鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

偕楽園・陰の章

2014-04-17 | 公園・庭園

2 0 1 4 年 3 月 2 9 日 ( 土 )

午 後 1 時 4 1 分

水 戸 偕 楽 園

好 文 亭 表 門





日本三名園のひとつ、偕楽園。


水戸藩主・徳川斉昭(烈公)は、弘道館で文武に勤しむ藩士へのレクリエーション施設として、水戸城三の丸近辺に公園の造成を計画し、天保12年(1841年)に工事を開始、翌天保13年に完成しました。
「偕楽園」の名は、中国の儒教の古典『孟子』の「古の人は民とともに楽しむ、故に能く楽しむなり」という一節からとっています。
その名のとおり、3のつく日と8のつく日には民衆に開放されていました。

現在は木塀で囲われた本園と、その外側に広がるいわば外園によって偕楽園公園を構成しています。
偕楽園公園は、ニューヨークのセントラルパークに次いで、世界で2番目に広い公園なのだそうです。



偕楽園の本園には、好文亭表門のほかに、西門、南門、東門、御成門と複数の門があります。



そして東門の近くには、JR偕楽園駅があります。
偕楽園駅は梅が開花する時期だけに開かれる臨時駅で、しかもホームは下り専用です。

しかし偕楽園を真に味わうならば、好文亭表門以外の門から入ってはならないとされます。
偕楽園駅で降りて東門から入るなど論外!なのだそうです。


偕楽園の造園で烈公は、「陰」と「陽」を表現しました。
杉林、竹林、梅林や千波湖の借景は、すべてこの陰陽を表現するための道具なのです。

偕楽園の真の楽しみ方は、陰と陽の対照を味わうことです。

始めは陰の世界を味わい、その中に陽を見出す。
次いで陰と陽の移ろいを感じる。
終わり陽の世界を味わい、その中の陰に思いをはせる。

こうすることによってのみ、偕楽園の真髄を味わうことができるといいます。

1年のうちの大部分の時季は、梅が咲いていません。
それにもかかわらず三名園のひとつとされているのは、陰陽の対比を見事に体現しているからです。


偕楽園の真髄を味わうためには、まず陰の世界に入らなければなりません。
そして陰の世界に属する門は、好文亭表門だけ。



表門は偕楽園造園当時から現存しています。
茅葺屋根の四脚門で、松材から作られています。
時代とともに門は黒色を帯び、「黒門」とも呼ばれます。

そして好文亭表門にあっても、陰陽の対比が表現されています。
門の左に植わっているヤブツバキは陰を、右に植わって花を咲き誇るソメイヨシノは陽を表しています。



逆から見た好文亭表門。
陰の世界に属していることがよくわかります。


好文亭表門をくぐったら、すぐ先に見える門に進みます。
左を見てはいけません。左は陽の世界・梅林です。


好文亭の先に見えるこけら葺きの簡素な門は、一の木戸



この門から先はわずかに下り坂になっています。



偕楽園は、園内に崖を取り込み、土地の高低差を利用した立体的な表現を実現しています。


一の木戸から広がるのは、右手側に大杉森の世界。





立派な杉の大木と、根元に生い茂るのはクマザサです。
そして左手には孟宗竹林



これらの孟宗竹は、弓の材料にするために京都の男山から取り寄せたものだそうです。



竹林に閉ざされた陰の空間は、心を癒し和ませてくれます。
そしてこの日は風もあり、竹のざわめきがまた素晴らしい。
このざわめきは陰の中の陽でしょうか。


孟宗竹の「孟宗」とは、三国志の呉に仕えた孟宗という人物のことです。
この人は中国史でも指折りの親孝行の人とされています。
孟宗の母親もなかなかご立派な方です。

孟宗の母はタケノコが好物でしたが、冬場では採れません。
孟宗が竹林に入って祈ったところ、とたんにタケノコが生えてきたそうです。
このエピソードから「孟宗竹」という名が付いています。
のちに孟宗の母が死ぬと、知事を務めていた孟宗は後任の着任を待たずに母の葬儀に駆けつけます。
これは死刑に値する行為でしたが、丞相(総理大臣)の陸遜がかばい、呉の皇帝・孫権は助命しました。

孟宗はのちに官僚に復帰し、孫権、孫亮、孫休、孫皓の4代の皇帝(呉の皇帝全員)に仕え、271年に天寿を全うしました。



辺りは木陰に覆われて暗く・・・・・・と言いたいのですがこの日は天気が良すぎて日差しが入ってきています(^_^;)
空を見上げると空は青いですが、杉の大木により空間が閉ざされた感じ。

まさに陰です。
日差しは陰の中にある陽といったところでしょうか。
(でもちょっと明るいなぁ)

“偕楽園=陰陽”を知らなければ、大杉森や孟宗竹林のゾーンはただの通路に成り下がってしまうことでしょう。
ここでも、水戸の観光地は予習が必要ということを思い知らされます。



大杉森の崖を下ると、ひときわ大きな杉の木が立っています。



太郎杉という名がついている杉の大木は、樹齢800年なのだそうです。
またかつては、次郎杉、三郎杉、・・・と命名されていた杉の大木があったそうです。



次郎杉は、昭和39年(1964年)の台風で倒れてしまったそうです。


太郎杉のそばには、吐玉泉が湧いています。



偕楽園のある崖は湧水が多かったそうです。
斉昭は、偕楽園造成にあたってこれらの湧水を集め、白色の井筒を据えたそうです。

現在の井筒(泉石)は大理石(寒水石)で、4代目のものです。



鬱蒼と生い茂る杉の中に、白く輝く吐玉泉もまた、陰の中の陽を表現しています。



下りてきた崖を上り、再び大杉森を歩きます。





日陰の下、茅葺きの門が見えてきます。



好文亭中門をくぐると、陰の世界に陽が帯びてきます。



◆参考文献
偕楽園(茨城県営都市公園オフィシャルサイト) http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kairakuen01.html?
偕楽園の歩き方<決定版!!>(七味 様) http://www.geocities.jp/mitopride/mitopref/kairakuenwalk.htm





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