Negative Space

日本映画、文語文学、古代史劇映画、西部劇、フィルムノワール、hip-hopなど。

復讐は俺に任せろ!:フリッツ・ラングの『地獄への逆襲』

2013-12-28 | その他
 
 ウェスタナーズ・クロニクル No. 18

 フリッツ・ラングの西部劇(その1) 

 『地獄への逆襲』(フリッツ・ラング、1940、20世紀フォックス)


 ジョーン・ベネット――中央ヨーロッパの映画監督にアメリカの西部劇を撮らせようなんてなぜ思ったの?
 ダリル・ザナック――彼にはわれわれに見えていないものが見えるんじゃないかと思ってね。



 アメリカにおける西部劇は、イギリスのアーサー王伝説、フランスのローランの歌、ドイツのニーベルンゲン伝説に相当するものである。この意味で、『ニーベルンゲン』の監督が西部劇を手がけるのは十分に理にかなっている。

 ヘンリー・キング『地獄への道』の後日譚で、ラング最初のカラー作品。画家出身らしく、きつすぎるコントラストを現像の段階で弱めたりと、ラングはカラーへのきめ細かい配慮を払った。

 ドイツ表現主義の担い手で、セット撮影のスペシャリストだったラングは、ロケ撮影を大いに楽しんだ(本作はラングのさいしょのカラー作品)。シュールな奇岩や巨木を捉えたショットには表現主義映画の面影が残る。岩場での銃撃戦はのちのアンソニー・マンのウェスタンを思わせるが、マンの傑作群のプロヂューサーであるアーロン・ローゼンバーグが本作の助監督についていた。

 『地獄への道』幕切れのジェシー暗殺場面から幕を開ける。室内で椅子に乗って「神はわが家を祝福し給う」と彫られた額を架けているジェシー。窓の外に賊の姿が。背中から撃たれるジェシー。「ジェシー・ジェームズ死す」の見出しが新聞各紙の一面に踊る。

 農場に隠れて暮らす兄のフランクのもとに知らせが届けられる。「ミスター・フランク‥‥」と使用人のピンキー。「おれはフランクじゃない。ミスター・ウェザーズだと言ってるだろ。フランクは死んだんだ」「ええ!? だって、生きてらっしゃるじゃないですか!?」「そういうことにしてあるんだよ」「わかりました、ミスター・フランク」。肩をそびやかすフランク。

 フランクが育てている少年ジャッキー・クーパーは血気にはやるが、フランクは仇討ちに気乗りしない。が、フォード兄弟がすぐさま恩赦になり、しかも鉄道会社がジェシーに掛けた懸賞金まで手にしたと聞いて、秣桶に隠してあった44口径の拳銃を取り出す。

 農夫となった元罪人がふたたび武器をとる。『許されざる者』のような展開。

 鉄道の事務所に忍び込み、社員を脅して給料を強奪。かけつけた用心棒との撃ち合いの際、用心棒の放った流れ弾にあたって、社員が命を落とす。

 フォード兄弟がジェシー暗殺場面を笑劇に仕立てて上演している。怒り心頭に発して桟敷席で立ち上がるフランク。舞台上のボブ・フォードと目が合う。一騒動。

 フランクが生きていることを世間の目から隠すために、フランク「暗殺」の場面を新米の女性記者に話して聞かせるジャッキー・クーパー。

 新米記者は美しきジーン・ティアニー。これはかのじょの記念すべきデビュー作。スクープ記事がガセとばれてもしゃあしゃあ。
 
 農場では、ピンキーが事務所員殺害容疑で逮捕され死刑判決を受けていた。フォード兄弟を討つか、使用人の黒人を救うかのジレンマに立たされたフランク、正義感の強い女性記者に説得され、復讐のチャンスをあきらめてピンキーの無実を晴らすために出頭して裁判にかけられる。ここで突然、長くてユーモラスな裁判シーンがはじまる。

 裁判シーンはラングにとってお手のもの。いつもどおり、善人が悪人を裁くという図式におさまらない。鉄道会社に買収された陪審員。ヤンキー(北軍)と鉄道会社への恨みをはらそうとフランクに加担する元南軍の陪審員(クァントリルを英雄視している)。

 ボブ・フォード(ジョン・キャラディン)がフランクの死刑判決を見物しようと姿を現すも、早々に無罪判決が出て、脱兎のように裁判所から逃げ出す。二発の銃声。外でクーパーが腹を押さえている。「復讐を遂げたつもりが返り撃ちされた。ぼくの弾が奴に当たっていればいいんだけど」とフランクの腕の中で息絶えるクーパー。

 フォードの逃げ込んだ納屋に入っていくフランクを納屋のなかから捉えたショット。逆光の中に穿たれた明るい矩形のなかにこちらに歩いてくるフランクを捉える。

 闇の中での探り合い。台詞なし。当然、耳が鋭くなる。秣の音、ドアの音、馬の足踏み。物音が効果的に使われる。「スピーディーな映画のなかに導入されたリタルダンドの効果」(ロッテ・アイスナー)。薄やみのなか、フォードが血で染まったシャツの腹を押さえ、口からも血を流しているのが確認できる。フォードがドア越しに何発か発砲する。それきり物音が途絶える。フランクがドアを押し開けて踏み入ると、すでにフォードは秣に倒れて絶命している。クーパーの放った銃弾が致命傷になったのだ。

 ラストは振り返ってフランクに手を振るジーン・ティアニーのショット。キャメラが右方の壁にパンすると、ぼろぼろになったジェームズ兄弟指名手配のポスターが風で破れるアップ。

 ラングお得意の復讐譚(『クリームヒルドの伝説』『激怒』)であるはずが、復讐の主題は能うかぎり弱められている。フランクは復讐よりも色気を優先し、フランク自身は敵にちょくせつ手を下さない(チャールズ・フォードは銃撃戦のさなかに岩場から足を滑らせてみずから崖底に転落する)。『地獄への道』の田園ファミリーメロドラマとの連続性を維持するため、あるいは看板俳優のヘンリー・フォンダのイメージを守るために、フランクが不自然に非暴力主義者に仕立て上げられている。ハッピーエンドという結末もそもそも反ラング的であるが、これは罪人が精神的に罪を贖ったことの表現であり、かならずしも当時の西部劇のご都合主義にしたがったわけではないのだ、という弁明もありえよう。

 金髪でそばかす面のジャッキー・クーパーは、『ムーンフリート』のジョン・モフーンにどこか通じる。

彼らは深紅のマントをつけたまま死んだ:『スパルタ総攻撃』

2013-12-24 | その他

 Viva! Peplum! 古代史劇礼讃 No.22

 『スパルタ総攻撃』(ルドルフ・マテ,1961)

 古代史劇映画において特権化されている題材は、古代ローマの放蕩であり、聖書の神聖さであり、エジプトの神秘であり、ギリシャ神話のファンタジーである。これらに比べて、ギリシャの古代史は観客の気を引かないとされ、等閑視されてきた。――少なくとも、『300』までは。

 その『300』にインスピレーションを与えた『スパルタ総攻撃』は、同時期に撮られたジャック・ターナーの『マラトンの戦い』と並んで、この題材を扱った数少ない佳作として貴重である。しかも、イタリア人のスタッフをギリシャに送り込んで撮影されたハリウッド映画という異色作。

 深紅の壁紙で飾られ、薄衣の女たちが舞いおどるクセルクセスの本部。それが白壁のスパルタの会議場とカットバックで映し出される。「ペルシャの隊列が目の前を通り過ぎるのを見届けるのに6日かかった」と報告するスパルタの斥候。「縦か横か。その盾を構えて帰ってくるか、上に寝かされて帰ってくるか」。夜間の海を横切る赤いマントのスパルタ軍の隊列。ベネチア派の絵画を浸しているような黄金色の夕陽のなか、突撃をかける騎兵の背景で白い波頭を翻す海。騎兵による奇襲に備え、一斉に身を伏せて亀のように盾の影に身を隠すスパルタ兵。その上を駆け抜けて行く馬の列。炎に包まれる黒装束のペルシャ兵。柔術に長けたスパルタ女性。吉兆の夢を話して聞かせる山小屋の老人。ギリシャとの混血のペルシャ王の愛人は、どちらの陣営に与しているのか?「われわれの兵士が弱いのではなく、敵が一枚上手なのだ」「潰走するのではなく、騎兵に不利な土地柄なのだ」と口が減らないペルシャの参謀。テミストクレスとサラミスでの再会を約したのち、決死の総攻撃をかける生き残りたち。ぐるりを敵に囲まれた円陣のスパルタ兵が矢の雨に一人また一人と倒れ込んで死体の山を作る壮絶なラスト……。そこからアテネの無名戦士の墓に立つレリーフへとオーバーラップし、ギリシャの王室と政府と軍の協力に対する献辞が流れる。

 シネマスコープで切り取られた傾斜の厳しい山地の迫る海辺の風景美を縦横に活用し、極彩色に彩られた悠揚迫らざる叙事詩。

 ヘロドトスはアテネとスパルタのそれぞれの視点からこの戦争を描いたが、本作は一貫してスパルタの視点で描かれる。

 製作・監督・脚本(ジョージ・セント・ジョージと共同脚本)は、『裁かるるジャンヌ』『ギルダ』の撮影監督として知られ、フィルムノワールの古典『D.O.A.』を残したルディー・マテ。撮影にジェフリー・アンスワース。レオニダスにリチャード・イーガン、テミストクレスにラルフ・リチャードソン。デヴィッド・ファラー演じるクセルクセスは『300』とちがってずいぶんと人間くさい。

 

恋人の眼の前で、今……!:『ディミトリアスと闘士』

2013-12-23 | その他

 Viva! Peplum! No.21 『ディミトリアスと闘士』(デルマー・デイヴス、1954年)


 デミル擁するパラマウント、超大作『クウォ・ヴァディス』のMGMに対抗するかたちで、そしてなによりテレビの脅威への防衛策として、20世紀フォックスが発表した初のシネマスコープ作品『聖衣』(1953)をきっかけに、ハリウッドではワイドスクリーンブームが巻き起こる。

 同じフォックスで本作のほか、『エジプト人』(カーティス)、『異教徒の旗印』(サーク)。ワーナーで『ヘレン・オブ・トロイ』(ワイズ=ウォルシュ)、『銀の杯』(サヴィル)、『ピラミッド』(ホークス)などなど。

 『聖衣』の「続編」として撮られた本作は、ヴィクター・マチュアが本編と同じ奴隷役、カリギュラにジェイ・ロビンソン、ペテロにマイケル・レニーを配する。
 
 監督にはデルマー・デイヴス。西部劇で発揮された色彩感覚と空間的センスを横長画面でいかんなく発揮。

 マーセラスに解放され自由民となるも、聖衣を隠した科でグラディエーター養成所に送り込まれるディミトリアス。「おまえがクラウディウスの養成所に来たのはラッキーだった」と養成所の人。いろんな養成所があったようだ。養成所で一斉に剣を交える剣士たちを捉えた大俯瞰は圧巻。とにかく絵がきれい。このへんが本作最大の魅力だろう。

 『サムソンとデリラ』ではライオンで苦労したマチュア、今度は虎と取っ組み合う。

 メッサリーナ役にスーザン・ヘイワード。コッタファーヴィ版ではゴージャスなブロンドのベリンダ・リーが演じていたが、この人は赤毛。概して古代史劇映画ではブロンドは好まれず、エキゾチックで悪の香り漂うブルネットが特権視されていたと言える。

 中西部あたりのカントリーテイスト漂わせつつ、堅物のキリスト教徒マチュアを誘惑して信仰を捨てさせたり、マチュアの恋人を死に至らしめたりと一応、悪女。

 マチュアの恋人役は麗しき白肌のデブラ・パジェット。親切な娼婦?アン・バンクロフトの導きで、商売女たちにまぎれてマチュアの監獄に面会に来るも、メッサリーナの策略でむくつけき半裸の囚人たちに襲われ、鉄格子の向こうの恋人の面前で接吻を奪われたその瞬間に絶命する。鉄格子にしがみついて悔し涙流すマチュア。恋人の目の前で‥‥という、よくある陵辱パターン。しかしご安心を。パジェットはその後、くだんの聖衣の効力で復活します。

 脚本はフィリップ・ダン。『聖衣』もこの人だが、『聖衣』は事実上、赤狩りで睨まれていたアルバート・モルツに名前を貸したという面が大きいらしい。『わが谷は緑なりき』『幽霊と未亡人』といった名作のほか、『愛欲の十字路』(キング)、『エジプト人』(カーティス)といった古代史劇映画を手がける。ダリル・ザナックを説き伏せてフォックスに歴史ものや聖書ものの路線をとらせたのはこの人。脚色ものを得意とするが、本作は数少ないオリジナル脚本のひとつ。

 撮影にヴィンセント・ミネリ作品などのミルトン・クラスナー。

 音楽にフランツ・ワックスマン(『フランケンシュタインの花嫁』『レベッカ』『サンセット大通り』『陽のあたる場所』)。この時期、スペクタクル大作を手がけるようになる。『聖衣』のアルフレッド・ニューマンのスコアを絶妙に本家取り。

 狂気の皇帝を演じるジェイ・ロビンソンのマニエリスティックというかモノマニアックなジェスチャーはパロディーすれすれ。案の定、舞台でシェイクスピアを演じていたという。

 クラウディウスにバリー・ジョーンズ。「私は神になるつもりはない。皇帝の役を演じるまでだ」。「私は皇帝の妻を演じます」とメッサリーナ、これに応じる。


血みどろの入江:カメリーニ+バーヴァの『ユリシーズ』

2013-12-22 | その他

Viva! Peplum! 古代史劇礼讃 No.20


『ユリシーズ』(マリオ・カメリーニ+マリオ・バーヴァ、1953)

 『クオ・ヴァディス』(マーヴィン・ルロイ、1951年)以来、多くのハリウッド製古代史劇映画がチネチッタで撮られるようになる。技術的、経済的な理由のほか、口うるさいユニオンの介入からも自由に撮れたせいであるという。この「空洞化」は、ハリウッドの凋落を加速化することにもあずかって小さくなかった。

 カーク・ダグラスを主演に(+アンソニー・クイン)、ファンタジーゆたかなギリシャ神話に材をもとめ、ゴージャスなテクニカラーで彩った本作は、イタリア映画ながら、そうした流れのなかで生まれ、いろいろな点でその後の古代史劇映画の流れに影響をあたえた世界的大ヒット作。

 トルナトーレの『ニュー・シネマ・パラダイス』でも、シチリアの片田舎の映画館の観客を虜にしていたことは記憶に新しい。

 沿岸に実物大の帆船のセットを立て、一つ目巨人を撃退するシーンでは、オランダ産の葡萄をわざわざ輸入したという(イタリアではオフシーズンだったので)。

 ギリシャ神話ものがむずかしいのは、時代考証的な側面だろう。本作では、ギリシャふう、ミケーネふう、アッティカふうと、意図的にいろんな時代のスタイルがごたまぜになっている。それによってギリシャ神話の「普遍性」を表現していると言えばよかろうか。

 撮影には大ベテランのハロルド・ロッソン(『白昼の決闘』『アスファルト・ジャングル』『エル・ドラド』)がついているが、本作のヴィジュアル・デザインを発案したのは、ノンクレジットで演出と撮影を手がけているマリオ・バーヴァにほかならない。サイケな極彩色の照明を大胆に使った本作は、その後のチネチッタ産古代史劇映画のヴィジュアル・スタイルを決定づけることになる。

 なお、バーヴァはその後1968年にテレビ作品『オデュッセイア』の一挿話も演出している。

 ギリシャ神話をアドベンチャーロマンとして上手くアレンジした本作の成功がひとつの引き金になって、ワイズ=ウォルシュの『トロイのヘレン』や一連のヘラクレスものなどが生まれたという。

 ディノ・デ・ラウレンティスとカルロ・ポンティが製作を担当。ペネロペ=キルケー役にその片割れの奥方、美しきシルヴァーナ・“パゾリーニのイオカステ”・マンガーノを起用。イタリア側からはほかに、ロッサナ・ポデスタ(ナウシカー)、元オリンピック選手ウンベルト・シルヴェストリ(一つ目の巨人)ら。

 デ・ラウレンティスは、フランチーシ『侵略者アッチラ』(1953)、コルブッチ『Maciste contro il vampiro』(1961)といった古代史劇映画の製作者としての顔も知られてよい。

 監督にはかのゲオルク・ウィルヘルム・パプストが予定されていたが、ドタキャン。『ナポリのそよ風』の名匠マリオ・カメリーニが起用された。

 キュプロス、キルケー、セイレーンなどのエピソードがユリシーズのフラッシュバックによって物語られるという時間軸の操作(原作そのものがそうなっている)、ペネロペ=キルケーの二役(「一人の女と別の女の区別など、男の幻想にすぎないのよ!」)などの冴えたアイディアを含む脚本には、カメリーニ、エンニオ・デ・コンチーニ、フランコ・ブルサーティらが連名でクレジットされているが、ベン・ヘクトやアーウィン・ショーも関わっているという。

 エンニオ・デ・コンチーニは、コッタファーヴィ作品、フランチーシのヘラクレスもののほか、レオーネ、ターナー、ガローネらの古代史劇映画を手がけているほか、ジェルミ、アントニオーニ、リージ、コメンチーニ、フルチらとも組んでいるヴァーサタイルな人。カメリーニとはキング・ヴィダーの『戦争と平和』でも一緒に本を書いている。ブルサーティには『アンナ』『ロミオとジュリエット』などがある。

 プリミティブな特殊効果も手伝い、純朴でワイルドなホメロスらしい血湧き肉踊る紙芝居に仕上がっている。

 カーク・ダグラスの回想によれば、インターナショナルな現場にはつねに複数の言語が飛び交っていた。意味不明の叫びが交錯する騒々しいセットでラブシーンを演じたりしていたそうだ。

 

戦慄のプレゼント魔!!!:コッタファーヴィ版『メッサリーナ』

2013-12-15 | ヴィットリオ・コッタファーヴィ


 Viva! Peplum! 古代史劇映画礼讃 No.19

 Messalina(ヴィットリオ・コッタファーヴィ、1960)

 もうすぐクリスマス。史上もっとも悪名高い(?)プレゼント魔の話をしよう……

  1910年のアルベール・カペラーニ作品にはじまり、これまでに一ダースほどの映画に主題を提供してきた悪女伝のコッタファーヴィ版。

 一説によると、古代史劇映画で描かれてきたヒロインたちは、ほとんどつねに有名なカップルの片割れとして、男性の主人公とセットで描かれてきた。ダヴィデとベトサベしかり、サムソンとデライラしかり、シーザーとクレオパトラしかり、イエスと三人のマリアしかり、ネロとポッパエアしかり。女性が単独で主役を張っているのは、おそらくメッサリーナだけではないかと言うのだが……ちょいと苦しいか。

 宮殿に通じる石段に落ちている月桂冠のアップ。真白な石段に動かなくなった手の影が映り、やがて真っ赤な鮮血が滴り落ちてくる。カリギュラの暗殺を大胆にデザイン化したシュルレアリスムふうの耽美的なショットによって、物語は華々しく、まがまがしく、おどろおどろしく幕を開ける。ローマの道徳的退廃を説くナレーションがかぶさるのが野暮におもえるほど雄弁な映像だ。

 庭園の薄暗い並木道を歩く白いベールの巫女。寄っていくキャメラに向かって挑むように目を上げる。

 木陰から男が押し殺した声で名を呼ぶ。「ヴァレリア!」女は中年男に返事をする。「スプリッキオ!」「次の皇帝はクラウディウスに決まるだろう。おまえはかれの嫁になるのだ。ローマはかつてない美女を妃としてもつことになる。おれたちの天下がはじまるのだ」。シェイクスピア的と言うべきオープニング。

 宮殿にクラウディウスが入城する。華々しい饗宴の最中、スプリッキオがクラウディウスにヴァレリアを娶るよう説き伏せている様子を深い仰角で捉える。いかにも陰謀を企んでいますといった図。クラウディウスの側近ナルキッソスがこれにめざとく目を止め、近づいてくる。「ローマの運命を決めているところですかな?」

 ふたたび巫女の庭園。ルキウス・ジェタがヴァレリアに求婚するも体よくかわされる。そこへ今度は若い兵士ルキウス・マッシモが声をかけてくる。「ちょっとそこ行くねえちゃん。お名前なんてえの?」翌日会う約束をとりつけて別れる。

 松林。白いガウンをはだけてルキウスを誘惑するヴァレリア。「つぎに会える時まで指折り時間を数えることになるだろうよ」「草の上に坐りましょう」。

 アルメニアの砦にカットバック。ふたたび草地の二人にカットバック。ふたたび砦の出陣場面へ。

 宮殿の石段で婚礼が執り行われている。急な石段の斜面がスクリーンを鋭くよぎる、不安を催させるようなショット。

 室内のヴァレリア=メッサリーナとスプリッキオ。「ふふふ。とうとうおれたちの天下だな。おまえの表向きの夫はクラウディウスでも、夜の皇帝はおれさまだぜ」。満足気に杯をあおぐスプリッキオ。と、みるみる顔色が変わり、その場に倒れ込む。「ルキウス・ジェタを呼んで」と扉の外の護衛に言いつけるメッサリーナ。室内に戻るや、短剣でスプリッキオにとどめを指す。

 ジェタが到着すると、体を委ねる約束をして、死体を始末させる。
 
 メッサリーナの寝室。賊が忍び込み、眠っているメッサリーナに刃を向けるが、その美貌を目にして気後れする。目覚めたメッサリーナ、「殺すのがもったいないと思ってんでしょ?」と若い賊を誘惑する。賊を演じているのはジュリアーノ・ジェンマである。

 ジェンマが寝台で寝入っている。メッサリーナとジェタが慌ただしく寝室に入ってくる。その配下の者らに刺され、あわれプールに落ちて絶命するジェンマ。そこへ背後から音もなく入ってきたのは爬虫類顔のナルキッソスである。メッサリーナに囁く。「あまり調子にのらないほうが身のためですぜ」

 政敵のガイウス・シリウスらをメッサリーナが直々訪ねてくる。「プレゼントよ」とジェンマの生首を差し出す。

 「こうした“プレゼント攻勢”を武器に、数年の間にメッサリーナは着々と野心を遂げていくのであった」とのナレーションが入る。

 路上で巫女がルキウスに忠告している。「ヴァレリアのことは忘れなさい」。街中の民衆は、現某国の人民のように、残らずメッサリーナに感化されている。友人と入った酒場で客とのあいだにジョン・フォード的な殴り合いのシーン。

 アルメニアのキリスト教徒らの村が炎につつまれている。逃げ惑う村民たち。その中には美しい17歳の娘シルヴィアの姿もある。白いチュニカを纏った元老院議員のオール・チェルソスがメッサリーナのやり口を非難し、属州の民衆の惨状をルキウスとジェタに訴えている。

 ルキウスが帰宅すると、ヴァレリアが訪ねて来ていた。熱い接吻に、白いチュニカのヴァレリアによるストリップシーンがつづく。

 情事のあとのベッドで葡萄の房を手に、「4年は長かったわ……」とヴァレリア。

 ルキウスが宮殿に呼ばれる。皇妃が入浴中、その場で直立不動のまま待たされるルキウス。ベールを通して入浴中の皇妃のシルエットがいやでも目に入る。青いバスタオルを巻いてベールの向こうから姿を見せる女。「近う寄れ」。そこにいるのはなんと恋するヴァレリアであった。「おまえが!メッサリーナだと!?」ためらうルキウスを誘惑するメッサリーナ。

 薄暗い部屋の廊下を伝う人の影。「誰か?」とデスクで仕事中のチェルソス。影の主はシリウスである。「メッサリーナにはくれぐれも用心しろよ」

 アルメニアの村で口論するチェルソスとルキウス。

 牛乳浴中のメッサリーナ。風呂から上がるメッサリーナの体を白いバスタオルでくるむルキウス。

 シルヴィアがルキウス宅に押しかけてくる。「家が焼かれて寝るところがないから、遠慮なくお世話になるわ。意外といいところにいるじゃない」

 シリウスが寝台に担がれてチェルソス宅の門前に到着する。部屋の中に血を流したチェルソスの死体が転がっている。「自殺だ」と断定するシリウス。押しかけた野次馬のなかには庇護者を失って泣くシルヴィアの姿も。何ごとか深く決心した表情のルキウスは、その足でメッサリーナを訪ねる。詰問するルキウスに「あんたの親友のジェタがかれの“自殺”に立ち会っていたのよ」とメッサリーナ。

 ジェタがメッサリーナの寝室に呼ばれる。「私とあんたは秘密を分け合う仲。ルキウスをうまく丸め込んでおいて」。「手遅れになる前にやめたほうが身のためだぜ」と恐る恐る忠告するジェタ。

 自ら毒をあおったジェタがルキウスを訪ねてくる。「殺したのは俺だ」と告白してその場で息絶える。

 ルキウス、メッサリーナのもとへ怒鳴り込もうとするが、護衛に追い出される。別室でナルキッソスがメッサリーナ暗殺をルキウスに暗に持ちかける。メッサリーナにジェタの死体を差し出すナスキッソス。青ざめるメッサリーナ。

 庭園。夫のクラウディウスにナルキッソスをお払い箱にしろと進言するメッサリーナ。

 シリウスを訪ねていくメッサリーナ。白い巫女服の上に羽織った黒いベールをとりながら、クラウディウス暗殺をそそのかす。「今度の“プレゼント”はローマよ!」

 ルキウスはボランティアを集めて自前の軍隊を組織し、メッサリーナに対抗する準備を着々と進めている。ルキウスに翻意するよう訴えるメッサリーナ。「私はまだ皇帝の妃なのよ」「だったらおれを殺せばいい」

 ルキウス宅を出たメッサリーナをなじるシルヴィア。「ルキウスを本当に愛しているのは私よ」。「この娘をひっとらえな」。逮捕されそうになったところをルキウスが止め、馬に乗せて逃走する。すぐさま追っ手が放たれる。反乱軍の仲間のところへ到着するルキウスとシルヴィア。

 シリウスがメッサリーナへの書簡を侍女に託す。

 クラウディウスの側近の一人フォンテイウスがメッサリーナの部屋へ。このごつい中年男も愛人の一人らしい。

 フォンテイウスが部屋から出てきたところを見かけて柱の影に身を隠すナルキッソス。そこへメッサリーナの侍女が通りかかる。「後ろ手に何を隠しているんだ?」メッサリーナへの手紙を篝火に投げ込んで燃やす侍女。ナルキッソスに囚われて拷問にかけられる。焼きごてを腹に当てられた侍女は白状。すぐさまルキウスが呼ばれる。

 山地でクラウディウスがシリウスの軍に襲撃を受ける。滝壺、ついで丘陵地での合戦。沼の中でルキウスとフォンテイウスがとっくみあう。

 ナルキッソスは、フォンテイウスがクラウディウスを仕留めたと報告させる。宮廷では饗宴が催され、野心の達成を喜んでシリウスとメッサリーナが杯を交わしている。そこへ知らせが嘘であったことが告げられる。乱入した軍との間に激しいチャンバラがひとしきり続き、死体の山がうずたかく積み上げられる。シリウスは絶命、そしてついにクラウディウスが直々に姿を現す。あたりが静まり返り、床が見えなくなるほどの死体の山を踏み越えながらナルキッソスがメッサリーナの方へ歩み寄って行く。短剣を渡されたメッサリーナは自害を拒み、「殺すな」というルキウスの叫ぶ声も虚しく、ナルキッソスに腹を一突きにされる。「愛したのはあなただけよ」とルキウスへの言葉とともに息絶える悪女。「ローマが生きるためにメッサリーナは死なねばならない」とナルキッソス。「そんなローマなら滅んじまえ!」と捨て台詞を吐いて出て行くルキウス。

 強風が木立を揺らす海岸をキリスト教徒たちが列をなして進む。シルヴィアもその中にいる。やがてルキウスがそこに合流しにやってくる。紺碧の空が目に染みる。

 THE END


 これまでマリア・フェリックスやスーザン・ヘイワードといった女優によって演じられてきたメッサリーナ。本作でタイトルロールを演じるのはハマー・プロの作品などにも出演したイギリス人女優ベリンダ・リー。本作公開の翌年に亡くなっている。享年25。メッサリーナ本人にも増して短命だったことになる。

 メロドラマの撮り手からキャリアを出発させたコッタファーヴィは女性の描き方に妙味を発揮するが、本作のメッサリーナのキャラにはおよそ陰影というものがない。ルキウス役のジュゼッペ・リナルディも、相手役に見合って陰影の欠けたロック・ハドソンふう表層俳優。

 興味はむしろ彼女に翻弄され、醜く争い合う男たちの図だろう。そんな中でローマ人の矜持をわずかに伝える元老院議員のチェルソスの存在が作品に救いをもたらしている。

 ドゥッチオ・テッサリが助監督についている。