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成瀬巳喜男の終戦:『浦島太郎の後裔』

2016-10-15 | 成瀬巳喜男



 成瀬巳喜男『浦島太郎の後裔』(1946年)

 『姿三四郎』(正・續)の藤田進が柔道着をスーツに着替えてジョン・ドー(『群衆』)を演じる。“ツマバラ”みたいなバタくささで鳴らした成瀬による脱脂粉乳くさいキャプラのパスティッシュ。デコの髪型といでたちはジーン・アーサーそのもの。たしか『群衆』でウォルター・ブレナンがやっていた観察者的立ち位置の友人を中村伸郎が『悪魔が夜来る』か『第七の封印』にでもでてきそうな皮肉っぽい悪魔のようにクサ〜く演じる(黒装束に杖代わりの雨傘、帽子の庇で顔に濃い影が差す)。デコの伯母にして上司の杉村春子(東海林太郎眼鏡が不気味)の占領軍的説教、藤田をめぐるデコの恋敵となる代議士の娘(浅田真央的仏像顔の山根寿子)の翻訳劇くさい魔性の女ぶりともども寒すぎ(本作は東宝と文学座の提携作品)。

 およそ日本人が口にしそうにない芝居がかった台詞のオンパレード。日の丸も和服も日本家屋もでてこない(もちろん焼け跡も)。遊園会の場面では半裸をヴェールに隠したダンサーのサロメふうダンスが延々映し出されるが無惨に扇情性を灰汁抜きされている。

 帰還兵である藤田はキングコングよろしく議事堂の頂上によじのぼり、ターザンふうの雄叫びをあげる(特撮に円谷英二がクレジットされている!!)。全国民に伝染するこの雄叫びは占領軍によって封印された「鬼畜米英」であり、去勢されたやまとことばの謂いであろうか(雄叫びは明確に「歌」として演出されている。藤田は音楽教師さながら代議士らに雄叫びの稽古をつけ、音痴の「生徒」にダメ出しをする)。終盤、デコと恋敵が対峙する場面では、闇夜に白い息がエクトプラズムのようになまなましく浮き出ている。息が声に抵抗している。エクトプラズムといえば、藤田の内的葛藤を表現する夢の場面では、かれのからだから二体の分身が抜け出して対峙する『怪人マブゼ博士』の二重焼き付けシーンの明らかな引用がある。

 藤田は民主主義の仮面をかぶった軍国主義の亡霊の傀儡にされかける。“浦島は二度目覚める“と人物のひとりが本作のメッセージを代弁する。議事堂の屋根を占拠する藤田の動向を伝える新聞が何度もアップで抜かれるが、その紙面の隅にさりげなく世相が読みとれる(満州からの引き上げ、大学の共学化、etc.)。

 広場やホールを埋め尽くした群衆の雄叫びは来るべき東宝争議の前触れか?山田和男(一雄)のスコアはショスタコ5番のれいの出だし(『日本の夜と霧』『蘇る金狼』)を執拗に引用する。言い添えればこの指揮者は同曲の本邦初演者である。

 成瀬らしい緊迫感に満ちたカッティングがまったく見られず、演出は著しく精彩を欠く。それゆえか誰もに愚作あつかいされているが、なかなかどうして、『なつかしの顔』『愉しき哉人生』の監督らしい摩訶不思議な映画である。『浦島太郎の後裔』を再発見すべし! 
 
 キャストはほかに菅井一郎、宮口精二。
 
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