河童のジオログ  生きていることに感謝しつつ

当ブログは余暇を利用して
京都市内を駆け巡っております河童の日々雑感でございます。
河童敬白

旧東海道一人走り旅 本宿鳴海

2017年06月19日 19時43分32秒 | ジョギング・トレランの部屋

 名古屋で名鉄に乗り換え、前回の旅の終わり本宿に向かう。大きく立派な駅であるも乗降客2~3人。今回の旅は距離は欲張らず名古屋までと決めていた。準備をしていると近くで大きな声で親子喧嘩が始まった。娘を母親が迎えに来たようだが、遅いと意って娘が怒っているようだ。まだ朝8時であり、迎えるということは娘はもしかしたら朝帰りか?。河童が利用した電車から下車しなかったが。河童も人の親、「子育ては大変ですね」と母親に同情したい思いであった。

 さて、地図で街道を確認しのんびり歩き始める。松並木を掃除している人にあいさつしながらパチリ、本宿もちょっとではあるものの松並木があった。以下、この旅でも各ところで松並木をみた。ほっとする。

ほどなく行くと藤川宿の松並木。ここでも掃除のご主人にあいさつ。ご主人は「ご苦労様です」と声を返してくれた。 ランニングの格好をして走っている河童にかけてくれる言葉としたら、「ご苦労さま」ではなく、「お疲れ様」とか「頑張って!」であろうと思うが、屁理屈を考えていてもしようがない。この辺りの掃除は地域のボランテイアで賄われているようだ。河童から「ご苦労様です」というのが本筋だろうと思う。それにしても旅の途中であいさつ等しても無視される場合が多い中で会話があるのだからあり難いことである。感謝。

 ちょっとお腹がすいたので早めの食事を摂った。コンビニでラーメンを摂った時、気になるのが汁の処分。白湯なら道路に撒けるが汁物は憚られる。コンビニで処分について表示してあればよいのだが。

街道からちょっとそれて西太平藩陣屋を見学。大岡越前守が吉宗の推挙で1万石の大名となった時の屋敷らしい。解説文によると家臣が5~6人が詰めていただけだそうだ。

太平一里塚を過ぎると岡崎。宿内は二十七曲りの道標に従ってくるくると回ったが、結果として岡崎城にはたどり着けなかった。岡崎は八丁味噌の発祥の地だそうだ。時計を見ると12時50分、くるくると回り疲れてお腹もすいたのでコンビニ食事とした

せっかく命の水をいただいているのに、風上で工事の人夫が喫煙。河童は煙に咽てゴホンゴホン。周りの状況など気にしない連中だし、文句でも言ったらボコボコニされそうで、早々に立ち去った。最近、コンビニ前が喫煙者の憩いの場所になっている状況をみるとコンビニ周辺の環境規制条例の制定が必要ではないかと思う。ほんまに腹の立つ。とは言いつつも命の水で気分も一新、ルンルンで進んで行った。交通標識で自分が今川町にいることを確認した。「もしやあの今川?」と思いつつ進む。「あった。やっぱりそうだったんだ!」と納得した。

織田信長が今川義元を打ち破ったあの桶狭間の戦いがあった場所が公園となっていた。約500年の時が流れているにしても河童がイメージしていたものとは違っていた。義元は近くで倒れたらしいがこの現状をみてどのように思っているであろうか。

この後、鳴海宿で道に迷い意気消沈。熱田宿を前に名鉄の飛道具を使い名古屋へ向かった。次回は桜駅から。三条まであと約150Km

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