2002年11月。FFXI史上最大級の変化をもたらしたバージョンアップが行われた。
特に戦闘関連はそれまでの殴られてTPを貯める仕様から殴って貯める仕様に変わり、固定盾戦術が導入された。また物理系WSの命中率が修正され、それまでの魔法系WS全盛から大きく様変わりした。バラードⅡが導入されたのもこのときで、吟遊詩人が大人気ジョブとなった。
レベルキャップは60に引き上げられ、ジョブ別専用装備アーティファクトが導入され、プレイヤーの憧れの装備となった(エキストラジョブは12月に導入)。
また、この大規模バージョンアップの直前にWindows版が発売された。
それに伴い、三国周辺エリアが獣人支配に陥落する危機を迎えた。コンクェスト発表間際の日曜の夜に、サルタバルタで辻ケアルをして走り回ったのもいい思い出だ。
前回のメモリーズ・オブ・ヴァナ・ディールの記事の中でレベルキャップに到達したと書いたが、記憶違いで当時は54で止めていたはずだ。レベルキャップ引き上げのクエストはバージョンアップ後そう間を置かずにクリアしたけれど、直後ではなかった気がする。野良で参加したときは、数人のお手伝いさんがいた。もちろん彼らもレベルはほとんど変わらなかったが。
60へ向けてレベル上げをしながらも、最も気になっていたのがアーティファクトの存在だ。ジョブ別装備。特に赤魔道士のそれは見た目が素晴らしく、強く憧れる存在だった。アーティファクトは3つの連続クエストと3つのコッファーを開けることで手に入る。問題は連続クエストの最後のもので、どのジョブでもフルアラに近い人数が必要だと言われた。
当時自分の所属するLSは人数はいたものの高レベルは私一人だけ。知り合いやフレだけではとても人数は揃いそうになかった。ほとんど諦めに近い気持ちでいたある日、ル・ルデの庭の競売前に立っているとテルが来た。それは、赤AF3を一緒にやらないかというお誘いだった。
赤と白のAF3の共同開催がベースではあったが、赤魔道士8人という構成で、しかも鯖でよく知られた名前の人も多かった。他にツテがあるわけでもない私は一も二もなく参加した。当時はまだ情報が乏しく、特に赤のAF3は難易度が高いとネット上で噂されていた。
そして、フェ・インへ。白魔道士のAF3は厳しい戦いだったがなんとか人数分終わらせた。当時はバグでリレイズⅡが他のメンバーに掛けられたためなんとかやれたと言えるかもしれない。まだレベル60に達するものはほとんどいず、AFコンプした人もごく少数だった。
赤のAF3は2段階で、まずはフェ・インのNMオバケを倒してドロップアイテムを得る必要がある。かなり厳しい戦いだったがなんとか勝利。2戦目までは順調だったが、その後、待てど暮らせどNMがポップしない。ポップ条件が不明だったため、結局その日はそれで終わりとなった。
だが、そのとき参加したうちの7人で全員分取れるまで毎日フェ・インへ行こうという協定が結ばれた。もちろん私も参加。とはいえ問題は人集め。フルアラに近い人数が必要で、またこれ以上赤魔道士の参加者は増やせない。各自が毎日一人以上の手伝いを連れてくることになったが、高レベルでなければならないため非常に大変だった。知り合いのLSの方にお願いしてなんとかノルマをクリアしたが、かなり気の疲れる日々だった。
それでも普通のプレイでは味わえない体験ができたのも事実だ。毎日フルアラで強敵に挑むというのは、HNMLSにでも入ってないと当時はまずありえないことだった。フェ・イン詣でのついでに他の鍵取りなども行った。こうしてついに全員のアイテムを取り終え、次はいよいよ要塞のゴーレム戦となった。
強いと言われていたが、意外と楽に倒せた。範囲は凄まじいが位置取りをしっかりすれば問題ない。こちらは一度外に出ることでリポップするということで全員分を連戦した。時間が掛かって大変だったものの、念願の赤い帽子をゲットした。このときまだ60に達していなくて、すぐにかぶれなかったのは残念だったが、それでも強い目標ができた。今でも愛用のワーロックシャポー。今でもあのときのことを思い出す。ボスディン氷河やフェ・インでの思い出を。
特に戦闘関連はそれまでの殴られてTPを貯める仕様から殴って貯める仕様に変わり、固定盾戦術が導入された。また物理系WSの命中率が修正され、それまでの魔法系WS全盛から大きく様変わりした。バラードⅡが導入されたのもこのときで、吟遊詩人が大人気ジョブとなった。
レベルキャップは60に引き上げられ、ジョブ別専用装備アーティファクトが導入され、プレイヤーの憧れの装備となった(エキストラジョブは12月に導入)。
また、この大規模バージョンアップの直前にWindows版が発売された。
それに伴い、三国周辺エリアが獣人支配に陥落する危機を迎えた。コンクェスト発表間際の日曜の夜に、サルタバルタで辻ケアルをして走り回ったのもいい思い出だ。
前回のメモリーズ・オブ・ヴァナ・ディールの記事の中でレベルキャップに到達したと書いたが、記憶違いで当時は54で止めていたはずだ。レベルキャップ引き上げのクエストはバージョンアップ後そう間を置かずにクリアしたけれど、直後ではなかった気がする。野良で参加したときは、数人のお手伝いさんがいた。もちろん彼らもレベルはほとんど変わらなかったが。
60へ向けてレベル上げをしながらも、最も気になっていたのがアーティファクトの存在だ。ジョブ別装備。特に赤魔道士のそれは見た目が素晴らしく、強く憧れる存在だった。アーティファクトは3つの連続クエストと3つのコッファーを開けることで手に入る。問題は連続クエストの最後のもので、どのジョブでもフルアラに近い人数が必要だと言われた。
当時自分の所属するLSは人数はいたものの高レベルは私一人だけ。知り合いやフレだけではとても人数は揃いそうになかった。ほとんど諦めに近い気持ちでいたある日、ル・ルデの庭の競売前に立っているとテルが来た。それは、赤AF3を一緒にやらないかというお誘いだった。
赤と白のAF3の共同開催がベースではあったが、赤魔道士8人という構成で、しかも鯖でよく知られた名前の人も多かった。他にツテがあるわけでもない私は一も二もなく参加した。当時はまだ情報が乏しく、特に赤のAF3は難易度が高いとネット上で噂されていた。
そして、フェ・インへ。白魔道士のAF3は厳しい戦いだったがなんとか人数分終わらせた。当時はバグでリレイズⅡが他のメンバーに掛けられたためなんとかやれたと言えるかもしれない。まだレベル60に達するものはほとんどいず、AFコンプした人もごく少数だった。
赤のAF3は2段階で、まずはフェ・インのNMオバケを倒してドロップアイテムを得る必要がある。かなり厳しい戦いだったがなんとか勝利。2戦目までは順調だったが、その後、待てど暮らせどNMがポップしない。ポップ条件が不明だったため、結局その日はそれで終わりとなった。
だが、そのとき参加したうちの7人で全員分取れるまで毎日フェ・インへ行こうという協定が結ばれた。もちろん私も参加。とはいえ問題は人集め。フルアラに近い人数が必要で、またこれ以上赤魔道士の参加者は増やせない。各自が毎日一人以上の手伝いを連れてくることになったが、高レベルでなければならないため非常に大変だった。知り合いのLSの方にお願いしてなんとかノルマをクリアしたが、かなり気の疲れる日々だった。
それでも普通のプレイでは味わえない体験ができたのも事実だ。毎日フルアラで強敵に挑むというのは、HNMLSにでも入ってないと当時はまずありえないことだった。フェ・イン詣でのついでに他の鍵取りなども行った。こうしてついに全員のアイテムを取り終え、次はいよいよ要塞のゴーレム戦となった。
強いと言われていたが、意外と楽に倒せた。範囲は凄まじいが位置取りをしっかりすれば問題ない。こちらは一度外に出ることでリポップするということで全員分を連戦した。時間が掛かって大変だったものの、念願の赤い帽子をゲットした。このときまだ60に達していなくて、すぐにかぶれなかったのは残念だったが、それでも強い目標ができた。今でも愛用のワーロックシャポー。今でもあのときのことを思い出す。ボスディン氷河やフェ・インでの思い出を。