観客などからは重要なものだが、作品の構造から言えば他のものに置き換えが可能な物)になってしまったのは、どうもよくわからないところです。
オワコン (まっつぁんこ)
2017-11-26 21:40:02
TBだけでなくブログ自体もなくなっていくのでは(^^♪
目を奪おうとするのは魔力のためじゃなかったですか?
3つの武具はマクガフィンでしょう。

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