Adagio Concierto en LA, KV 622 de Mozart por Wenzel Fuchs y CSMA
あの、ベルリンフィルのクラリネット奏者のフックスと元ベルリンフィルのホルン奏者のバボラークが来日するというので、先行発売でチケットを購入して楽しみにしていた、ベルリンフィル八重奏団に行ってきた。
しかし、震災の影響でバボラーク他数人が来日することができなくなり、代わりの演奏者を立てて、無事に来日してくれた。
2011年6月27日(月) 19時開演 東京オペラシティコンサートホール
ラティツァ・ホンダ=ローゼンベルク(第1ヴァイオリン)
ロマーノ・トマシー二(第2ヴァイオリン)
ヴィルフリード・シュトレーレ (ヴィオラ)
クリストフ・イゲルブリンク(チェロ)
エスコ・ライネ (コントラバス)
ヴェンツェル・フックス (クラリネット)
シュテファン・イェジェルスキ(ホルン)
ヤッコ・ルオーマ(ファゴット)
モーツァルト:ホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407 (ホルン:シュテファン・イェジェルスキ)
モーツァルト:クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581(クラリネット:ヴェンツェル・フックス)
ベートーヴェン:七重奏曲 変ホ長調 Op.20
アンコール:シューベルト:八重奏曲へ長調 Op.166 D803より 「スケルツォ」
結構、前の席だったので、よく見えると思っていたら、久しぶりのオペラシティーで途中までは客席に段差がないのに気が付かなかった。私の位置からは、第二ヴァイオリンやビオラが見えなかったけれども、お目当てのフックスが良く見えたので、大満足。
一曲目のホルン五重奏曲はバボラークだったら、どんな演奏をしただろうと、少し思ったけれども、曲が進むにつれ、だんだんと調子が出てきたようだった。
そして、今日の一番素晴らしかった曲は、何と言っても、モーツァルトのクラリネット五重奏曲。フックスの柔らかくて、絶妙なppにウットリしてしまう。最初から、最後まで天上から降り注ぐような音楽で、私は幸せな気持ちで一杯だった。いつも、ベルリンフィルデジタルコンサートで彼の演奏する姿がアップになるたびに、なんて素晴らしい演奏なんだろうと思っていた音が、生で聞くことができた幸せ。きっと、この感動はいつまでも忘れられないだろう。
後半のベートーヴェンも良かったけれども、アンコールのシューベルトが一番、気合が入っていて、もう言葉では言い表せないほどの素晴らしさ。たった、8人であの大きなホールを十分に鳴らす、素晴らしい音色。
休憩中にフックスの音を自宅でも聞きたくなって、CDを探してみると、フックス&オッテンザマーという豪華なメンバーのものを発見。迷うことなく購入。
幸せな気分でいられるコンサートだったよ。もちろん、帰宅してからもゴッキゲン。11月のベルリンフィル来日公演も行きたいよ〜。
Dmitri Hvorostovsky - Don Carlo - Rodrigo's Death Scene
『ドン・カルロ』
指揮:ファビオ・ルイジ
6月18日(土) 15:00 NHKホール
エリザベッタ:マリーナ・ポプラフスカヤ
ドン・カルロ:ヨンフン・リー
ロドリーゴ: ディミトリ・ホロストフスキー
エボリ公女:エカテリーナ・グバノヴァ
フィリッポ2世: ルネ・パーペ
宗教裁判長: ステファン・コーツァン
今回は指揮者と2人の歌手の変更に続いて、歌手たちが来日してから、ネトレプコが来日キャンセルという事態が起こって、ドンカルロのエリザベッタを歌う予定だった、バルバラ・フリットリがネトレプコの代わりとして「ボエーム」のミミを歌うことになり、フリットリを楽しみにドンカルロのチケットを買った私を含めたファンは大きな衝撃だった。
しかし、フリットリもドンカルロを念入りに練習していたところに、日本の飛行機を降りてから、ボエームの話を打診されて、一晩それもたった2時間で決めたというから、素晴らしい。彼女もついこの間、ミミを歌ったばかりというのも幸いしていたのだそうだ。
そんなこんなで、幕を開けたメトロポリタンオペラ。ジャパンアーツのブログやツイッターでは、公演の模様や感想を見るうちに、気持ちが高まっていく私。私の見に行く日はドンカルロの最終日なので、気合が入った演奏が見られると予想されていたので、浮き浮きしながらその日を待ち遠しく思っていた。
さて、当日は私の席は前から六列目という、歌手の顔がよく見えるとてもいい席。オペラグラスはいらないかなと思いながらも、一応、焦点を合わせて用意して待っていた。そんなところに、開演前に突如、フリットリが客席通路に登場。それも私のすぐそばを通って行ったので、感激のあまり、じっと彼女を見つめてしまった。彼女は背も高く、美人でオーラが漂っている。もう、その姿を見られただけでも良かったと思う私だった。
いよいよ幕が上がって、オーケストラの音楽が始まった。オーケストラもすぐそばで鳴っているので、迫力ある音とルイジが指揮をする姿が見える。METの重厚な音色とともに、いよいよ一幕が始まった。
ドンカルロ役のヨンフン・リーはだんだん調子を上げて、張りと艶のある声でほかのベテラン歌手に負けず劣らずの歌声。ポプラスカヤも良かったけれども、ほかの方も書いていたけれど、乾いた声という感じがぬぐえない。これがフリットリだったら、どんなだっただろうという思いが最後まで、胸に残ってしまった。
今回は、低音の歌手が素晴らしかった。まずは、グバノヴァのベールの歌が素晴らしかった。深みのある声で難しいパッセージも綺麗に歌って、安心して聞いていられた。彼女が歌い終わった後はひときわ大きい拍手が響いていた。そして、ホロストフスキーのロドリーゴらしい、凄味のある声。ただ、本調子じゃないのかな?という感じもしたけれども、最後の死のシーンは素晴らしかった。最後の最後まで、丁寧な歌いぶりで、あ〜死んでいくのだな〜となんだか、心にぽっかりと穴が開いたような感じがしてしまった。
そして、なんといっても、ルネ・パーペはひときわ存在が光っていた。オペラの途中から彼が登場してからは、舞台が引き締まっていく。もう体全体から発せられる迫力あるフォルテに、柔らかい響きのピアノと声を使い分けて、歌っていた。四幕のこのアリアが素晴らしかった。王の夜の孤独をしみじみと感情こめて歌っていて、あまりの素晴らしさに、私は涙が出てきてしまった。歌い終わった後も大きな拍手が響いていた。
Rene Pape - Don Carlo - Ella giammai m'amo
そして、コーツァンのバスも凄かった。ルネ・パーペとはまた違う、凄味のある凄いバス歌手。かなりの年齢なのだろうと勝手に想像していたけれども、実物はまだ若いカッコいい彼だった。
やはり、METのオペラは凄かったとしか言いようがない。ウィーン国立歌劇場の来日公演を見たときの衝撃が蘇ってきた。あの時は東京文化会館の上の席だったので、遠くからでよく見えなかったけど、今回はこんなに前の席なので、本当に舞台も見えるし、歌手やオケの生の音がそのまま聞こえて、自分としてはとてもよかった。
そして、その余韻は今も残っていて、時折頭の中にドンカルロのメロディーが流れてくる。そして、このドンカルロは5幕版なので4時間以上という長いオペラだけれども、あっという間に終わってしまうほど、引き込まれる物語だ。まだまだ、ほかのオペラを知らないので、あまり大きなことは言えないけれども、本当に一生付き合っていくオペラという言葉は、本当だった。
上演後には長い列に並んでのサイン会に行ってきた。プログラムのキャストの写真にサインを一つ一つ貰いながら、日本語で一言ずつお話をしてきた。そして、ルネ・パーペにまた会えたことが一番うれしかったので、そのことを伝えたら、ありがとうと言ってくれて、もう大感激。このサインとこのオペラの体験は一生の思い出になるだろう。
そして、カーテンコールで盛り上がっている中、フリットリが私のすぐ隣の通路を通って行ったので、またまた大感激。ウィーン国立歌劇場でも彼女の歌声を聴いたけれども、今度、彼女の歌声が聞けるのはいつになるだろう?また、来日してほしいな。
Message from the Berliner Philharmoniker to the Japanese people
現在、ベルリンフィルでは、3人の日本人が活躍している。そして、今回の大震災について、You Tubeを通じて、ベルリンフィルのコンサートマスターとサイモン・ラトルからのメッセージが送られている。昨晩は、日本の為に追悼コンサートも行われたようだ。
そして、ウィーンフィルも「日本の皆様の運命に私たちたちは衝撃を受け、その想像を絶する苦悩を少しでも軽減するための世界中の努力に協力していく所存です。しかし特に私たちウィーン・フィルハーモニー管弦楽団としては、日本の皆様にこれまで大変にお世話になり感謝をしています。だからこそ、私たちの心は、日本の皆様のもとにあることを、是非ともお伝えしたく、心よりお見舞い申し上げます。東日本大震災の犠牲者の方々を追悼し、ダニエル・バレンボイムとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は2011年3月19日/20日の定期演奏会のはじめに、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番イ短調KV488よりアダージョを演奏致します」と公式HPにメッセージを送ってくれている。
音楽を通して、世界の音楽家が被災者の方の追悼のコンサートを開いてくれている。言葉が通じなくても、音楽は世界共通の言葉だと改めて思う。
3月11日は金曜日ということもあって、明日は休みという気持ちでウキウキしていた。いつものように仕事をしていると、グラグラとビルが揺れる。でも、こちらではこれぐらいの地震はよくあることなので、またかと思っていたら、どんどんひどくなってビル全体が揺れ始めて、建物もミシミシと音を立て始めて、なかなか揺れが治まらなかった。どれくらい続いただろうか、ようやく揺れが治まって周りを見渡すと、倒れたものもなく、ホッとした。ロッカーなども地震対策がしてあったことと、建物自体もかなりの強度に耐えられるような構造になっていたことも幸いだった。
電車も止まってしまったので、終業時間前でも帰宅しても良いことになったのだが、移動手段がないので、どうすることもできない。仕方がないので、ネットで情報収集をする人、ワンセグで被災状況を見る人と様々だった。次第に、被災地の状況が明らかになってきて、ものすごいことになってしまったという実感が湧いてきた。
歩いて帰るという人、とりあえずバスを探してみるという人とだんだんと人が減ってくる。誰もが自分がどうやって帰るかということだけしか頭になく、上司もどんどん帰ってしまう。私はとても歩いて帰れる距離ではないので、交通機関が動き出すまで待つことにした。そして、JRが運転中止を決めた時点でショックを受けてしまった。後は、地下鉄か私鉄が動けばと思ったけど、それも時間がかかりそうなので、一番安全な会社にとどまることにした。
結局、ダンナが自宅から車で迎えに来てくれることになり、それをひたすら待っていた。会社の前は、車の渋滞と沢山の歩いている人の列が見えるだけ。ようやく、夜遅くになってから近づいてきたという携帯電話を受けて、うまく落ち合って帰宅することができた。それでも、自宅に到着したのは、夜が明けたころだったけど、なんとか無事に到着することが出来て良かった。
翌朝の電車を待つために夜通し会社に残っていた人の話を聞くと、なかなか電車が動かないことと、時間がかかったこともあって、自宅に着いたのは昼過ぎだったそうだ。それに比べれば、私は運が良かった方だった。でも、ひとりのおじさんは私の帰宅方法を心配してくれたので嬉しかったけど、他の人は心配してくれなかったのが寂しかった。上司が我先に帰ってしまうなんて、危機管理ができていない会社のでは?と思ってしまった出来事だった。これって、ほかの会社もそうだったのだろうか?まあ、私は派遣社員だから、やっぱり冷たいのだなと。