たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

「山のきもち」考その2 <山と木々、生態系との人との関係の歴史と今後>

2017-12-10 | 農林業のあり方

1712010 「山のきもち」考その2 <山と木々、生態系との人との関係の歴史と今後>

 

今日もNHK囲碁トーナメントは面白かったですね。というか、私のような素人では瀬戸八段がいつ投了するかと思うぐらい、終始結城九段が着実・巧妙なうち回しでした。最後の上辺と左隅をめぐる展開も素人にはあきらめの悪い手筋のように思ってしまいました。開設の清成九段もいろいろ手筋を想定して瀬戸さんの負けを指摘していたのですが(私は理解できていない筋でしたが)、コウ争いとなって進んでいくと、清成九段の自信をもった読みも怪しくなり、とうとう驚きましたとなりました。

 

結城さんも長く一般向けのわかりやすい解説をしていて、和解優秀な人だなと思っていたら、清成さんみたいな若手が登場すると中堅どころになっているのでしょうか。ブログを書きながらときどき見ようと思っていたら、打つ手打つ手が面白く、その展開も想定外の連続(はっきりいえば想定できるのはほんのわずかというのはいつものこと)で、とりわけ最後は見事なうち回しでしたね。でも瀬戸八段が示した「今日の一手」は中盤のある種なんでものない星にかけた手で、ただ、その先の展開をきちんと読んだものでした。その考え抜いた一手を結城さんは軽くいなして優勢に進めたのですが、最後の詰めで、大胆な瀬戸さんの手を読み切れなかったようでした。瀬戸さん、さらに若手の活躍が台頭する囲碁界、期待したいですね。

 

さて今日は、「山のきもち」第2弾となりますが、昨日書いた順序立てはすっかりあきらめ、別の切り口で書いてみようと思います。というのは第2部のどこかの章を取り上げて、山のきもちというか、人と山の関係について何か得ようとしたのですが、どうもすっきりせず、第2部全部ざっと読んで、その中で、いま知りたいことというか、私をも含めて多くの人に知ってもらいたいことをそのエキスでも取り出せればいいかなと思っています。

 

第2部は「木の底力と森の歴史」というタイトルです。ここでは著者・山本悟氏は、木がもっている多様な潜在的な価値について、現在の科学で解明され、利用され始めた側面を明らかにしています。木は生命体ですので、木自体がもつ人の健康・精神に対する直接的・社会的歴史的な多面的価値が見いだされつつことが指摘されています。また、そのナノサイズに至るまでの利用価値や木自体が加工性に富み、先端科学技術が適用されつつある現状がわかります。

 

他方で、過去の歴史の中で人が森林・山と関わってきた日本人と山の付き合い方がその功罪も含めて取り上げられています。里地里山と地域生活の中で、平穏で自然に学ぶ作法、他方で無秩序な利用によりはげ山化すると、それによる災害が農地、住宅、漁業にも及び、その回復は大変な努力をしても容易に回復しないことも教えてくれています。はげ山化した山を戦後拡大造林政策で人工林が全国の山を覆うようになりましたが、その功罪も指摘されないといけないでしょう。

 

次に共助というキーワードで、山との関わり方を指摘しています。里山の入会利用はそうでしたが、はげ山になった後の緑化事業では共助という形で、全国的な展開があったことを紹介しています。

 

たしかに戦後の戦災復興や、災害復興での全国民的な植林事業はそのような役割をになっていたと思います。よくここまで広がったなと思うのです。

 

他方で、植林後の維持管理をしないと、荒廃するのが森林ですね。拡大造林政策は官民挙げて収益事業として行われていますが、外材の大量輸入や木材から他の代替エネルギー建築資材など普及により、木材は切っても売れない、コスト倒れとなり、維持管理されない状況が続いていますね。

 

この点、「山のきもち」では「森林ボランティア」が行う「草刈十字軍」をしょうかいしています。草刈は、植林の苗を植えた後、下草刈りをしないと、他の草や笹が繁茂して育たないわけですが、下草刈りをする人手がいなくなり、またコスト的にも負担できない林家が多くなり、放置されていったのですね。こういったボランティアは山のきもちに答えているようにも思えます。

 

また、水循環・物質循環、エネルギー循環を考えれば、海と山は恋人でもあれば、親子でもあるでしょうね。地球環境レベルだと、海で終わるのではなく、海洋プレートが大陸プレートに沈み込んで、物質・エネルギー・水も沈み込みつつ、噴出したり、押し出されたりして、地上に上がってきて山の一部になるわけですから、地球サイクルでしょうか。

 

山は林家や国・自治体、それに企業体・大学などによって所有されていて、一括りでその管理形態を議論することには無理があります。ただ、多くの森は、森の国、北欧のように、だれでもが利用でき、将来の世代に継承するために保全して利用できるようにして起きたいものです。

 

となると、所有主体の意思によって、自由に管理・処分するというのはどうでしょうか。「山のきもち」で紹介されているようなさまざまな担い手が参加できるようなシステムが求められているように思うのです。ボランティアと言っても、やはり組織化が必要と思うのです。だれでもが勝手な判断で管理するのでは、森は活かされないと思うのです。そこは人だけの生命の基礎ではなく、多くの生命体の揺りかごでもあり墓場でもあり、生き生きと活動する舞台でもあるわけです。

 

しっかりした理念を持ち、責任感をもった組織、たとえばNPO法人などの組織作りがしっかりしているところがになうべきではないかと思うのです。

 

ところで、個別に山本悟氏が紹介している部分を取り上げるとページ数が何枚合っても足りませんし、内容は関心がある方が直接手にとって読んでもらえればと思うのです。

 

で、私は、いくつか気になる点を取り上げたいと思います。一つは、ボランティアの関わり方です。献木、植樹祭参加といった、植林に関わる人は多いですね。しかし、そのために地均ししたり、植林しやすくしておく作業はやはり大変です。道作りも。植林は、木を育てる一コマです。下刈り、枝打ち、間伐、除伐などの一連の作業に、どの程度多くの人が関わりやすくすることができるか、それが課題ではないかと思うのです。

 

草刈十字軍はその一つで、それ自体はすばらしいことだと思います。まえにこのブログでも取り上げたと思うのですが、たまたまその活動をTVで放映していましたが、場所は民家がすぐそばで、大鎌を振るうのも危うい様子。これではたいした効果はないだろうなと思いました。むろんそれでもそういうきもちが大切だと思います。

 

しかし、大鎌だと、たとえばロシアだったと思いますが、刈払機と競争してもそれよりも早く大量に切り倒すには、相当の技術と体力が必要です。私は日々13時間くらいはやっていましたが、相当大変な作業です。それにスズメバチより怖い?(通常スズメバチは勝手に襲ってきませんし、狭いテリトリーの外に行けば追撃は止みます)アブなどの攻撃です。私は仕事をほとんどしていませんでしたので、刺されて晴れ上がった顔でも大丈夫でしたが、痛みは結構続きました。刈払機を使っても同じで、逃げませんね。

 

それは嫌だと思うかもしれませんが、慣れれば、汗だくで体力を使い、自然の爽快感を満喫できます。それが山が持つ不思議な力でしょうか。枝打ちも手入れをしていないとツタなどが絡まり、虫も多くて、大変です。ゴミ屋敷で整理しているような状況になります(そのけいけんはありませんがTVで見た限り)。そんなことできないというかもしれません。でも鼻の中、耳の中、服の中にいろんなものが入り込み、真っ黒になっても、シャワーを浴びることができるので、いっぺんで爽快感を味わえます。そしてすっきりしたスギ・ヒノキをみることができ、気分のいいものです。

 

これをすぐに誰でもできるとは思いませんが、都会で一人悩んだり、対人関係で苦しんだり、仕事長いと不安になったり、恋人に振られて落ち込んだり、いろいろな人がいると思いますが、一度自然というか、山に入ってはどうかと思うのです。山の中には、いろんなものがいます。むろんマムシやスズメバチ、クマ、イノシシもいますが、地元の人と一緒なら大丈夫です。

 

山に入り込むと、ほんとに山のきもちが少しはわかってくるのではないかと思うのです。

ヘンリー・D・ソローの『森の生活―ウォールデン』やアルド・レオポルドの『野生のうたがきこえる』のなかにいるような体験は現代の都市生活では不可能です。それがいいと思っている人はそれでいいでしょう。悩んでいる人、山が呼んでいるように思うのです。

 

東京の高尾山に関わる裁判に長く関わってきましたが、なぜ年間250万人とも300万人とも言われるほど大勢がそこにわざわざやってくるのでしょう。都心の生活で疲れ果てた人がここに救いや癒やしを求めてやってくるというのがアンケートの結果でした。

 

そういう意味で、別に山のボランティアを担わなくてもいいのですが、作業をしてはじめて山を一体に感じられるように思うのです。

 

ところで、「山のきもち」では、森林は共生・共助の場のように指摘されていますが、たしかにコモンズ的な共同体意識が醸成されてきたことは確かですが、それは一面かもしれません。

 

わが国の里山利用において入会は各地で利用形態が異なっていて、簡単に説明できないように思っています。ただ共同体たるムラ(江戸時代の場合数百人規模でしょうか)で共同利用して、一定の秩序(入山期間とか使用する道具の制限とか)の基に利用されてきた場合が多いのでしょう。このような利用形態の多くは、明治民法で近代的所有権が導入された後も、慣習法上の利用として、容認され、少なくとも戦後一定期間まで残っていたのではないかと思うのです。

 

その利用実態は、使い尽くす事が普通だったように思うのです。丸太は建築資材、枝葉や草は刈敷や堆肥用に、薪用、薪炭用といったエネルギー源としても、多面的な利用が徹底的になされていたと思うのです。ですから、幕末期の写真や絵図だと、見事に近景にみえる里山には木はほとんど生えていませんね。鶴岡八幡宮の背後の山ですら、また高野山の山もわずかな疎林でしたか。30年近く前北海道の山林を見たとき、か細い木々で驚きましたが、それ以上に木はなかったように思います。

 

それぐらい百姓にとって、里山の木々は大切なもので、田んぼが田だけでは成り立たず、用水確保と同様に里山確保が必須だったのです。

 

共同利用していた里山なのに、なぜ共助に疑問をもつかというと、境界紛争が絶え間なかったからです。江戸時代、農民は武士に支配され、●●御触書など一方的な規制を甘受していた、隷属的存在だったという昔の教科書の解説は妥当しないというのが最近の歴史学者の見方ではないでしょうか。

 

実際、境界紛争は、用水争いと同じか、それ以上にムラ同士の殺傷沙汰になる危険があるほど、大変でした。でもそれを裁判ないし和解で解決する方法を多くがとっていました。それでも長い紛争が続くほど、ムラ同士は決して簡単に妥協せず、共助とはかけ離れていたのです。ですから共助というのも限度がありましたし、ムラの中でも厳しい掟で律していたので、個人個人の主体的な共助とは異なるものだったと思われます。

 

そのような意識は、残念ながら現在の村意識にも残っているところもあるように思えます。それを乗り越えて、現代にあった共助思想を育てることができれば、森林は、山は輝き、多くの人がよりそこにやすらぎを感じることができるように思うのです。

 

もう一つ、木そのものの多面的な機能や価値を見いだし、多くの人が利用するようになることは望ましいですし、期待したいと思います。ただ、森を山の中にあるものとの見方はそろそろ見直しても良いように思うのです。

 

山本悟氏は、本多静六氏とう先達の快挙ともいうべき、日比谷公園や明治神宮の森などを取り上げています。いずれもすごいことを明治の時代にやりとげたと思います。都市のど真ん中に、自然の木々を植樹して、今なお生き生きとした大木が四季を彩っています。日比谷公園のそれは見事ですね。明治神宮の森の一角では一瞬太古の森を感じることさえできます。

 

これだけ素晴らしい森の存在が東京都のど真ん中(後者は計画当時は郊外でしたか)に作ったこと自体、素晴らしいことですが、なぜ現在の都市計画では活かされていないのでしょうか。ある種、人との関わりでは、特定の専門業者がその植生の維持に関わっていて、一般の人は鑑賞はできてもタッチしていませんね。折角献木では大衆参加を認めておきながら、それ以降の維持管理に関与を認めなかったのは残念です。

 

そしてさらにいえば、都市林業を育てなかったことに、物足りなさを感じるのは異端な見方でしょうかね。個々の樹木の成長を生物学的観点から支援するとか(前者)、原生的自然を生み出すとか(後者)とかは、相当程度成功しているように思えます。しかし、森林は植林、下刈、間伐、伐採、植林といった一つのプロセスを経て、わが国の多くの森林は成り立っているように思うのです。それを都市においてもできないことはないように思うのです。それがあることにより、都市に新たな多様な価値が生まれるように思うのです。欧州の中にそいういった都市林業があると聞いていますが、どのようなものか、まだ知りませんが可能性ある試みと思っています。

 

 

 

 

 


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