河童のジオログ  生きていることに感謝しつつ

当ブログは余暇を利用して
京都市内を駆け巡っております河童の日々雑感でございます。
河童敬白

旧東海道一人走り旅藤沢小田原

2016年12月28日 15時13分47秒 | ジョギング・トレランの部屋

 夜行バスで横浜に到着。

早朝だったので横浜から泉岳寺に出かけた。11月の日本橋からのスタートの際、立ち寄れなかったのでやり直しの意味を込めて立ち寄った。6時30分だったので、まだ開門していなかった。

  

(↑薩摩藩邸説明図)        ( ↑江戸開城碑)

 そこで、西郷と勝海舟が江戸無血開城を決めた旧薩摩藩邸跡に出かけた。西郷が偉いのか勝が偉いのか分からないがじーんと来るものがあった。それを見た後はまた小走りで泉岳寺に戻った。今度は門は開いていた。

写真は、閉門時に移したもの)

(吉良上野介の首洗い井戸)

 40数年ぶりの参拝であり、全く記憶がなかった。しかし、赤穂浪士の墓にお参りしたらだんだんと昔の記憶が甦ってきた。

  

(全員の墓の位置と氏名)      (大石内蔵助の墓)

11月の時は晩7時ごろなので当然見れていないし、夜の墓は怖いから、結果として今日見れてよかったと変に納得。このあと、今回の旅の始まりである藤沢に移動した。

 

 駅から前回の終了地点の藤沢橋まで走りそこから再スタート。

(↑確か義経の首洗塚?義経は東北で死んだんだろうけれど、遺体が発見されていなので伝説として首がここにあってもおかしくないそうだ。そりゃそうだが)

 茅ヶ崎を過ぎ、相模川を渡った。途中、若者が走っていた。肩に襷をかけてけっこなスピードで走っている。「まさか、本番の練習?」と思った。エリートランナーなんだろう。走り方が様になっている。箱根駅伝に関する交通規制表示も至る所にある。なんだか、河童が箱根駅での露払いをしているような想いがした。

(↑写真は東京高輪の規制表示)

(↑南湖の左富士:中央の雲の方向に富士が隠れているはず)

  東海道を京へ向けて行くと富士は右手に見えるものだが、ここ南湖と吉原では左手に見えるとのこと。道行く人に南湖の場所を訪ねてもなかなか答えが返ってこない。さもありなんよ。知らぬは地元人のみっていうじゃない??

(↑南湖の左富士説明碑)

↑化粧坂(けわいざか)の途中にあった大磯宿の絵を写真に撮っていたら、地元のお年寄りが「虎御前の化粧井戸もみたか?」とおっしゃるので「いいえ」と答えたら是非見てとのことで、またてくてくと坂を下りて行った。なんだか美人には化粧に伴う井戸が付きものだ。京都醍醐の随心院の小野小町の化粧井戸もみたことがある。美人しか井戸を使えなかったの?(冗談です)

 (化粧坂の化粧井戸)

  ここあたりから東海道五十七次のマラニックランナーとすれ違うようになった。どうも大会があったようだ(帰宅してから調べてところによると五十三に加え京街道の4宿を入れてマラニックのステージ大会をやっていたようだ)。

(←今となってはどこの一里塚かわかりません)

 だんだんと歩きが多くなり小田原到着が4時半の目標が5時になり、そして五時半になった。駅前のビジネスに宿を確保してから夕ご飯を食べに出た。小田原だからどうしても海鮮丼が食べたく、それらしき店に入って明日の地図を見つつ命の水をいただいた。

 (サーモン、シラス、桜エビ入りどんぶり、アオサの味噌汁、命の水)

 

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