(写真:寂光院、京都大原<京都府京都市左京区>)
11/25(土)に、京都大原に行ってきました。ちょっと早起きに失敗して(それでも平日よりは早い)、出遅れてしまった感はありましたが、バスの混雑を予想(敬遠)して電車を乗り継いて京阪電車出町柳駅まで出て、そこからバスに乗ることに。
出町柳から京都バス大原行きに乗り込んでおおよそ40分、京都市をずっと北上して大原に到着。
ここから、バス停から東方向(三千院方面)に行くか、北西方向(寂光院)に行くか、ちょっと迷いましたが、まずは寂光院に。これは、三千院方面を後でじっくりと巡ろう、と考えたためです。
バス停からすぐ西方面に降りたところにある高野川の川べり。ちょうどバス停から見下ろせるくらいのところ。
途中の道べり。やってきた方向(南~南東方向)を見返したところ。写真奥の左手の山陰から太陽が昇ってきているよう。
寂光院の入り口。バス停からおよそ15分。左手の石碑に寂光院とある。
参道の石段。さながら紅葉のトンネルのよう。
石段途中にある孤雲(茶室)入口の門。屋根は苔生している。
その屋根の様子。 孤雲(写真中央の平屋)と庭。
本堂。平成12年に火災により消失したが、平成17年に往時に忠実に復元再建された。お堂の中に、ご本尊である六万体地蔵尊菩薩が安置されている
諸行無常の鐘楼。
手前が汀の池。本堂手前左手にある。諸行無常の鐘楼は、平家物語に語られる。
四方正面の庭。本堂と書院に囲まれるようにある。
本堂から汀の池、諸行無常の鐘楼を望む。手前は千年姫小松(御神木)。
<<寂光院(じゃっこういん)>>
所在地:京都府京都市左京区大原草生町
建立:推古2(594)年、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うため建立。
備考:天台宗の尼寺。山号は清香山、寺号を玉泉寺という。平清盛の息女で高倉天皇の皇后、安徳天皇の御母である建礼門院がお入りになり、源平の戦いに敗れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔いつつ、終生をこの地で過ごされた(寂光院しおりより)。
リンク:京都大原寂光院HP
<<京都>>洛北、大原。
(つづく)
11/25(土)に、京都大原に行ってきました。ちょっと早起きに失敗して(それでも平日よりは早い)、出遅れてしまった感はありましたが、バスの混雑を予想(敬遠)して電車を乗り継いて京阪電車出町柳駅まで出て、そこからバスに乗ることに。
出町柳から京都バス大原行きに乗り込んでおおよそ40分、京都市をずっと北上して大原に到着。
ここから、バス停から東方向(三千院方面)に行くか、北西方向(寂光院)に行くか、ちょっと迷いましたが、まずは寂光院に。これは、三千院方面を後でじっくりと巡ろう、と考えたためです。
バス停からすぐ西方面に降りたところにある高野川の川べり。ちょうどバス停から見下ろせるくらいのところ。
途中の道べり。やってきた方向(南~南東方向)を見返したところ。写真奥の左手の山陰から太陽が昇ってきているよう。
寂光院の入り口。バス停からおよそ15分。左手の石碑に寂光院とある。
参道の石段。さながら紅葉のトンネルのよう。
石段途中にある孤雲(茶室)入口の門。屋根は苔生している。
その屋根の様子。 孤雲(写真中央の平屋)と庭。
本堂。平成12年に火災により消失したが、平成17年に往時に忠実に復元再建された。お堂の中に、ご本尊である六万体地蔵尊菩薩が安置されている
諸行無常の鐘楼。
手前が汀の池。本堂手前左手にある。諸行無常の鐘楼は、平家物語に語られる。
四方正面の庭。本堂と書院に囲まれるようにある。
本堂から汀の池、諸行無常の鐘楼を望む。手前は千年姫小松(御神木)。
<<寂光院(じゃっこういん)>>
所在地:京都府京都市左京区大原草生町
建立:推古2(594)年、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うため建立。
備考:天台宗の尼寺。山号は清香山、寺号を玉泉寺という。平清盛の息女で高倉天皇の皇后、安徳天皇の御母である建礼門院がお入りになり、源平の戦いに敗れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔いつつ、終生をこの地で過ごされた(寂光院しおりより)。
リンク:京都大原寂光院HP
<<京都>>洛北、大原。
(つづく)
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