長い時間をかけ、日本という「風土」に帰化し、土着豪族のサルタヒコと自らの祖をともに伊勢におまつりし、北方のニギハヤヒ系とも同じ天孫(騎馬民族)の血筋として手を携えて日本を治めていた天皇家(大和朝廷)が、飛鳥以降の「近年」になって半島や大陸からの遺臣・棄民を受け入れて(乗っ取られて)、その性格を変えていった。このプロセスというのは、日本が循環型分散社会から略奪型中央集権社会へと変わっていた転換期に位置づけられると思います(遅れた狩猟採取中心の社会が渡来人の文化によって近代化されたという解釈は恣意的なプロパガンダでしょう)。その過程で、「ヲシテ」のような数千年の歴史に支えられた当時の先進的持続型文化・哲学が失われていったようです。
http://julian.way-nifty.com/woshite/2006/04/post_9a50.html
さらにそれを徹底的に踏み潰したのが、奈良時代以降本格化した漢民族の傭兵を使った地方豪族・住民の虐殺・奴隷化・囲い込みです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%B8%8A%E6%B0%8F
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%A4
これ以降、公家や天皇家が「ケガレ」と「祟り」を異常に恐れるようになるのは、内部の派閥闘争の激化に加え、地方民の虐殺に係った罪の意識があったからではないでしょうか。しかし当時、外来の律令的思考に染まった人々には、支配権闘争で滅ぼした地方の犠牲者を神として「祈り奉る」思想はすでになく、蝦夷地に対してはこれまた渡来の「呪術」によって、亡骸の埋めた地面を踏み固め、祟りを押さえようとしたようです。
その名残は、岩手県奥州市の「江刺」(=夷刺・夷裂)という地名と当地に残された祭り「鬼剣舞」の形態に見ることができます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E5%89%A3%E8%88%9E
>>>この踊りの独特の歩行に、修験道の鎮魂の呪術のひとつ「反閇(へんばい)」がある。陰陽道で用いられる呪術的歩行のひとつで、「大地を踏み悪魔を踏み鎮め、場の気を整えて清浄にする目的で行われる舞い」・・・<<<
「鬼剣舞」は、被征服者である子孫が征服者の格好(鬼仏)に扮して、殺された先祖に対して「鎮魂の呪術」を行うという複雑な側面を持っています。
しかしながら、この「鎮魂の呪術」は時が経つにつれて自ずと「復活の祈り」に変貌していると見ることもできます。それは例えば、以下のような宮沢賢治の詩から読み取れます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E4%BD%93%E5%89%A3%E8%88%9E%E9%80%A3
>>>・・・菩提樹皮と縄とをまとふ 気圏の戦士わが朋たちよ 青らみわたるこう気をふかみ 楢と椈とのうれひをあつめ 蛇紋山地に篝をかかげ ひのきの髪をうちゆすり まるめろの匂のそらに あたらしい星雲を燃せ・・・<<<
東北の祭りや文学・芸術に、単なる華やかさや優しさだけでなく、地の底から湧き上がるような地霊の唸りがあり、また輝くような清浄さとともに深い「死の影」があるのは、上記のような背景と無縁ではないでしょう。なぜ、「ねぶた」で侵略者である坂上田村麻呂の山車を押して地を踏み跳ねるのか、宮城や岩手には、なぜ坂上氏が創建した「寺社」が多いのか。これを「謎」と呼ぶには、あまりに「あからさま」ではないでしょうか。
日本に失われたヲシテの心を復活させ、循環型の分散社会を実現することが、東北の地に眠る魂を真に開放することと思います。また、そのことが皇室を否定せずに、「本来の姿」に戻っていただくための環境作りになるのではないでしょうか。
そもそも(ヲシテ文献の通りならば)ヒタカミ(東北)のタカミムスビ家は、ヲシテが守られていた頃の皇室の成り立ちに深いゆかりのある血筋です。ならば、子が親を「思い出す」ように「そこ」に戻ることはできるはずです。
全ては「思い出す」こと。そこから革命が始まるでしょう。
=========================
ちなみに、私の祖父の出身地は、栗駒山の宮城県側の麓です(アテルイが坂上田村麻呂と戦った土地にもかなり近い)。
亡き父の遺灰の一部は、栗駒山のとある祠の近くに撒きました。
上記のようなことに気が付くのも単なる偶然や郷土への思い入れ以上のものがありそうな気がしてしまいます。
映画「千と千尋の神隠し」で自分が何者かを忘れた「優しくて、愚かな」龍のハクが本当の名前を思い出したように、これからも気が付く人がどんどん増えれば良いなと思います。
ちなみに、ハクの本名は「ニギハヤミ コハクヌシ」だそうです(あえてニギハヤヒにはしていないところは宮崎駿のウィットでしょう)。
奈良盆地周辺の古墳から出土する琥珀の多くが、岩手県の久慈地方から運ばれたものであることが、最近の化学分析で判ってきたようですね。
http://www.kuji.co.jp/amber/rekisi.html
コハクの道(川)を幸せの道(川)に戻すために、脱律令制の自然主義経済を東北の地で!
http://julian.way-nifty.com/woshite/2006/04/post_9a50.html
さらにそれを徹底的に踏み潰したのが、奈良時代以降本格化した漢民族の傭兵を使った地方豪族・住民の虐殺・奴隷化・囲い込みです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%B8%8A%E6%B0%8F
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%A4
これ以降、公家や天皇家が「ケガレ」と「祟り」を異常に恐れるようになるのは、内部の派閥闘争の激化に加え、地方民の虐殺に係った罪の意識があったからではないでしょうか。しかし当時、外来の律令的思考に染まった人々には、支配権闘争で滅ぼした地方の犠牲者を神として「祈り奉る」思想はすでになく、蝦夷地に対してはこれまた渡来の「呪術」によって、亡骸の埋めた地面を踏み固め、祟りを押さえようとしたようです。
その名残は、岩手県奥州市の「江刺」(=夷刺・夷裂)という地名と当地に残された祭り「鬼剣舞」の形態に見ることができます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E5%89%A3%E8%88%9E
>>>この踊りの独特の歩行に、修験道の鎮魂の呪術のひとつ「反閇(へんばい)」がある。陰陽道で用いられる呪術的歩行のひとつで、「大地を踏み悪魔を踏み鎮め、場の気を整えて清浄にする目的で行われる舞い」・・・<<<
「鬼剣舞」は、被征服者である子孫が征服者の格好(鬼仏)に扮して、殺された先祖に対して「鎮魂の呪術」を行うという複雑な側面を持っています。
しかしながら、この「鎮魂の呪術」は時が経つにつれて自ずと「復活の祈り」に変貌していると見ることもできます。それは例えば、以下のような宮沢賢治の詩から読み取れます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E4%BD%93%E5%89%A3%E8%88%9E%E9%80%A3
>>>・・・菩提樹皮と縄とをまとふ 気圏の戦士わが朋たちよ 青らみわたるこう気をふかみ 楢と椈とのうれひをあつめ 蛇紋山地に篝をかかげ ひのきの髪をうちゆすり まるめろの匂のそらに あたらしい星雲を燃せ・・・<<<
東北の祭りや文学・芸術に、単なる華やかさや優しさだけでなく、地の底から湧き上がるような地霊の唸りがあり、また輝くような清浄さとともに深い「死の影」があるのは、上記のような背景と無縁ではないでしょう。なぜ、「ねぶた」で侵略者である坂上田村麻呂の山車を押して地を踏み跳ねるのか、宮城や岩手には、なぜ坂上氏が創建した「寺社」が多いのか。これを「謎」と呼ぶには、あまりに「あからさま」ではないでしょうか。
日本に失われたヲシテの心を復活させ、循環型の分散社会を実現することが、東北の地に眠る魂を真に開放することと思います。また、そのことが皇室を否定せずに、「本来の姿」に戻っていただくための環境作りになるのではないでしょうか。
そもそも(ヲシテ文献の通りならば)ヒタカミ(東北)のタカミムスビ家は、ヲシテが守られていた頃の皇室の成り立ちに深いゆかりのある血筋です。ならば、子が親を「思い出す」ように「そこ」に戻ることはできるはずです。
全ては「思い出す」こと。そこから革命が始まるでしょう。
=========================
ちなみに、私の祖父の出身地は、栗駒山の宮城県側の麓です(アテルイが坂上田村麻呂と戦った土地にもかなり近い)。
亡き父の遺灰の一部は、栗駒山のとある祠の近くに撒きました。
上記のようなことに気が付くのも単なる偶然や郷土への思い入れ以上のものがありそうな気がしてしまいます。
映画「千と千尋の神隠し」で自分が何者かを忘れた「優しくて、愚かな」龍のハクが本当の名前を思い出したように、これからも気が付く人がどんどん増えれば良いなと思います。
ちなみに、ハクの本名は「ニギハヤミ コハクヌシ」だそうです(あえてニギハヤヒにはしていないところは宮崎駿のウィットでしょう)。
奈良盆地周辺の古墳から出土する琥珀の多くが、岩手県の久慈地方から運ばれたものであることが、最近の化学分析で判ってきたようですね。
http://www.kuji.co.jp/amber/rekisi.html
コハクの道(川)を幸せの道(川)に戻すために、脱律令制の自然主義経済を東北の地で!











>よって近代化されたという解釈は恣意的なプロパガンダ
土地に根付き、自然の声に耳を傾ける縄文人の魂を、グローバリストである薩長新政府が根絶やしにしようと、記紀を悪用したのだと思っています。
記紀を編纂したのも、グローバリストの末裔である藤原氏のプロパガンダですから、このへんは奇妙に符合します。
>公家や天皇家が「ケガレ」と「祟り」を異常に
>恐れるようになるのは、内部の派閥闘争の激化に
>加え、地方民の虐殺に係った罪の意識があった
>からではないでしょうか。
アメリカやオーストラリアが捕鯨やイルカ漁を過度に攻撃するのと同じですね。弱いものを守るという自己像を作ることで、虐殺者としての自己憐憫を晴らしたいのです。
>坂上田村麻呂
彼は初代の征夷大将軍ですが、最後にはアテルイの助命を嘆願したそうです。
立場は違えど、全力を尽くして戦った相手に、高潔な魂を見て取ったのでしょう。そこには、自善他悪を乗り越えた何かがあります。もしかしたら、勝者こそ敗者であり、敗者こそ勝者であると、悟っていたのかもしれません。
田村麻呂こそ日本人の原型だと私は思います。
>脱律令制の自然主義経済を東北の地で!
秋田が一番有望だと思っています。食品偽装の記事の第三弾は、その思いを込めて書きました。
秋田が米、青森が海産物と果実、岩手が麦を含めた雑穀と野菜・・・この3県が組むだけで独立した経済共同体が生まれます。
その気になれば、北海道が一番実現が早い気がするのですが、その声が出てくる前に白い恋人やミートホープが潰されました。あれは、グローバリストの宣戦布告です。食糧基地を徹底して奴隷化しようという策動が始まっている気がします。
拙ブログの記事をご紹介下さり大変嬉しく、喜んでおります。
実は私も、かねてから通貨について同じような思いをいだき、あるNPOの地域通貨の活動の中にもおりました。
(現在はその地を離れておりますので、心残りではあります)
またいわゆる環境保護活動についても、貴方さまと同じ思いを抱いております。
私たちの祖先のなされたことを、本当に「思い出す」ことによって少しでも現在の状況が変わっていきますように願っております。
最後に興味深いサイトをご紹介します。
今後ともよろしくお願い致します。
……………………
「非電化工房」
http://www.hidenka.net/
貧しい昔に 戻るのではなく 新しい豊かさを 愉しめるように・・・
非電化工房では 非電化製品の発明を通して
電気でなくても 快適・便利はホドホド実現できることを 追求しています
愉しい選択肢に 小さく加えていただければ 大きな仕合わせです
……………………
快心のエントリー、御見それしました
私が注目しているのは、初代傭兵隊長「安部比羅夫」です。彼は白村江の直前、蝦夷を成敗しています。これを類推するに、
東北の先住民を大量にかき集め、百済救援に差し向け、唐新羅軍にぶつけ、消耗している間に百済王族の日本亡命の時間稼ぎに使ったのではということです。
大和朝廷にとっては蝦夷が半島ですりつぶされれば
それはそれでOKです。そういえば、防人も関東、東北で集めていましたね。ハンニバルがカンねーでガリア兵を使ったのと同じやり方です
>土地に根付き、自然の声に耳を傾ける縄文人の魂を、グローバリストである薩長新政府が根絶やしにしようと、記紀を悪用したのだと思っています。
そうでしょうね。で、日本というのは、そういう「根絶やし」的なグローバル思想(二元論)が顕れると、伝統的な循環思想が中央から撤退し、しぶとく周辺から復活する、ということを歴史的に繰り返してきたように思います。今後のポイントは明治維新以降のトラウマを乗り越えて、多くの人々がこのことを「思い出す」かどうかだと思います(すでにサブカルチャー部門でその萌芽は出ていると感じます)。
>弱いものを守るという自己像を作ることで、虐殺者としての自己憐憫を晴らしたいのです。
それに加えて、彼らはクジラやイルカのことを「ペット」だと思っています。地球はきれいな「庭園」で、それを荒らす「サルども」は許せんということでしょう。たぶん彼らはとても「寂しい」のだと思います。そしてその寂しさの根本が自らの心の内側にあることに気が付いていない。そこを教えることができるのは伝統的な循環思想を持った人だけだと思います。
>立場は違えど、全力を尽くして戦った相手に、高潔な魂を見て取ったのでしょう。そこには、自善他悪を乗り越えた何かがあります。
確かに田村麻呂は蝦夷制圧において自他の立場を客観視していたかもしれません。しかし、そこから「日本人の原型」を演繹するのはちょっと困難だと思います。むしろ三国志に出てくる武人のように民草に対する虐殺や収奪は当然で、己のライバルとなる武人を尊敬するようなメンタリティーかとも想像します。もしかしたら充分帰化(感化)していた可能性も否定はできませんが、現在伝わっている田村麻呂像から実態を想像するのはなかなか難しいと感じます。
>食糧基地を徹底して奴隷化しようという策動が始まっている気がします。
そう思います。これを阻止することが当面とにかく重要なことですね。東北・北海道はその気があれば、自主経済圏すら作れると思いますが、一方で日本はグローバル化の世界を戦略的に生き延び(その結果として世界の崩壊を抑止する)必要があるわけで、やはり歴史的な東西の違い、地方と中央の役割を認めた上で新たな国家・共同体像を結ぶ必要があると思います。
こちらこそびーちぇさんにコメントいただき大変嬉しく思います。
真名さんの日本巡礼を見てから、びーちぇさんのブログを知り、愛読しておりました。
ヲシテ文献については、私はまったくの門外漢ですが、びーちぇさんや真名さんの解説を読んで直感的にですが、その内容に本質的なものが含まれていると思っています。
私も研究者の端くれなので、未知の資料を自己都合で解析せず、本質を正確に人々に伝えることの難しさは理解しているつもりですが、ネット上では読み手のリテラシーに任せて少し気楽に情報発信するのもとてもメリットがあると思っています。びーちぇさんのブログからは本当に深い気付きを頂きました。
>実は私も、かねてから通貨について同じような思いをいだき、あるNPOの地域通貨の活動の中にもおりました。
そうですか!やはり気が付いて活動している方はたくさんおられるのですね。
私も転勤などがあり、こういった記事を書いておきながらなかなか地元の方と接した活動はできておりません。しかし、伝わる人には伝わるのだということを最近は深く実感しております。
また、地域通貨については、現行のボランティアベースから、もう少し地域行政や農協・漁協等を巻き込んだ新たな金融システムを作る必要があると考えています。あとは地域通貨に「減価」の機能を持たせることが重要だと思います。
>最後に興味深いサイトをご紹介します。
>今後ともよろしくお願い致します。
こちらこそ、なにとぞよろしくお願いいたします。
また、ご紹介いただいたサイトも非常に興味深く拝見いたしました。「新しい豊かさを愉しめる」「快適・便利はホドホド実現」というコンセプトは本当に大切なことだと思います。しかも実用性と芸術性を兼ね備えた活動や創作というのは最近の私の理想でもあります。有益な情報をありがとうございます。
もしよろしければ、びーちぇさんのブログをこちらのBookmarkに加えさせていただきたくお願い申し上げます。
>快心のエントリー、御見それしました
過分なお褒めに預かり恐縮です。
そもそも私の気付きの多くは、孔明さんの多くの論説や上のびーちぇさんや真名さんのヲシテ文献解析による歴史観、また園田義明氏の論説などに支えられています。
孔明さんがろろさんのブログなどで指摘されているように日本人の精神にはおそらく「二重螺旋」の構造が隠されていて、それが歴史や文化にも反映していると思います。語弊を畏れずに言えば、サルタヒコと天孫の祖の融合がおそらく日本人の精神文化の鋳型になっており、その象徴が伊勢神宮という形で現在も存在しているというのが、なんとも素晴らしいと思います。ヲシテ文献の精度がどこまであるか私にはわかりませんが、「漢字」導入以前の歴史において近代的な一神教的二元論を克服した精神文化がすでにあったことは間違いないと感じています。
「飛鳥時代」および「明治維新」というのは、力強い一神教的二元論が日本全体にインパクトを与えた時期であり、その後トラウマを生んでいます。日本人の二重螺旋は一種の「中空の力」でまとまっており、トラウマが深くなるとこの力が弱くなります。
「飛鳥〜平安初期」のトラウマは、その後サルカール的サイクル(武・知・商・民)が進む中で文化的・宗教的にほとんど昇華されました(これはまさに地霊の力でしょう)。一方、明治維新のトラウマは「大東亜戦争」で昇華しきれずに残っており、それが現在日本の危機的要因になっていると思います。「大東亜戦争」でなぜ昇華に失敗したのか、そして今後どのような形でそれを超克すべきなのか、色んなアプローチがあるでしょうが、そのうち一つは過去の歴史を「思い出す」ことにあると思います。
実際にこの「思い出し」は「千と千尋の神隠し」のような神道系イメージを織り込んだサブカルチャーですでに始まっていますから、希望はあると思っています。
あの映画に出てくる「油婆と銭婆」の分裂状態や片道行きだけの電車が、日本人の伝統的精神である二重螺旋の崩壊を意味していることに、なんとなく気が付く人は多いでしょう(しかし、宮崎駿はあの映画にあるたくさんの「仕掛け」を一人で思いついたのでしょうか?それとも有能なブレーンがいるのか、気になるところです)。
>私が注目しているのは、初代傭兵隊長「安部比羅夫」です。彼は白村江の直前、蝦夷を成敗しています。これを類推するに、
東北の先住民を大量にかき集め、百済救援に差し向け、唐新羅軍にぶつけ、消耗している間に百済王族の日本亡命の時間稼ぎに使ったのではということです。
なるほど。これはすとんときますね。
安倍氏というのは「傭兵」を専門とする渡来人の一派なんですね。とすると安倍氏の祖は、中国の南北朝時代に百済と軍事同盟を結んでいた(と思う)南朝国家の遺臣ですか。
安倍氏が水軍の将であったことと、斉明天皇が道教を取り入れたことを考え合わせるとその可能性が一番高いように思います。
白村江の戦いというのは、当時の大和朝廷が祖国百済の王族を救うために、中国南朝の遺臣を傭兵部隊の将としながら、地方の先住民を戦奴として投入した戦いだったわけですか。
これは、とってもリアリティがありますね。
歴史が繰り替えされるとすれば、21世紀の白村江の戦いは、百済系の亡命朝廷ではなくて、国際金融資本系の亡命朝廷が企画するのでしょう。百済亡命朝廷がその後「日本古来の精神」に飲み込まれていったように、「彼ら」も飲み込まれるかどうか。「世界の周辺」に生き残る地霊が「近代」を飲み込むかどうか。
いつも勉強になる話をありがとうございます。
また、阿部氏の出自は「海洋系・渡来人」のキーワードが浮ぶものの、複雑でなかなか実態を掴むのは難しそうですね。
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/abe.htm
以前から読んで下さっているとは!
本当に嬉しいです。
またリンクのお申し出も有り難うございました。
よろしくお願い致します。
あてるい、平泉、奥羽越列藩同盟には何か共通項があるのかも・・・
三内丸山遺跡は青森ですね。奥州藤原氏も平泉です。そういえば、日本の徳川家康になるかもしれない男・小沢一郎も、一応岩手人です。
何か、偶然にしては出来過ぎな気がします。縄文人という一本の線でつながっているのではありませんか。
私も高校の頃から日本各地に行きましたが、気持ちが安らいだのは島根と東北でした。京都大阪と九州は面白かったけれど、何か好きになれませんでした。島根は一昔前までズーズー弁でしたね。出雲は縄文人の飛地だったのかもしれません。
太平洋ベルト辺りを弥生人に征服された縄文人が、裏日本と東北に逃げ込んだとは考えられないでしょうか。越中までは琵琶湖と北国街道という古代のハイウェイを利用する弥生人に制圧されたけれども、越後以北と出雲地方には縄文人が生き残った…。出雲大社は、縄文人の荒ぶる魂を鎮めるための場所だったのかもしれませんね。
→西日本の縄文人は近畿を追われ、諏訪、武蔵、鹿島に逃れました。私見では、弥生の侵略者がなぜこの地を制圧できなかったのか??活火山である富士山の存在が大きいようです。霊峰富士が縄文を守ったといえます
北海の提督阿倍比羅夫
ありがとうございます。
ここのブログは、管理人がものぐさなので、完全不定期ですが、なにとぞよろしくお願いします。
また、私は古代史は趣味で調べる程度で、全く素人なのでもし間違ったことを言っていたらぜひ突っ込んでください。
>>Unknownさん
情報ありがとうございます。これ面白いですね。
度重なる阿部比羅夫の遠征と蝦夷・粛慎との戦で「虜」を都に送っているのが興味深いです。これはやはり帰順させた地方豪族の人質や戦奴かもしれませんね。
それから、
『阿倍比羅夫は両軍の真ん中に、絹や武器などを置いて相手の出方を探りました。粛慎側は長老格の老翁(おきな)か出てきて、それらの物を拾い上げ、一時は和睦が成立したかとおもわれましたが、しばらくしてその物を元の所に返してきました。これはお互い言葉の通じない相手に対する一つの交渉であって、それらの物を貰って別の何かを送れば親睦を表したことになります。しかし、この場合にはそれと逆に敵意を表したことになりました。』
というのも面白い。
まさに交易の始まりと戦争は表裏一体であったことを示唆していると思います。少し前のエントリーで指摘した「サルタヒコの謎」はやはりこの辺の事情を反映していると思います。
http://blog.goo.ne.jp/banabuna/e/1c47d937efa2251b0d60d4d09ab698c2
そしてこれも極めて重要な指摘。
『粛慎は敗れて自分の妻子を殺して、降伏しました。
このような敗軍の処置(敗れたときに妻子を殺す)は大陸仕込みの流儀なのでしょうか?
(日本国内の戦いでもその後なんども同じ様なことはありましたが?)』
阿部比羅夫にはやはり大陸のにおいがしますね。しかし、その後日本国内でもそうした大陸由来の戦(いくさ)文化が定着していったのでしょう。ヲシテの時代も遠くなりにけり、です。
「民」という漢字は人間の目を潰した象徴らしいですが、まさに漢字の輸入とともに、民の目を潰す文化や思想も入ってきたのでしょう。近代思想がありがたがる「合理化」というはまずはそういうもののような気がします。
そして自分達に理解不能な「まつろわぬもの」どもには、「遅れた未開人」というレッテルを貼って、人々の思考に閂をかけたのでしょう。
>>ろろさん、孔明さん
>清水寺に、約10年前北天の雄あてるいの碑ができたのは象徴的です。
清水寺は田村麻呂の創建ですよね。やはり私たちはどこかで「和解」を望む気持ちがあるのだと思います。
>あてるい、平泉、奥羽越列藩同盟には何か共通項があるのかも・・・
大胆な仮説としてはニギハヤヒ系天孫の存在と正当性が、当時はわかる人にはわかっていたということですね。アテルイの血統はツングース系にあるという考察もあるようです。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/oni-megami/oni-megami-4-2.htm
とするとやはりニギハヤヒ系天孫の末裔である可能性が出てきます。
だからこそ当時の朝廷(百済亡命政府)は自分達の正当性を取り繕うためにも、蝦夷地に残るその血筋を抹殺したかったのではないでしょうか(同時に記紀で過去の歴史に蓋をする)。奥州の安倍氏も藤原氏も、当初は朝廷から派遣された俘囚専当(阿部比羅夫の末裔?)や帰順豪族(俘囚長)だったのが、いつの日か中央から独立するためにニギハヤヒ系天孫の「血」を受け継ぐための媒体になっていたと想像します。
土地の支配権を得たものは、結局その土地の地霊(風土・血筋)に飲み込まれるというのが、奥州の地政的ルールなのでしょう。奥州藤原氏滅亡後も何らかの形で残滓はあったのかもしれませんね。例えば(どこまで信用できるかはともかく)津軽で栄えた「安東氏」の系図に「アテルイ」や「阿倍比羅夫」が出てくるところはなかなか興味深いです。この辺が奥羽越列藩同盟を支えた歴史的な基盤かもしれないと想像します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%9D%B1%E6%B0%8F
さらに近代まで想像の羽を伸ばせば、大東亜戦争で日本が負けたときにも満州にて「国体」を維持しようと思った人々も似たような発想があったかのではないでしょうか(清は民族的にも粛慎の末裔と考えられますし)。新国家「満州」を作るというプロジェクトは、天孫の発祥地「粛慎」を復活させるという歴史観に支えられていた、とか。(連山が上部指導者や決定議会を「ハーン」「クリルタイ」などと呼ぶのも、そうした古式ゆかしい天孫系母体=騎馬民族連合の伝統に則っているからとか!?)。
まあ、この辺までくるとひたすらspeculationです。
一言だけ言えるのは、現実の改革にあたって歴史に学ぶことは非常に大切だと思いますが、現実を(本当かどうかも怪しい)失われたロマンにあわせて無理に変革しようとするのは、よろしくないこと・・・と思います。
とはいえ!
>何か、偶然にしては出来過ぎな気がします。
ええ、そう思います(笑)
>縄文人という一本の線でつながっているのではありませんか。
中央に百済渡来人政権が成立して以降、東北というのは実はヲシテ時代の直系血族・文化が残る唯一の土地となった・・・と考えると一本の線の「意味」が見えてきたりして!?
でも、小沢氏が本当にその血を次いでいるかどうかまではわかりません(笑)
私は間違いなく継いでますけどね!(←妄想)
少し話は変わりますが、日本というのは、やはりブリテン諸島での変遷に似ていると思います。ケルトの文化が残ったウェールズ・スコットランド・アイルランドは日本の出羽・奥羽・北海道に相当すると思います。ケルト系を自称するCWニコルが、日本の森に残る縄文の香りにシンパシーを強く感じるのもうなずけます。
イギリスでも「ハリーポッター」のように従来のキリスト教的ではない思想復活の萌芽みられる点はとても興味深いです。
将来日本にニギハヤヒが、ブリテンにアルトリウスが復活し、アメリカに現れるカエサルと同盟を結ぶのが理想ですね。
>出雲は縄文人の飛地だったのかもしれません。
>太平洋ベルト辺りを弥生人に征服された縄文人が、裏日本と東北に逃げ込んだとは考えられないでしょうか。
アテルイの血統がツングース系であることを示唆している先のリンク先にこんな記述があります。
『楛は中国原産の植物の名、幹が矢幹(やがら)に適しており、それで作った矢を楛矢という。この楛矢の漢音はhushi(フシ)、楛をhu(フ)と発音するが、日本語はko(コ)と読む。一矢(イッシ)を報いるというように、矢「ヤ」は「シ」とも読む。従って、日本語では楛矢は「コシ(koshi)」となる。
この楛矢を持って日本海沿岸に渡来した粛慎を、当時の人々は「古志、高志」と呼んだのではないだろうか。そうであれば「おろち」とはツングース族の部族名の『オロチ』だとしても頷ける。』
私は、びーちぇさんのまとめられた南北逆さまのヲシテ時代の地図を見て、以下のような仮説ができるかと考えています。
http://julian.way-nifty.com/woshite/2006/04/post_9a50.html
まず、古代の日本海を渡って、大陸からツングース系(粛慎)の部族(天孫族)が日本に渡ってきます。ヒタカミ(東北)に渡るときは、海岸から高く聳え立つ「鳥海山」が目印だったのではないでしょうか(記紀で鳥海山がニギハヤヒの降臨場所とされるのはその名残かと)。また、陸の見える航路で南に進路を取れば、その行き着く先はツクシ(九州)やイツモ(出雲)です。
ヒタカミもツクシもイツモも、いずれの部族も渡航先(時期)は違ったけれども、(たぶん)元を辿れば、同じ血族です(途中の混血具合に相当の開きはでたかもしれませんが)。
日本海側の航路は、先にヒタカミに着いた部族がパイオニアとなって開拓し、越前から近畿までその勢力圏を広げ、太平洋側は陸路で馬を使って版図を広げたと思います。彼らは陸海の「移動力」を使いながら、統治者としての能力を伸ばしていったと思います。そして、ツクシやイツモに渡った部族とも交流が始まります。
当然、天孫族はこの過程で多くの土着豪族(サルタヒコら)との接触し、戦い、講和したと思います。とくに太平洋側には、(天孫族にはない)黒潮域を航行する技術・知識を有する海洋系民族が大勢住んでおり、彼らと和解・共存するのにかなりの労力を払ったと推察します。伊勢というのは、おそらく縄文の頃に両部族が和解に達し、共栄を祝うために作られたシンボルだと思っています。伊勢神宮が今の位置に決まる前に、「元伊勢」(仮の鎮座場所)として主に太平洋岸地域を中心に移動しているのは、天孫族が各地の海洋系民族と信仰を通じて和解するプロセスが必要であったからだと推測します。
(以下の「起源」を参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE#.E7.94.B1.E7.B7.92
この時点で、日本海側と太平洋側の大きく異なる血族の共存・共栄体制が整い、「農」を中心とした国づくりが進むのだと思います(ヲシテ時代の黄金期)。(蛇足ですが、徳川家はおそらくこの太平洋側にいた海洋系縄文人の裔ではないでしょうか)
これが大きく崩れるのが、朝廷内で百済などの「新世代渡来人」が権力を奪取し始めたときでしょう。彼らは気性の荒い海洋系民族や中国大陸の戦乱から逃れてきた江南棄民などをたくみに使って、天孫族の作った日本海側の交易権の奪取に乗り出したのだと思います。で、まず天孫系のイツモが滅ぼされ(さすがにまだこの時期は同士討ちの想いが残ったので出雲大社を作ったとか)、さらに阿部氏がコシを平定、その後阿倍比羅夫によるヒタカミ日本海側の侵略が開始、という流れではないでしょうか。
で、私の想像としては、ニギハヤヒ系の天孫族は、その後日本海側の拠点を捨て、内陸に中心拠点を移したということです。その拠点こそが、アテルイが田村麻呂に最後まで抗戦し、(おそらく)その後を継いだ安倍氏が前九年の役まで堅守した「鳥海柵」ではないでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E6%B5%B7%E6%9F%B5
この「鳥海」という名がニギハヤヒ降臨の地(おそらく天孫族の最古の渡来地)「鳥海山」とダブるのは、単なる偶然でしょうか?
そして、安倍氏の血は、娘によって奥州藤原氏に受け継がれ、また津軽で「安東氏」として生き残っていった・・・
いずれにしても、ツングース系縄文人であった天孫の裔は、朝廷に海路を押さえられた後は、馬で移動し内陸部に拠点を構える戦略に出たのだともいます。それが諏訪、武蔵、鹿島、そして奥州の内陸部や津軽なのでしょう。
ちなみに私が実際登った東北の山で一番「カムイ」を感じたのは、栗駒山と鳥海山です。いや、ほんとですって(笑)
やはり素人の横好き程度に流して下さい。
いよいよ核心ですね。東海道は古代において相模安房上総下総と船で来て、武蔵をさけていました。箱根を越えることができなかったのです。同様に内陸の諏訪も制圧できませんでした。ここらが縄文の拠点であり、御柱はその名残です
思うに、西日本=弥生、東日本=縄文というのが、文化の基底です。そして、東の政権はどちらかといえば保守的で農耕的ランドパワー、西の政権は先進的シーパワーでした。古代では鉄剣、近世では鉄砲、近代ではガとリング砲を備えた西の勢力が東を侵略しつつ、反駁され、均衡がたもたれています。現在は昭和20年の敗戦で西の勢力が一層され、東優位でした。江戸時代と同じです。グローバリストは西を唆し、新たな信長や薩長を生むのでしょうか
これですね。
http://onbashira.jp/onbashira.htm
『御祭神は建御名方命、八坂刀売命のご夫妻で奉られている。古事記の国譲りの場面で、大国主命の息子として最後まで抵抗し、諏訪の地まで逃げてきて、幽閉された神である。』
つまり、出雲が朝廷に制圧されて後、大国主命の息子「建御名方命」がこの地を亡命政権にしたということでしょうね。
また、建御名方命の母は「高志河比売神」と言われていますが、この方は高志(越)の国出身です。つまり、建御名方命は、朝廷や阿部氏に平定される前の高志(かつて日本海沿岸に渡来したツングース系天孫族)の血を継いでいるが、少なくとも強い関係性が窺われます。
そのような事情があったゆえ、簡単にはときのヤマト朝廷には従えなかったと想像します。
>思うに、西日本=弥生、東日本=縄文というのが、文化の基底です。そして、東の政権はどちらかといえば保守的で農耕的ランドパワー、西の政権は先進的シーパワーでした。古代では鉄剣、近世では鉄砲、近代ではガとリング砲を備えた西の勢力が東を侵略しつつ、反駁され、均衡がたもたれています。
その通りだと思います。
私が思うに、古くから日本に渡来したツングース系天孫族は、始めは船と馬の技術を有する「シーパワー」的な側面があったと思います(だからこそ各地で有能な指導者として君臨できた)。しかし、長い時間をかけて日本という『風土』に帰化し、とくに東日本の政権(ヒタカミのタカムスビ家)は徐々にランドパワー化したのでしょう。一方、西日本の政権は海洋系民族や渡来人との混血が進み、シーパワー的性格を維持し、強めていったのだと思います(イツモは西日本の中でも、比較的遅くまでランドパワー的性格が残った土地だったのかもしれませんね)。
しかし、大陸に大きな戦乱の世が訪れるまでこのような変化は比較的緩やかに進んだのだと思います。これが大きく変わるのは、おそらく後漢の力が衰える2世紀以降、大陸・半島において戦乱が激化するようになってからではないでしょうか。鉄剣の普及や朝廷における渡来人の勢力が増したのも、いわば西日本がそれらの戦乱に巻き込まれていった歴史とみることができそうな気がします。
びーちぇさんのヲシテ文献の読み解きにおける「イクメのキミ(垂仁天皇)とタジマモリ」の話を見るとそのような流れにおける日本国内の動揺や東西の溝の深まりを見れるように思います。
http://julian.way-nifty.com/woshite/2006/05/post_f945.html
>現在は昭和20年の敗戦で西の勢力が一層され、東優位でした。江戸時代と同じです。
江戸時代は多分、太平洋側の海洋系縄文人と諏訪・武蔵・鹿島に落ち延びた天孫系の裔が文化基盤だと思います。東北ランドパワー(ヒタカミ・タカムスビ家の裔)は、(近世において迫害が強かったこともあって)江戸文化の成立にはあまり積極的には関わっていない気がします(もちろん半島系文化よりはお互いにシンパシーを持てたと思いますが)。で、明治で西の半島系シーパワーにまた権力が移って(やはり東北は戦争のための奴隷化が進んでトラウマを深め)、2・26の将校さん達は失敗したけれども、戦後岸や田中に代表される満州系(北方ツングース系)が日本を復興させるわけですね。しかし、戦後の満州系について、私はトラウマを抱えたままの『奇形児』だと思っています。古代の日本風土に『帰化』した天孫族が作った「ヲシテ」のような「まろやかさ」がそこにはありません。『近代経済システム』という本来結婚してはいけない相手から生まれた『奇形児』。それが『大東亜共栄圏』の根っこにある「トラウマ」だと思います。
この「トラウマ」を除くために『思い出す』必要があるのです。
これは国家・国民を対象とした『心理療法』と言えるかもしれません。
辛い歴史も含め、自己を『認証』することが、「トラウマ」を解く最も良い方法ですから。
>グローバリストは西を唆し、新たな信長や薩長を生むのでしょうか
グローバリストに乗っ取られる前に、多くの日本人が思い出して欲しい。
それが、園田氏の指摘する「両生類」への進化です。
そこに、彼らを包んで超えるための希望が残されていると思っています。
言い換えれば、戊辰戦争と太平洋戦争はコインの両面であり、両者はバランスしているのです。
これは、大和朝廷の比羅夫をつかった対蝦夷政策と白村江がバランスしているのと同じです。
なお、比羅夫は蝦夷をしたがえ、沿海州にわたり、「反新羅包囲網」を築いたようです。
このように、原因と結果をパラレルに検討すれば、「歴史における二重らせん構造」がはっきり見えます。
そう考えれば、竹中、小泉、安部はすべて西日本出身です。
>江戸時代ですが、鎌倉幕府を手本とし、大鏡を教本に、今川、北条、武田の遺臣を抱えた徳川家の統治の根幹は信長や秀吉の否定であり、ランドパワー回帰です。そこから脱却したのは、明治維新で、シーパワーの薩長が英国に操られたからです。おっしゃる洋に、この過程で、東北は「奴隷的兵士供給源」となり、226につながります。このループから抜け出すのに、「太平洋戦争の犠牲」が必要でした。まさに、白村江と同じです。歴史の循環
江戸幕府の成立、おっしゃるとおりと思います。
また、蝦夷侵略→白村江、戊辰戦争→太平洋戦争がコインの裏表で、太平洋戦争の犠牲と白村江が同じですか、なるほど、歴史は循環してますね。
(戦前に日本兵の強靭さが恐れられたのは、「蝦夷兵」だったから、というところも変わっていないかもしれませんね)
竹中、小泉、安部が西出身なのもなんとなく頷けますが、この度の「平成売国維新」の結果がどう決着するのか?また外国に徹底的に潰されて進駐軍を受け入れる「白村江・太平洋戦争型」になるのか、それとも内部分裂で解消する「関ヶ原型」の決戦で治まるのか?気になるところです(前者なら今度こそ民族の滅亡でしょう)。
ポイントは、現在の朝廷(政権)内における外国勢力をどううまく排除または(こちら側に有利になるよう)利用していくかですね。
そのためには、次世代を担う人間に家康のような地政学的な戦略観があるかどうか、ですが。
そういえば、平和党の代表も東日本出身です。ま、当面は小沢氏のお手並み拝見ですけども。
二重螺旋が良くわかってきました。ご教示ありがとうございます。
追記1:竹中・小泉に比べると、安部は少しだけ東がかかってましたね。残念ながら全くの力不足で比羅夫にもなれませんでしたが。
追加2:白村江の戦いについて以下のような記事をネットで見つけました。
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-43.html
孔明さんが指摘されたことに気が付いている人も結構いるのでしょうね。
この方の他の記事もなかなか面白いです。
とくにこの「俘囚」に関する部分
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-57.htm
「夷を以て夷を制するは是古への上計」なんていうのはまさにシーパワー戦略ですね。
一方、上記の記事の中で、謎や後世の創作と見られている部分は、東北にはタカムスビ家の裔が残っている、ということを東国の武士は知っており、逆に西国の貴族の方が、かつて自分達の祖が作り出したプロパガンダを鵜呑みにするような時代になっていたと考えると矛盾は解決しそうです。
天武天皇には草薙の剣の御霊による祟りがあったそうですから、きっとそうだと思います。日本書紀になぜそんなことがわざわざ書いてあるかというと、日本書紀を編纂した人が百済系だったと考えると納得がいきます。
>日本は「壬申の乱」に向かっているのです。
そうですね。今回バックにつくのは、米国民主党を操る赤い盾と華僑勢でしょうか・・・
それぞれが理知の中で出会い素晴らしい同調が出来ると思っています。貴方の知識が共有財産と感じました!ありがとう御座います♪
共有財産となれば、良いですな。
あんまり、自分の浅はかな知識で論を構築しないほうが良い。
天武天皇が隠したかったことは、大和王朝の始祖が尾張氏の祖である火明命であり、神武皇統は、火明命の兄弟の子孫であり、その傍系に過ぎなかったからでしょう?
孔明の話なんて、正当な学界ではオカルトの域です。
日本の皇室の謎って、邪馬台国から始まるんだよな。
で、卑弥呼は孝霊天皇の皇女だったという結論になる。
もともと、大和王朝は、尾張氏の先祖によって建国され
その弟(兄という説もある)の家系である皇室の先祖が日向に派遣されていたのが
神武天皇の代になって呼び戻されたのに始まる。
その後、尾張氏の系統が祭祀、皇室の系統が政治を受け持っていたのが
孝霊天皇が皇女の百襲媛命を巫女として、尾張氏の先祖から祭祀も掌握した。
このへんが「倭国は元々は男王がいたが、歴年争って、一人の女王を共立した」
の経緯だと思われ。
795 :本当にあった怖い名無し:2007/12/24(月) 09:56:08 ID:k/2sHIuv0
>>794
台与は豊鋤入姫でしょう?
壱与という説もあるが、このへんは次のサイトに詳しい。
台与のほうが正しい可能性が高い。
↓
各史料に現れる『臺』と『壹』
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/bunken.html#tai-iti
あと、狗奴国の卑弥弓呼=許乃国の彦命(武埴安彦命)
狗奴国王の官の拘右智卑狗=河内彦
許乃国とは、京都府宇治のあたりをいった(山城国風土記逸文によると)
宇治のあたりは、武埴安彦命の領国があった。(記紀によると)
また、武埴安彦命の母方は、河内の豪族の娘。(記紀によると)
百襲媛命が死ぬ直前に、武埴安彦命の乱があった。(日本書紀によると)
卑弥呼が死ぬ直前に、狗奴国の卑弥弓呼の乱があった。(倭人伝によると)
797 :本当にあった怖い名無し:2007/12/24(月) 10:52:06 ID:K3OnXYdC0
>>795
実は私も台(臺)与だと思っている。
(人に言うときはめんどくさいので通説にしたがっている)
802 :本当にあった怖い名無し:2007/12/24(月) 11:32:37 ID:s+eSg31o0
>>796
蘇我氏とか平群氏とかは普通に孝元天皇の後胤・武内宿禰子孫でよいんじゃないのか?
播磨国風土記によると、播磨国(兵庫県西部)で、
出雲の大汝命(大国主命)と火明命(尾張氏・海部氏の祖)が親子喧嘩して
火明命が勝った様に記載されている。
で、日本最古の系図である海部氏系図には、
火明命の妃が大己貴命(大国主命)の娘だったとしている。
この火明命は記紀では忍穂耳命(アマテラスとスサノオの誓約の最初の子)の子であり
神武天皇の曽祖父の火瓊瓊杵尊の兄とされている。
海部氏系図では、忍穂耳命の第一皇子が火瓊瓊杵尊で
第三皇子が火明命とされている。(他にも二人の皇子がいた)
つまり、出雲の国譲りを最初に実現した(大和王朝の建国)のは
出雲国王の娘婿になっていた火明命であり、
その弟(兄)の火瓊瓊杵尊は傍系で、日向に派遣されていたことが分かる。
この火明命は正式名を天照国照彦火明命といい、
全国にある天照御魂神社の祭神は、この男の太陽神・アマテルだ。
実は女神・アマテラスを祭るようになったのは、比較的に新しい可能性がある。
ただ、私の歴史談義が所詮素人のものであることは上のコメントですでに断っていることですから、それをわざわざ指摘するのはなんともくどい方ですね(笑)
孔明氏の提唱する史観がトンデモであるかどうかも、Unknownさんの提示するご説の妥当性についても、所詮アマチュアの私には判じえない事であり、そもそもこのエントリーは「孔明史観」を肯定するかしないかなどというくだらない議論より、もっと「大切なこと」のために立てたものです。それをあなたは全く理解されていないようです。
天武天皇の出自等については、このエントリーの中では、全く蛇足の部分であり、孔明氏もそうコメントの中で明言しています(私も重要視していません)。天孫=騎馬民族説についての話ですら実は「本質的」な部分ではないのです。だからその部分を勘違いする人が出ないように、わざわざ所詮私は素人だから・・・とコメントに追加したのです。それでもなお「蛇足の揚げ足」を取るようなキトクな方がいるようで(苦笑)
くどいようですが私は歴史マニアでも専門家でもありません。なぜそんな私がこのようなエントリーを立てたのか?その辺りの趣旨を理解しようとしない方と消耗的な議論に付き合うつもりは毛頭ありません。以上のような議論はもっとそれにふさわしい場所がたくさんあるでしょうから、わざわざ「アマチュア」サイトにコメントを付けるような無粋な真似はせず、思う存分そちらで議論していただくようにお願い申し上げます。
今後エントリー趣旨にご理解のない一方的なコメントは削除いたしますのであしからずご了承下さい。その結果、私がトンデモ支持者であると勝手に判断・誤解いただいても結構です。所詮、私は学会の常識や流れも知らないアマチュア以下の素人ですから。
知識バカの相手をするのは本当に疲れますね。こういう人って、大学受験でハマっちゃったマニアなんでしょうね。南京事件の論争なんかも、こういう臭いがします。
好きな人同士で勝手に盛り上がって欲しいです。我々を巻き込まないでもらいたい(笑)。
私もFC2に移ろうかとか良く考えるんですが、結局色々と面倒でやめちゃうんです。まあ、ここは大したアクセスがあまりないのでなんとかなってますが。
普通の人に必要なのは、知識ではなくて、討論や考察の結果、結局自分の人生をどう生きるかというなんらかの指針を得ることであって、それにつながらない知識遊びはよほど暇でもなければ付き合う意味がないですね。
最近のエントリーで答えたようにためになる批評には丁寧に答えたいと思いますし、何かの指針を得るのに重要な知識なら付き合おうとも思いますが、やはりあんまり疲れそうなことは、今後も付きなわない方針でいきます。
まず、「古代史の専門家」が、わざわざ(ソースの怪しげな)2ちゃんの記事を引用して自説を裏付けるような「間抜け」なことをするか?ということ。私自身、(歴史分野とは関係のない)専門家の端くれではあるけれども、自分の論説を補強したり、他人を批判したりする根拠に2ちゃんのコメントなんか『絶対に』引用しないw
そんなことをやる奴は、自ら「偽モノの厨房ですよ」と語っているようなものです。
本物の専門家が、アカデミックな場とか正当な学会とか語っておきながら、2ちゃんころの議論を引用するなんてのは、どうやってみても自己矛盾の塊でしかない。
ちなみに「つい思わず」2ちゃんを引用したなんていう専門家がいたら、私は絶対にそいつを信用しないだろう。
Unknown氏が本物なら、どんだけ「正当」な学会で、どの権威のなんていう学者が、いつどこで、どのような発表or論文で「天孫・騎馬民族説」や「天智・天武天皇の異なる出自」についてオカルトだときっちりと否定する見解を出したか、2ちゃんの怪しげな情報(笑)に頼らずに簡潔に示せるはず(ただ、私の経験では本当の専門家っていうのはそんな『暇なこと』はしない。もし、わざわざそういう暇な批判をこんな場末のブログやる専門家がいるとしたらよっぽどコンプレックスに固まった頭のおかしな人ですね。私はそういう人に付き合う気がないのは、上述の通り)
あと、そもそも実力ある専門家は、「正当な学会」とか「アカデミックな場」とかあんまり口にしませんね。なぜならそういうことを言うと回りの専門家に『自説に自信がなくて、権威主義を振りかざす愚か者』と判断されるからです。本当にアカデミックな場では(笑)まあ、Unknown氏のような専門家が集まる「アカデミックな場」というのは私の知っているアカデミックな場とは違うのかもしれませんがw
Unknown氏ももっと人を騙したいなら、これぐらいのことは覚えておいた方が良いと思う。それが出来ないなら、こんなことをやめるべきだよ。あなたには才能がない。これは親切心からの忠告ですよ。
<参考>
2ちゃんねるから子供たちを守ろう!
『炎上』から読み取る2ちゃんねるの『プロパガンダ』
http://anti2ch.blog61.fc2.com/blog-entry-171.html
>>>>>>>>>>>>>
あと多いのは、いわゆる『揚げ足取り』の書き込みでしょうか。
記事の主題には反論できないので、
「文中の誤字」や文法上のミスなどをわざわざ拾ってきて、
それを嫌味を込めて指摘してくる・・・。
記事の本文について、言い返せないときは、
「無関係な指摘」や「上っ面の本題とは関係ないことを敢えて指摘」
なども彼らの常套手段でもあります。
『ギャラリーにブログ主が馬鹿であるように見せかける』
『ブログ主の言葉の説得力を欠こう』
というのが彼らの狙いでしょう。
(中略)
そうすれば、彼らが組織的かつ、
成りすましによる卑怯な手法で『嫌がらせを楽しんでいる』
ことにきっとお気付きになられるでしょう。
要するに彼らは『どこまでも卑怯』。
そして『やり方を紐解けばただ単に幼稚』。
というだけの話です。
<<<<<<<<<<<<<
まぁ、Unknown氏が実際に上記のような人かどうかは置いておく。とりあえず、誠にご苦労さま、とだけ申し上げておきましょう。
あともう一つ参考ね。
原田武夫国際戦略情報研究所公式ブログ
・2008年は偽物が駆逐され、本物が選ばれる年になる
http://blog.goo.ne.jp/shiome/e/c575dbe398aff85351e2b213e0558180
旧来の構造に囚われた人々への湧き出る憐憫の情・・・うん、同感。
このままでは、2ちゃんも○潮社も、駆逐すべき国賊リストに掲載決定ですな。かわいそうにw。まあ、これまで良心的な人々を愚弄し、騙してきたから仕方ないか。似たような『駆逐リスト』は連山なんかも作っているみたいですから、これから本当に大変でしょうね。なにしろ天皇陛下のお言葉も出たわけですから、もうこの動きは止まらないでしょう。
Unknown氏がこれらの関連者ではなくて、単なる「勘違いさん」であることを心から祈っていますよ。
あ、それからどうせだから、私のオカルト好きをもっと紹介しておきましょう。
私は、孔明氏のオカルトも好きですが、橘みゆきさんのオカルトも好きですね。
連山:橘みゆき
・私達を見守っている精霊達
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/tachibana/post_385.html
・早池峰神社の呪法 (古代の浄化システム)
http://www.gos1dos1.jp/otogiyahp/kaikijoho/fushigi/hayachine%20noroi.html
やっぱりなぁ、と思います。
これでもUnknown氏が、我々の話を退けようとするなら、明らかにそういう意図を持ってやっているということでしょうね。
それか本当に先祖が見えていない頭でっかちの哀れな方なのでしょうか?
いずれにしてもUnknown氏には、早めに自分の行為の愚かさと才能のなさに気が付いて欲しいですね。
それでは、皆さん良いお年を。
以前から興味深く拝見させていただいておりました。
「思い出す」ということは本当に大切なことですね。
少しずつですが、そのことに気付き始めた人が増えて来ているように感じ、希望を抱いています。
最後に、申し訳ありません。
トラックバック機能を初めて使ってみたのですが、どうも2重に打ってしまったようです。1つ削除していただいて宜しいでしょうか。
また、当方のブログにご関心をいただき誠にありがとうございます。
私はヲシテ関係については、まことに素人ではありますが、ヲシテ文献に現代人が忘れてしまった大切な何かが込められていることは直感的にわかります。
しわ様のブログを含め、ヲシテ文字やその内容を解説されているサイトを見ると、こう何かすーっと清々しい空気が自分の中に入ってくるような気がするのです。もちろん、皆さんの考えや感度が非常に良いものであるからと思いますが、それ以上の何かを感じます。
>>>>>>>>
「マ」という文字が、1文字で円運動や円運動によって生じるひとまとまりのエネルギーを表現している。
<<<<<<<<
そのような深い発想が、我々が日常に使っている言葉の奥に眠っているということは本当に素晴らしいことだと思います。
また、しわ様がブログに書かれていた以下の言葉にも深く同意します。
>>>>>>>>
そういった自然の摂理の内側にほど近い世界の営みから聴こえる、ささやかな調べの中にこそ、この国を救う希望や暗示が隠されていると思うのです。
世間を覆う拝金主義者や偽善者達の詭弁に惑わされ騙されることなく、氾濫する情報の正邪を見極め、思考を過信することを止め、感覚を全開にし、日々移り変わる自然の動きの有りの侭を受け止め、それぞれがこの国に産まれ生きる自分自身という存在について、改めて考えていただきたい。しっかりと眼を見開いて辺りを見渡せば、この国がまだ光に溢れていることにあなたも気付くことでしょう。私はその光を守り、大きく発展させたい。この暗澹たる現状に、ハル(春)をもたらしたいと思うのです。
<<<<<<<<<
私たちが本当に「思い出すこと」ができれば、引き裂かれた「心と体」、「人間と自然」の絆・調和を「元に戻す」ことができるのだと思います。そういう調和や循環の摂理を意識するだけで、今まで見えていなかったものも見えてくるようになる。近代の波に飲み込まれないようにするには、この方向なんだと思います。実際、気がついた人も増えているように感じますね。現代人たる私たちが、無理なく「思い出す」ためには、これからもいろいろな方面からの試行錯誤は必要だと思いますが、光はあると思っています。
ご研究の発展と成功を心から祈っております。
逆に、歴史を専門で勉強している人や、明治維新以降の日本が好きな保守の人たちには、どうもこちらの問題意識が伝わっていきません。何かが邪魔しているような気がします。
私たちが行った問題提起に動揺してムキになるような人ならいいのですが、理路整然と明後日の方向に飛んでいく人がいるわけです。ものすごく怖いですね・・・。
そうなんですよね。私もそう感じます。
これはおそらく偶然ではなく、必然なのだと思います。
はっきりと言葉や論理で整理できなくとも、(無)意識の中に自然の摂理に基づく循環を感じ取れる人は、現状の問題の本質とその解決法もなんとなくセットでイメージできるのだと思います。それだけの能力と感性を日本人は持っているということです。
すべての可能性と光がそこに集約されていると私は思います。
>何かが邪魔しているような気がします。
>問題提起に動揺してムキになるような人ならいいのですが
確かにまだムキになる人の方が可能性はありますよね。
以前大坂さんが良い記事を紹介していました。
・平和党公式ブログ:物を学ぶ心得
http://blogs.yahoo.co.jp/heiwaparty/35537575.html
私たちは腐ってしまったコップの中の水を一度空けなければならないでしょう。
しかし、人はなんとなくコップいっぱいになっていたほうが安心なのかもしれません。
そこを利用されていることに気がつく勇気が必要なのだと思います。
直接的なイベントとしては、やはり明治維新と大化の改新あたりが気になりますね。維新による王政復古において、西洋の近代システムと唐風の律令システムが融合したのは、とても興味深いことだと思います。さらに大戦後は、GHQによる洗脳がありますから、近代知性というものは、少なくとも「三重」の洗脳に罹っているのではないでしょうか。
しかし、昭和においても、「江戸の風」が人物や文化に残っていた。これが何よりの僥倖でしょうね。
歴史サイクルからみて、近い将来、私たちは2・26事件のやり直しを迫られるような気がします。
あの失敗を乗り越えるには、政治経済の「中央部」を変革しようとするのではなく、「周辺部」の自立的変化を促すことであり、そして武力による商の破壊ではなく、武農合体による生産基盤の構築と自立に集中することだと思います。
知識人は、中央部においては、知的合気道の精神でもって相手を正面から倒そうとせず、その動きと力を利用して、自らの防御とすることであり、周辺部においては、生産性の向上と社会基盤の安定に尽くすことが風土を守ることに繋がると思います。
以上を基本戦略として、状況に応じ柔軟な戦術を取りながら、破壊的・否定的な行動や考えには近づかないようにすることが、重要ではないかと思っています。
なかなかそう徹しきれない自分の未熟さを虚心坦懐に見つめつつ・・・
また、目を通していただいたばかりか、同意していただける箇所があったことを、とても嬉しく思います。
引き裂かれた「心と体」、「人間と自然」の絆・調和という表現は誠に的確で、それを越える表現はないと思います。そして、それを「元に戻す」ためには「思い出すこと」が大切なのですよね。
そして「思い出す」ことも、急激に「思い出させる」のでは駄目で、あくまで個々が無理なく「思い出す」ということが肝要なのですよね。
私たちの祖先は、度重なる外来思想の流入による洗脳の危機に蝕まれながらも、自分達に適合し得る価値観だけを取捨択一し、根底に流れる往古からの価値観を決定的に損なうことを(無)意識的に回避し、強かに外来の価値観を取り込んで自生的な秩序を構築してきたのだと思います。
そのような懐の深さを生じさせた土台にこそ、縄文哲学があるのではないかと私は考えています。
オノコロやホツマといったヲシテ文献独特の語彙の意味について、ヲシテ一字一字から演繹してみたとき、そうした深い精神性を垣間みることができるからです。
そういった意味でも、ヲシテ文献は「思い出す」ことを助ける処方箋のひとつに、そして「思い出した」私たちを照らす光のひとつになると思っています。
>歴史サイクルからみて、近い将来、私たちは2・26事件のやり直しを迫られるような気がします。
私もそのように思えてなりません。先日、若年の自衛官が国会議事堂で割腹自殺を図ったことも、そのような流れを感じさせる予兆のように感じました。
>知識人は、中央部においては、知的合気道の精神でもって相手を正面から倒そうとせず、その動きと力を利用して、自らの防御とすることであり、周辺部においては、生産性の向上と社会基盤の安定に尽くすことが風土を守ることに繋がると思います。
花ブナさんの紡ぎ出す言葉は、なんというかとても自然で心地好く魅力的な響きがあります。武農合体、知的合気道の精神、この2つの言葉が意味するところは、今後の方向性を左右する活路があると思いました。
それでは、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
武農合体は、平和党の大坂さんが言っていることのパクリです(笑)
まだまだ未熟な私ですが、祖先から受け継いだ心と風土を少しでも将来に生かすために努力したいと思います。
まずは、個々人が無理なく「思い出してもらう」ためのきっかけを作ることに向かっていければと思います。
こちらこそよろしくお願いいたします。
心の底には、「日本人が何処から来たのか?」
という根本的な疑問のためでした。
宮城の風土に触れたとき、やはり、忘れられない風景は、「松島」です。
過去のブログですが、
......................................
特に、松島で、
松島
5月9日 歌枕松島(宮城県宮城郡松島町)芭蕉は「いづれの人か筆をふるひ詞(ことば)を尽くさむ」とここでは句を残さなかった。
という芭蕉の侘び・寂びの精神に心を揺さぶられた。
芭蕉は、瞳に映る風景(心の風景)を的確に表現しています。
松島は、言葉を絶する世界である。
それと、悲痛さを残す絶景は、「東尋坊」だ。
韓国の洛東江河口(金海デルタ付近)に、水鳥の遊ぶ風景も、味わい深かった。
また、ランカウイの西岸からインド洋を望む景色も悠久の歴史を望み、壮大で絶景である。さらに、スリランカ・ジャフナの日の出は、崇高性を帯びる。
............................................
芭蕉が、「松島や ああ松島や 松島や」と詠んだという逸話も、「松島」という言葉だけで、日本列島に「住む」人間の過去を呼び覚ます、何か大きな力が存在することで、この「句」は成立していると思います。
私たちの記憶の底の原風景には、島を敷き詰めたような穏やかな海に面したときの安心感や少し高いところからその全貌を見渡すときの深い到達感(ああ、やっと来たな、という感じ)が結びついているのかもしれませんね。私は詩人でないので、こんなベタないい方しかできませんが(笑)
縄文海進があったときは、きっと日本の海岸の多くがリアス式で、松島のようなところも多かったのではないかと想像します。実際、仙台平野の山際には、今でも○○島のような地名が多く残っています。縄文海進は約6000年前がピークですから、地名って相当古いんですよね。人間が風土に言霊で刻んだ記憶。
「夏草や兵どもが夢の跡」の句からも感じられるように、芭蕉は空間のイメージを単なる目の前の風景ではなくて、「時空」の心象スケッチとして描く感性が優れていたのは間違いないと思います。そして、それに深く共感する感性が庶民の間にもあることが、日本の文化だと思いますね。
話は変わりますが、縄文海進は地球温暖化が原因と言われていますね。そして、そのときは(当然)人間の出した二酸化炭素ではなくて、地球の軌道の変化だとか太陽活動の変化だとかによる日射量の増加だといわれている。今期の温暖化の原因はなんなのか・・・これもそのうちいずれ決着がつくでしょう。
私がその原因よりも関心あるのは、気候が温暖になると、人間は自然と分散型の生活を選択し、寒冷(乾燥)化すると集約型になるという「律動」です。これは自然と人間の共鳴ですよね。
江上波夫氏の騎馬民族国家という本は、事実を非常にデフォルメしたもので、このデフォルメのために、大きな批判も受けていると思うのですが、この本で、作者が最後の「あとがき」で書いておることが、とても衝撃的で、印象深いことだと常々考えています。
ここで江上氏が、殆ど、断定的に書いているのが、少なくとも、「倭の五王」の時代から大化の改新、奈良朝までの「日本の支配者層」と、高句麗、百済の支配者層が、同じ「扶余」王族であった、という仮説です。
この「仮設」を、江上氏は、断定的に記述しています。
勿論、彼らが、まず、対馬から九州北部、東北上して、本州の北端付近まで勢力圏を伸ばしていったという「仮設」も、江上氏の推論の重要な前提で、さらに、その母体が、「秦王」「辰王」系であったと書いています。
残念ながら、江上氏は、この198年代中頃での学説的仮説を、その後、深めることなく今日に至っています。
この書物で、日本の東北部と西部の違いについて、私が注目したのが、「頭長幅示数」の分布で、実は、大学の時、鈴木先生の授業を直接受けていて、授業でも大変に感銘を受けた事実です。
民主党の山岡氏や中曽根元首相が、繰り返し、「毛人」という言葉をプライドを以って話されているのを聞いて、とても好感を持っています。
毛人こそが、「原日本人」であることは、明白なことです。
近畿地方や九州地方、中部地方、四国地方、中部地方、つまり、私の馴染みの地域では、多くの家系が、1000年以上まえの、自己の出自を朝鮮半島から大陸に、伝承として求めています。幾つかの寺院の住職は、自己の寺院の歴史を1000年、1500年と容易に遡ります。
NHK以外の、歴史を無視する放送局によって、「デラシネ」にされた層を別にすれば、「過去を常に自己の行動原理」とする思考は、行動規範の原則です。
聖徳太子が、「和を以って尊し」とするのも、多くの異質な文化を差異共鳴する趣旨と考えるべきだと思います。
元々、「辰国」自体が、差異共鳴の国家で、馬韓に、馬韓人ではない「辰王」を立て国だったと言います。
自分自身のための広告になってしまいますが、「海舌」のブログの「日本人の源流」のテーマは、このような背景からのものです。
>「扶余」王族
江上氏の論説は実はあんまり知らなかったのですが、私もほぼ同じ結論を持っています。
おそらく、斉明(皇極)天皇と舒明天皇が、「扶余」王族に直接繋がる血筋であり、その子である中大兄皇子(=漢王子)が大和政権でクーデター(乙巳の変)を起こして天智天皇となった後に、「追諡」されたのでしょう。記紀では、斉明(皇極)天皇と舒明天皇の系統に色々と「迷彩」を施して、すでに蘇我氏(渡来民)の派閥争いで亡くなっていた田村皇子の系図に無理やり「貼り付け」たのだと思います。要するに亡命政権に軒先を貸していたら、母屋を取られたわけですが、すでにこの頃の大和政権には、他にもたくさんエージェントが入り込んでいて、派閥間の利害関係が微妙だったのだと思います。天智天皇は、要するにその辺の混乱を利用したわけです。賢いですな(笑)
この頃の変遷を考えると明治維新(≒大化の改新)から太平洋戦争(≒白村江の戦い)、GHQによるコントロール(≒天武による壬申の乱と諸制度の制定)の流れにそっくりです。日本列島が国際化するときのパターンとしてとらえると興味深いと思います。
>毛人こそが、「原日本人」であることは、明白なことです。
そうだとは思うのですが、すでにそれは我われの「溶媒」となっていますから、あんまり政治化しない方がよいと思います。言わずとも「わかる」のが理想です。と言いながら、こんな記事を上げている私が一番矛盾しているかもしれませんが(笑)
>「過去を常に自己の行動原理」とする思考は、行動規範の原則です。
ですね。世の中の流れや構図が非線形性や非対称性を増せば増すほど、そのような「原則」が重要になると思います。
>聖徳太子が、「和を以って尊し」とするのも、多くの異質な文化を差異共鳴する趣旨と考えるべきだと思います。
そうなんですが、聖徳太子の頃は、なんとかそうなってくれ、という必死なスローガン(笑)のようにも聞こえます。実際に差異共鳴を「会得」したのは、出羽に落ち延びた蜂子皇子の方だと思いますよ。弘法大師・空海が行動でもって体現したものとおそらく同じものと想像します。日本の行動する哲学、差異共鳴性は、ここで一通りの完成をみたと思っています。私たちはその末裔のはずですが、すっかり忘れてしまったのです。21世紀のリーダーはここを思い出し、一般化させる人となるでしょう。
蜂子皇子は八乙女浦で、巫女にあって三本足の烏(ヤタガラス)に導かれます。神武の東征で、ナガスネヒコが、ニギハヤヒの天の羽羽矢を見せると、神武はそれが偽りでないのを認め、自分も同じものを示します(その後神武の東征は成功する)。直感的には、これらのエピソードが騎馬民族説の本質を語っていると思っています。物部氏やアテルイ、安陪氏の話はそれらを固めるサイドストーリーです。日本列島の風土には、遠くは中東やオセアニアに勃興した民族や宗教の歴史が刻まれていると思います。だから本来、とても差異共鳴性が高い風土であり、そこに生まれた自分はとてもラッキーだと思います。
西の風土の差異共振に生まれて育った海舌が、北の風土の差異共振に無まれ育った花ブナ氏と、不思議に、ハーモニーを奏でられるのも、やはり、こうした背景があるのだと思っています。
確かに、海舌も、文章を書いて生活する人間の一人として、表に口外する内容は、氷山の一角で、今、言えることと言えないことの判断を常に内心で問答しています。
三本足の烏(ヤタガラス)、についても、現在、研究中のことがあり、花ブナ氏のコメントは、とても刺激的です。
現在、大化の改新、信長の時代、明治維新と同程度か、それよりも大きな世界的な流動期の端緒に遭遇しています。
心ある者は、新しい「三本足の烏(ヤタガラス」の旗のもとに、集まり始めているのでしょう。
字句訂正 2行目
北の風土の差異共振に「無まれ育った」⇒(正) 生まれ育った
そう思います。
>心ある者は、新しい「三本足の烏(ヤタガラス」の旗のもとに、集まり始めているのでしょう。
メディア・ポイント、なのでしょうね。