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九代市川団十郎ゆかりの梅花亭

2012年06月28日 | 幕末グルメ

梅花亭は台東区柳橋にある明治中期創業の老舗和菓子屋です。
こちらの三笠山というお菓子が、九代団十郎によって名付けられたというので、行ってきました。
以前にも当ブログで少し触れたことがありますが、九代団十郎についてはわが家にちょっとした逸話が伝わっています。
今回はそのことについても紹介したいと思います。

私の先祖は維新後警視庁に出仕し愛宕下に住んでいましたが、近所に井戸という旗本が住んでいました。
初午の日などは娘を連れて、井戸家の屋敷内に祀られているお稲荷さんにお参りに行っていたそうです。
しかし明治となって数年後に、井戸家のご主人は亡くなってしまいました。
井戸家には奥さんと小さな坊ちゃんが残されました。
奥さんは大の歌舞伎好きで、九代団十郎の熱烈な贔屓でした。
金を湯水の如くつぎ込んだそうです。
やがてご主人が残した財産もすべて使い果たしてしまい、愛宕下にあった大きな屋敷も二束三文で売り払ってしまい、どこかに引っ越してしまったそうです。
それから数年後、私の先祖は警視庁を辞めて油屋となりました。
ある日、宅配のため油の桶を乗せた大八車を引いていると、同じように車を引いている人力車夫が通りかかりました。
しばらく並んで進んでいましたが、人力車夫の顔を見て、かつて近所に住んでいた井戸家の坊ちゃんに似ていることに気が付きました。
私の先祖が話しかけてみると、やはり人力車夫は井戸家の坊ちゃんの成長した姿でした。
坊ちゃんの話を聞いたところ、数年前に財産を使い果たしてからは住むところもないような生活をしていましたが、その時に団十郎に救われたのだそうです。
団十郎は、「大変贔屓にしてくださっていた井戸様の奥方が困っているのを放っては置けない」といい、奥さんを家政婦として市川家に雇い、奥さんと坊ちゃんを自分の屋敷に住まわせたということです。
やがて成長した坊ちゃんは学問をしたいと思うようになりますが、市川家に居候をしている身なので学費まで出してもらうわけにはいかないと考え、人力車夫をして稼いだ金を、自分の学費に充てることにしたそうです。
私の先祖は帰宅後、娘にそのことを嬉しそうに語ったという話が伝わっています。

この話を検証したく、ずいぶん前に井戸家の菩提寺を訪ねたことがあります。
しかし移転のためか空襲のためか、記録は残っていないとのことでした。
そのためご子孫にたどり着くことはできておらず、話の虚実は判明していません。
しかし九代団十郎のことを調べていて、長年団十郎のことを贔屓にしていた方が没落したときに、団十郎がその面倒を見たという話が伝わっていることを知りました。
九代団十郎は没落したかつての自分の贔屓を放っておけない、情の熱い人物であったことは確かなようです。
私の家に伝わっている話も、実際にあったことなのだろうと私は思っています。

梅花亭では、三笠山(260円)と三色梅最中(200円)と子福餅(170円)を買いました。
お店の方に話を伺ったところ、三笠山を食べた九代団十郎が「奈良の三笠山の山焼きの姿」と言われたことから名付けたのだそうです。
皮の焼き色とうぐいす餡の若草色の対比が美しいお菓子でした。見ためより歯ごたえがあるしっかりした皮の中に、きめ細かい餡がたっぷり詰まっており、皮と餡の食感の違いも楽しく感じられました。


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