遠隔専門ヒーラー ハスノのあれこれ日報

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ブロックされた時は「私はあの人の人生に必要な人間になりたかったのか? その責任を負いたかったのか?」、ブロックする時は「私は自分の人生にあの人を織り込んでいきたいのか否か?」を問うてみよう。

2017年07月16日 | 戯言(日記)

フェイスブックには、ブロックという機能がある。
交流したくない相手の存在を拒否どころか、フェイスブック上から消し去るという、なかなかどうして攻めてる機能だ。
 
ブロックすると、お互いのタイムラインはおろかトップページすらいけなくなる。
タグづけされていてもリンクされない。
コメントも表示されない。
 
これはとても快適な機能だ。
 
だがこの機能が辛い人もいる。
ブロックされたと知ったときに、それを辛いを考える人がいる。
例えば久しぶりに見に行こうとしたらブロックされていた。例えば他の人の記事やコメントで名前からのリンクがなくてブロックされているとわかった。ケンカになるようなメッセージのやりとりの最後がブロックだった。などなど。
いろいろな理由があるだろうが、ブロックという機能自体に善悪はない。けれども、ブロックという機能を使うか使わないかを決めているのは生身の人間だ。
だからこそ、感情が刺激される。
 
私はこう考えるようにしている。
「私の人生にその人は必要か? その人の人生にとって私は必要とされる人になりたいのか?」
 
答えはいつもこうだ。
「必要ではない」
 
なぜって。
ブロックへと至るような関係の人だからだ。
私がどんなに相手を好きでも、相手の人生に私が必要ないとか、その逆とか。
そりゃもうぶっちゃけ終わってるでしょ。
それをいちいち考えても仕方ないと思う。 
人は誰もが唯一無二の存在だ。
けれども、楽しい友達はいくらでも出来るし、恋愛相手だって人類の半数が異性だ。
 
となれば。
 
ブロックという結論に至る人に思いを寄せるよりも、新しい関係を探した方が建設的じゃないだろうか。
 
ブロックに対する思いはそれぞれだけれど、一つだけ確実なことがある。
ブロックしたりされたりした相手のことより、繋がっている人が大事で好きだということ。
 
大切なのはそれを忘れないことだと思う。
自分を好きでいてくれる人がたくさんいること。自分が好きだと思える人がたくさんいること。
それを忘れなければ、それでいいんじゃないかと思う。それを忘れなければ、ブロックは恐くないと思う。

 

 

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