ウェスタナーズ・クロニクル No. 18
フリッツ・ラングの西部劇(その1)
『地獄への逆襲』(フリッツ・ラング、1940、20世紀フォックス)
ジョーン・ベネット――中央ヨーロッパの映画監督にアメリカの西部劇を撮らせようなんてなぜ思ったの?
ダリル・ザナック――彼にはわれわれに見えていないものが見えるんじゃないかと思ってね。
アメリカにおける西部劇は、イギリスのアーサー王伝説、フランスのローランの歌、ドイツのニーベルンゲン伝説に相当するものである。この意味で、『ニーベルンゲン』の監督が西部劇を手がけるのは十分に理にかなっている。
ヘンリー・キング『地獄への道』の後日譚で、ラング最初のカラー作品。画家出身らしく、きつすぎるコントラストを現像の段階で弱めたりと、ラングはカラーへのきめ細かい配慮を払った。
ドイツ表現主義の担い手で、セット撮影のスペシャリストだったラングは、ロケ撮影を大いに楽しんだ(本作はラングのさいしょのカラー作品)。シュールな奇岩や巨木を捉えたショットには表現主義映画の面影が残る。岩場での銃撃戦はのちのアンソニー・マンのウェスタンを思わせるが、マンの傑作群のプロヂューサーであるアーロン・ローゼンバーグが本作の助監督についていた。
『地獄への道』幕切れのジェシー暗殺場面から幕を開ける。室内で椅子に乗って「神はわが家を祝福し給う」と彫られた額を架けているジェシー。窓の外に賊の姿が。背中から撃たれるジェシー。「ジェシー・ジェームズ死す」の見出しが新聞各紙の一面に踊る。
農場に隠れて暮らす兄のフランクのもとに知らせが届けられる。「ミスター・フランク‥‥」と使用人のピンキー。「おれはフランクじゃない。ミスター・ウェザーズだと言ってるだろ。フランクは死んだんだ」「ええ!? だって、生きてらっしゃるじゃないですか!?」「そういうことにしてあるんだよ」「わかりました、ミスター・フランク」。肩をそびやかすフランク。
フランクが育てている少年ジャッキー・クーパーは血気にはやるが、フランクは仇討ちに気乗りしない。が、フォード兄弟がすぐさま恩赦になり、しかも鉄道会社がジェシーに掛けた懸賞金まで手にしたと聞いて、秣桶に隠してあった44口径の拳銃を取り出す。
農夫となった元罪人がふたたび武器をとる。『許されざる者』のような展開。
鉄道の事務所に忍び込み、社員を脅して給料を強奪。かけつけた用心棒との撃ち合いの際、用心棒の放った流れ弾にあたって、社員が命を落とす。
フォード兄弟がジェシー暗殺場面を笑劇に仕立てて上演している。怒り心頭に発して桟敷席で立ち上がるフランク。舞台上のボブ・フォードと目が合う。一騒動。
フランクが生きていることを世間の目から隠すために、フランク「暗殺」の場面を新米の女性記者に話して聞かせるジャッキー・クーパー。
新米記者は美しきジーン・ティアニー。これはかのじょの記念すべきデビュー作。スクープ記事がガセとばれてもしゃあしゃあ。
農場では、ピンキーが事務所員殺害容疑で逮捕され死刑判決を受けていた。フォード兄弟を討つか、使用人の黒人を救うかのジレンマに立たされたフランク、正義感の強い女性記者に説得され、復讐のチャンスをあきらめてピンキーの無実を晴らすために出頭して裁判にかけられる。ここで突然、長くてユーモラスな裁判シーンがはじまる。
裁判シーンはラングにとってお手のもの。いつもどおり、善人が悪人を裁くという図式におさまらない。鉄道会社に買収された陪審員。ヤンキー(北軍)と鉄道会社への恨みをはらそうとフランクに加担する元南軍の陪審員(クァントリルを英雄視している)。
ボブ・フォード(ジョン・キャラディン)がフランクの死刑判決を見物しようと姿を現すも、早々に無罪判決が出て、脱兎のように裁判所から逃げ出す。二発の銃声。外でクーパーが腹を押さえている。「復讐を遂げたつもりが返り撃ちされた。ぼくの弾が奴に当たっていればいいんだけど」とフランクの腕の中で息絶えるクーパー。
フォードの逃げ込んだ納屋に入っていくフランクを納屋のなかから捉えたショット。逆光の中に穿たれた明るい矩形のなかにこちらに歩いてくるフランクを捉える。
闇の中での探り合い。台詞なし。当然、耳が鋭くなる。秣の音、ドアの音、馬の足踏み。物音が効果的に使われる。「スピーディーな映画のなかに導入されたリタルダンドの効果」(ロッテ・アイスナー)。薄やみのなか、フォードが血で染まったシャツの腹を押さえ、口からも血を流しているのが確認できる。フォードがドア越しに何発か発砲する。それきり物音が途絶える。フランクがドアを押し開けて踏み入ると、すでにフォードは秣に倒れて絶命している。クーパーの放った銃弾が致命傷になったのだ。
ラストは振り返ってフランクに手を振るジーン・ティアニーのショット。キャメラが右方の壁にパンすると、ぼろぼろになったジェームズ兄弟指名手配のポスターが風で破れるアップ。
ラングお得意の復讐譚(『クリームヒルドの伝説』『激怒』)であるはずが、復讐の主題は能うかぎり弱められている。フランクは復讐よりも色気を優先し、フランク自身は敵にちょくせつ手を下さない(チャールズ・フォードは銃撃戦のさなかに岩場から足を滑らせてみずから崖底に転落する)。『地獄への道』の田園ファミリーメロドラマとの連続性を維持するため、あるいは看板俳優のヘンリー・フォンダのイメージを守るために、フランクが不自然に非暴力主義者に仕立て上げられている。ハッピーエンドという結末もそもそも反ラング的であるが、これは罪人が精神的に罪を贖ったことの表現であり、かならずしも当時の西部劇のご都合主義にしたがったわけではないのだ、という弁明もありえよう。
金髪でそばかす面のジャッキー・クーパーは、『ムーンフリート』のジョン・モフーンにどこか通じる。