頼る
自分の軸とか中心、自立がありつつ委ねる、頼るということなのかと想う
そこがないと、単なる頼りきり、任せきりとなるように想う
自分のコトなのに、人任せとなるでしょう!
または、頼る人が操作しようとすれば言いなりとなるかもしれません。
もしかしたら最初は何もできないとしても、自分で立つ意識や想いは必要でしょう!
できなくても、どう頼りながら、委ねながら自分が関わっていくか!
そんなことを想った!
間合いとか距離感といえるかもしれませんね。
昨日はフェルデンクライスATMレッスンでした。
今回はより身体の繋がりと動きと体のやり取りを感じられました
足からのレッスンであったのですが
足の細かい所の意識を向ける(意識という言葉は色々なコトや捉え方を含みますがここでは使います)、感じる、
その足の小さい細かい動きに意識や感じることを行う
そして、脚から膝、骨盤、背中や首、さらに腕までも動いていくことに意識を向ける、感じていく
または、あえて動きにくい(と感じる、思う)所でも行う。
今回、
その細かい身体の意識や感じることで身体の細部までが活動できるようになり、全体で動けたり捉えることができるようになれると、フェルデンクライスで感じられました。
そうなることで、力みはいらず全体で捉えて動け、無理の無い動きや力まずともしっかり軽く立てる姿勢でいられます
ATMレッスンで
無理せず、頑張らず力ではなく流れやその行うことに意識を向けるのは、細かい所の身体のやり取りを感じていくことを注視していくからなのではと思います。
その身体のやり取りを脳に伝わるわけであり、身体に無理無駄なく心地よくいられるために脳もその身体に合わせていくのではないかと思います。言い方を変えれば自然体と言えるのかもしれません。
なので、自分の癖や本来やりにくい方向や動きも混ざってきますが、その中でどう身体を合わせていくか!やりにくさ、難しさの中で、どのようにやりにくくないと感じる流れを探るか!難しくないと少しでも思える身体の動きを見つけていくか!自分の癖やパターンという脳の癖による力任せにならずに、身体の流れを感じ意識していけるか!
そこは出来る出来ないとか、動ける動けないというある意味勝ち負けの価値観ではないように感じます。
その中で身体全体でどうしていくか!どうぞの動きに関わり細かい意識で繋げていくか!という感じていくことが大切なのではと感じました。
それらの細かく感じること、繋がり(連動)を感じられること、動きの選択肢の幅を感じられることが
『気づき』
と言えるのかもと思いました。
そして小さい動きであればあるほど、細かく意識を向けやすくなりより身体を洗練されるように思います。
(そういう感じられることで大きな動きでも大雑把にならずにいられるように思います)
そして、この細かい身体の感覚があることで、普通に立つ、歩く、動くが無理無駄なく、不必要にどこかに頼ることもなく、頑張ることもなく、心地よくいられるのだと思います。
これらは、今年取り組ませていただいた身体原理や身体の使い方で感じ捉えたことと同じであり、なのでよりフェルデンクライス(私はATMレッスンのみですが)の深さを自分なりにですが感じられたように思えました。
・力感のない抜けている状態(腑抜けているわけではないです)でいられることで、身体に合わせられ、さらにハンモックに合わせられ、・・・
・自分が頑張り何とかしなくても、ハンモックが導いてくれそこに合わせるだけで本当に委ねるという感じが知れた。
・ドンと乗せ切るのはハンモック任せで自分の流れを作れていないのかもしれないのかなと思う。
・自分が(身体の流れなど)繋がりハンモックと合わせられ繋がるとピンとした緊張ではなく、ゆとりある張りであり、心地よく居られる。
・優しく丁寧にという感じが、丁度良い自分とハンモックとの関わり合いで、一体感ができたり、ゆとりある繋がる感じができるように感じる。
と書きましたが
さらに、これらは先生の伝えて下さる言葉からもヒントがあるなぁと思いました!
多分当たり前に使われている言葉なのかもしれませんが
「骨盤を引き上げる(立てる)」「頭から引っ張られるように」「背中を上げるように」「胸を広げて」などの言葉です。
これらは、ただ引き上げる!引っ張られる!上げる!広げる!という言葉により力任せで、緊張で行うのであれば、ハンモックにも合わせていないという状況にも感じます。
それは委ねてもいないですし、優しさもなく自分の緊張がハンモックの緊張となりぶつかり合う関係になるのではと思います。
そうなると一体感、ゆとりは出てこないように思います。
「骨盤を引き上げる」「頭から引っ張られる」「背中を上げる」などの言葉の中に、ハンモックに合わせていくための丁度良い張り、ハンモックの機能と自分が合わせられる状態にするという、その感じ方や意識・状態を持つということのように想えました。
要はただ自分が引き上げる、引っ張られる、引き上げるだけではないということです。
そしてその意識や感じ方はなぜ必要なのかというのは、ただ抜けている状態の「腑抜けていること」「ドンと乗せ切る、自分のないハンモック任せの緩いだけの状態」にならない、自分(身体の流れなど)が繋がりハンモックに合わせ繋げられるゆとりある張りになり、優しく丁度良く、自分とハンモックが関わり合え一体感ができる環境にする意味合いがあるのではと感じられました。
言葉の捉え方やその意図を捉えることは難しいですし、それぞれになってしまうのかもしれませんが、より良い状態や環境作るためにどうしていくことが良いのかは自分で決めることは出来るでしょう。
自分勝手ではなく、誰か任せでもなく、丁度良く無理のない繋がり合わせられる状態、ゆとりある関わり合いで一体感となれると相乗効果もでやすいのかもしれませんね(^^)
それらが自分が思ってた以上の感覚や実際の現象にもなり、何かが変わった!開いた!突き抜けた!深まった!感じ方感覚が違う!などの様になることもあるのではと思います。