時間の外 

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

骨粗鬆症の怖さ

2017年04月19日 | 日々の、あれこれ

先日、会社の部署違いの同僚が松葉づえで会社に現れた。

話を聞いてみると、自宅の階段で2~3段足を踏み外し、かかとの骨が割れたらしい。

彼は十分におじさんの年齢ではあるけど、決して高齢者というほどの年齢ではない。

せいぜい「中年」である。

それでも、すでに骨粗鬆症だったらしい。

それが災いし、たった2~3段階段で足を踏み外しただけで、全治数カ月の大けがにつながってしまったらしい。

 

 

以前にも同じようなネタでブログ記事を書いたが、再び書いてみたい。

自宅という場所は、人間にとってくつろげたり、安心できる場所であろう。よほど特殊な事情がない限り。

だが、そんな自宅であっても、やはり危険というものは潜んでいる。

改めてそんな思いを持ってしまう。

 

ご老人と呼ばれる年代の人が、自宅で転んで大けがしたり、車いすや寝たきりになってしまうケースをテレビなどで聞いた時、当初私はピンとこなかった。

なぜ自宅でそんなことになるの?という感じで。

もちろん、例えば大きな地震がきて、家具が倒れたり、家が崩れたりして、その下敷きになってしまう場合はある。

そんな場合は大けがにつながるのは分かる。

だが、普段の日常で、何気に自宅で転んだだけで、車いす生活や、寝たきりになってしまうものなのだろうか・・と思うと、どうも当初私はピンとこなかったのだ。

 

だが・・・普段の自宅での何気ない日常に潜む、ちょっとした転倒が、おおごとになってしまうということを私も去年痛感することになった。

 

私自身のことではないが・・・。

 

 

聞けば、人間は年齢を重ねると、だんだん骨も弱くなっていく。脆くもなっていく。

特に女性の場合は、70歳を超えると、2人に1人が骨粗鬆症だという。

それ以上の年齢になると、その割合はますます高くなっていくとか。

 

以前にも書いたが、私の親族の高齢女性でも年齢と共にだいぶ骨が脆くなっている人がいる。定期健診で、医者からよく指摘されているようだ。

幸いなことに今はまだその人は元気だ。

だが、その人は、常日頃から医者に、「絶対に転ばないでください。」「常日頃から、転ばないように注意していてください」と言われているそうだ。

だいぶ骨が弱いみたいなので、もしも転倒してしまったら、うちどころによっては、車いす生活になったり、寝たきりになってしまう可能性があるそうだ。

 

 

まあ、人間、転びたくて転ぶ人などいないだろう。

よほど特殊なケースでもない限り、わざと転ぶお年寄りなど、いないだろう。

だが、日常の一瞬の不注意で転んでしまう場合もある。

その場合・・・一瞬の不注意が、その後の「寝たきり生活」に繋がってしまう可能性も・・あるのだ。

数秒前まで普通に歩け、自分でトイレに行ったり、自分で風呂に入ったり、料理を作ったりすることができていた体だったのに、自宅でのその一瞬の不注意以後、人生がガラリと変わってしまうことになるのだ・・。

 

ましてやその人が、普段行動的な人だったとしたら?

しかも、もしもプライドが高い人だったりしたら、なおさら。

 

普段行動的だった人が、一瞬の不注意のせいで寝たきりになってしまい、自力では旅行はおろか、買い物にも行けない、友人や家族にも会いにいけない、トイレにも行けない、風呂にも入れない、家事もできない・・なんてことになってしまったら?

しかもそれが、本来安全で憩いの場所でもあった自宅での転倒が原因だとしたら?

そして、すでに高齢な方だったら・・?

 

心理的な落ち込みは相当なもののはず。

周りの人にとっては、その高齢な方の心理的なものも心配だろう。

 

不幸なことである。

 

人間、歳をとれば、衰えもくるし、骨がもろくなるのは仕方ないのだろう。

だとしたら、極力普段から「絶対に転ばない」ということを頭に入れておいて、心がけておいてほしいと思う。

実際に「絶対に転ばない」ということは難しいかもしれないが、そう心がけるだけでも大事なことだと思う。

心がけるだけで、不用意な行動は・・・少なくても、心がけない人よりは避けることもできると思うので。

 

家の中に段差があるのなら、どこに段差があるかは普段から意識しておく。

突発的に動かない。

そして、なるべく、普段から「思い出す」ということを心がけておく。

あと、指を動かすことは老化防止にも役立つらしいので、楽器、パソコンキーボード、絵を描くなども良いと聞く。

 

世の中にはまるで強迫でもされたかのように「前を向く」ことを、心地よい言葉と共に迫ってくる人もいるが、もしも「現実がつらい」とか「前があまり見えない」のなら、過去がいっぱいあるじゃないか。

そんな時は、その過去を思い出すようにすればいい。楽しかったことなどを。

その人にとって良い記憶である「過去」を思い出し、前の見えない現実の苦しさをやわらげるのが、悪いことなのだろうか?

過去を振り返らないのが、そんなに大事なことのか?

前が見えない人にとっては、過去がその人の「前」につながることもある・・と私は思う。

そんな人にとって「前だけ見て」とか「振り返るな」とかの「かっこいい言葉」「威勢のいい言葉」「響きの良い言葉」は辛いだけだったりもするし、傷つけもするし、無神経だとも思う。

 

 

だいいち、前だけ見てたら、後ろがガラ空きになってしまうし(笑)。

 

正直、私は脅迫でもされたかののように「前向き病」な人と一緒にいると、疲れることもある。煙たいこともある。若い言葉を借りれば「ウザイ」こともある。

こちらの精神状態が良好な時なら、そういう人と一緒にいても苦痛ではないし、元気をもらえる時もあるが、人間そうそういつでもそういう状態であるとは限らない。

そんな時に、そういう人と一緒にいると、正直しんどくなったりする。

 

 

ともかく、本来一番くつろげる場所であるはずの自宅であっても、危険は潜んでいる。

何気ない一瞬の不注意で転倒したことが、その後の人生を一変させることにもなるのだ。

そんな展開になってしまったら、その人にとって楽しかった過去や、誇らしい過去に頼ってみたっていいじゃないか。

なぜなら、それもその人だったのだから。その人が、その人生において積み重ねてきた財産なのだから。

それを支えにして、少しでも気力につなげ、時には慰めにもして、生きていってくれるなら、それに越したことはないと思う。

 

こんな思いをここで書いてしまうきっかけは、冒頭でも書いたが、まだ中年と言われる同僚が、すでに骨粗鬆症で、たった2~3段階段を踏み外しただけで、全治数カ月のケガをし、松葉づえ生活になってしまったこと。

 

転ぶ・・・というアクシデント、やはり十分に気をつけたい。

屋外はもちろん、屋内でも。

特に、一番リラックスできる自宅でも。隙があると思うので。

 

以前にも、今回と似たようなネタで記事を書いた時にも書いたことだが・・・あらためて、皆さんも、どうかお気をつけください。

 

 

 

 

 

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