祈りの日を迎えた長崎市
教会の鐘が鳴り響く日でもある
どこの地でも同じだと思っていた小学生時代
長崎出身の両親の子に生まれた私は被爆2世
両親は家族共々被爆
自宅の縁側で乳児の妹を抱いていた母と兄弟たちは爆風で身体が飛ばされ、気がつくと熱い!熱い!と口々に叫びながらお風呂で水をかぶったそうだ
抱いていた妹もやはり飛ばされたが無事
ただ、2人いる下の弟は防空壕に運ばれても数日間は気絶したままだったという
たまたま母の自宅は原爆を投下された浦上からは山が間にあった為、この程度で済み、家族8人とも無事だった
父の被爆体験はあまり聞いてはいない
ただ、畑仕事をしていた際に機銃掃射を受けた事だけは繰り返し聞かされた
長崎で生まれ育ち、この原爆の日には必ず出校日となり、様々な話を聞けた事はある意味財産だろう
絶対に風化させてはいけない歴史だ
教会の鐘が鳴り響く日でもある
どこの地でも同じだと思っていた小学生時代
長崎出身の両親の子に生まれた私は被爆2世
両親は家族共々被爆
自宅の縁側で乳児の妹を抱いていた母と兄弟たちは爆風で身体が飛ばされ、気がつくと熱い!熱い!と口々に叫びながらお風呂で水をかぶったそうだ
抱いていた妹もやはり飛ばされたが無事
ただ、2人いる下の弟は防空壕に運ばれても数日間は気絶したままだったという
たまたま母の自宅は原爆を投下された浦上からは山が間にあった為、この程度で済み、家族8人とも無事だった
父の被爆体験はあまり聞いてはいない
ただ、畑仕事をしていた際に機銃掃射を受けた事だけは繰り返し聞かされた
長崎で生まれ育ち、この原爆の日には必ず出校日となり、様々な話を聞けた事はある意味財産だろう
絶対に風化させてはいけない歴史だ