尹派八卦掌

知っている人は知っている秘伝-中国伝統武術

王尚智先生の拝師の儀

2007-12-04 21:18:30 | Weblog
王尚智先生は、自分の師父何忠祺のことをとても誇りに思っているらしく
「何先生は生涯に渡って、弟子は私ひとりだけを受け入れました」と語ります。

今回は、王先生の拝師の儀について、紹介しましょう。

時間  1959年。王尚智は12歳、何忠祺師匠は52歳。
場所  北京市東単付近の「江西飯店」(今はなくなりました)で食事をしたあと
    拝師の儀式は、何先生のお家で行いました。
参加者 王尚智のお父さん王敷、師娘(何忠祺の奥様)、師叔何忠祥、師大爺趙寿齢、沙冠英、王景山、師兄尹希聖など。
    磕頭礼のあと、拝師帖を渡しました。

何忠祺に正式拝師できるまで、容易ではなかったようです。
以前にも書いたように、50年代では、三代目の伝人たちは殆ど在野し、武術をなるべく避けていました。しかし、王家では少し状況は違っていました。練習場を提供する王敷は、人より一層八卦掌のことを重視し、自分の子供(特に長男)にこの尹派八卦掌をきちんと受け継いでほしいと思っていました。一方、期待に寄せられた本人の王尚智も、先人たちの練習する姿を幼少の頃からふれていたため、八卦掌に対して、勉強する意欲は大きかったようです。

王宅で集まっていた練習仲間の中でも何忠祺の腕は一番良かった。
王尚智は5、6歳から、お父さんの王敷から教わっていましたが、12歳のとき、王敷は自分よりも何忠祺のところで弟子入れした方が良いと考えました。しかし、何忠祺は弟子伝授の気持ちは全くなくて、この話を何度も断りました。責任の重さ、自分の生活の異変、当時の社会状況など、様々な原因があったでしょう。
それでも、王敷は王尚智をつれて、何度も何家を訪ねて、懇切に願いを訴えました。前にも書きましたが、尹家と王家との関係は尹福の代からです。尹福を宮廷内に紹介したのは、王敷の曾祖父でした。何忠祺のお父さん何金魁は尹福の得意弟子、お母さんの尹金玉は尹福の一人娘です。何家と王家とも特別に親密な関係と言えましょう。このような事情もあってか、王家父子が度重ね足を運んだあと、何忠祺はようやく「拝師」に頷きました。


2 コメント

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拝師。 (謙)
2007-12-06 17:44:27
拝師のお話、興味深く読ませていただきました。
日本の武道では似たような内弟子制度はあっても、
拝師徒のような「門派を背負って立つ」といった意味合いは
それほど大きくない気がします。
伝承者個人の技術とはまた別のものとして、
古伝のままをしっかりと残し、連綿と伝えてゆくには
やはりこうした重みが必要だったのでしょうね。

王先生は最近ではTVなどにもご出演されているようですので
きっと今頃は入門希望者が殺到していることでしょう。
王先生は今後、門を広く開いて
多くの弟子をとられるおつもりなのでしょうか?
だとしたら、外国人である私などでも
ちょっと夢を見てみたくなってしまいそうですが…
謙さまへ (リンヤン)
2007-12-10 19:04:50
拝師についてのご理解、私も全く同感です・・

王先生の最近のこと、
(弟子をとるかどうかも含めて)改めてブログで書きますね!