たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

山の魅力と眺望景観保全 <山が呼んでいる 高見山 霧氷のそばにそっと春>を読んで

2017-02-25 | 景観の多様性と保全のあり方を問う

170225 山の魅力と眺望景観保全 <山が呼んでいる 高見山 霧氷のそばにそっと春>を読んで

 

今朝は少し霜が降りていましたが、作業するにはちょうどよい感じで、ちょっといろいろ家事をした後、竹林に出かけました。先週は久しぶりでがんばったせいか、23日筋肉痛で歩くのも大変といった状況で、今日は少しのんびりやろうと思ったのですが、やり出すと止まらない性分なので結局、あちこち怪我はするはいろいろ大変な目に遭いました。

 

慣れているはずなのですが、斜面で伐倒した竹が適当に置かれているのと、籔状態なので、見えにくいということもあり、なんど転倒したか、やはり年齢も影響しているのかと少々は気になってしまいます。一度は崖状態のところで、滑り落ち、そのままだと後ろ向きに転倒するところでした。川底の岩に頭でも当たれば、一巻の終わりとまで行かなくても意識がなくなるかもしれません。そういう経験もありますが、今回はやっとのことでわずか数ミリの篠竹を一本つかんで転倒を免れました。篠竹の細身でも場合によっては結構、根がしっかり張っていて人を支えることもあるんですね。

 

次は完全に後ろ向きに転倒してしまったのですが、幸い、伐倒した竹木の枯れたのが並んでいて、腰を強く打った程度、大丈夫でした。

 

林業の世界では、ビギナーはもちろん、ベテランでも、いろいろな負傷事故、場合によって死亡事故が起こっています。そういった事故報告を見る機会があるのですが、なんでと思うようなこともありますが、必ずしも油断してたり、本来必要な手順を踏んでいなかったり、といった場合に限りません。で多くはスギ・ヒノキの伐倒やその後の作業中に発生しています。ただ、竹木についてはあまり聞かないのですね。

 

ということは私のやり方に問題があるのかなと思いながら、おそらくこんなに整理されていない竹木で作業をやることはないのではないかと勝手な解釈をして、自分のいろいろの負傷は仕方ないと手前味噌の言い分を考えています。

 

ところで、昨日の夕刊から今朝の毎日記事ですが、相変わらずトランプ旋風から、金正男氏殺害事件でのトリック的なVX使用、豊洲問題の百条委員会の行方(これも心配?です)、森友学園との国有地売買における廃棄物処理の不可解さ(昭恵夫人が名誉校長を辞任したのは当然でしょうがそれですむのか?)、相模原障害者施設での大量殺傷事件について責任能力をめぐる公判の行方とか、東芝の子会社WHの破産申請の可能性とか、あげればきりがありませんが、結構、深い闇に包まれているような事件が続いているように見えます。

 

いずれまた、それぞれの事件の進行に応じて、時折、取り上げたいと思いますが、今日は、いつもというか、ある山のことがとても気になって、あれこれ調べていたのですが、どうしても特定できないでいたのが、昨日の毎日夕刊の記事(見出し)でようやく分かったことから、少し山について考えてみたいと思います。

 

その山は、朝、紀ノ川河岸道路を車で走っていると、澄み切った空のとき、やはり冬の青空でしょうか、そういうときに、すごく美しシルエットを見せてくれるのです。三角錐のように見えるのです。遠くなので、よほど注意して目をこらしていないと、その河岸道路を車で走っていても、あるいは歩いていても、気がつかないと思います。

 

でも私は遠くの山を見るのが割合好きで、和泉山系(これはさほど遠くはありませんが)も一つ一つの頂が気になります。役行者が修業のために金剛山系から西端の加太の海辺まで続く山並みですが、その表情は場所場所で相当異なります。和歌山まで出かけるのは疲れるので、あまり好きではないですが、紀ノ川のと和泉山系の景観を見るのは慰めとなります。

 

脱線しましたが、その山は遠くに離れていますが、とても誇らしげに感じるのです。そういえば横須賀に住んでいた頃、60km離れた筑波山の山影が年に何度かわが家から見えました。これがまた素晴らしいのです。それと同じように、たまに見える、遠くに見える、形の見事さは、気になる存在でした。

 

それが毎日記事で、「高見山」ということが分かりました。記事だけ見ても、霧氷が輝く美しい写真があったり、<頂上からは360度のパノラマビューが楽しめる、はずだったが、視界はゼロ。>というものの、山容が分かるような写真が掲載されていなかったので、最初は疑心暗鬼でした。このウェブ情報にはありませんが、新聞記事では、<奈良県東吉野村>という位置、「関西のマッターホルン」という表現がされていたことから、この山に違いないとほぼ確信しました。

 

そして今日の午後、ちょっと仕事ででかけて帰ってきて、ウェブ情報で高見山の写真を確認すると、まさにこの山容こそ、私が追い求めていた山だと改めて確認できました。地図で調べると、4050kmくらいは離れているのでしょうか、結構離れていますが、やはり、「関西のマッターホルン」と言われるだけの見事な景観です。高さがわずか1248mしかなく、若干小ぶりですが、周囲や前景に見える山並みの中で突出した雰囲気は、高さではないと感じます。

 

私はカナダ・カルガリーに滞在していた頃、市の境界付近でしたが、ちょうど遠く100数十キロ先にロッキー山脈が家から毎日見えていたので、それを眺めるのがとても心地よくしてくれました。一杯のコーヒーが壮大で冠雪がどこまでも連なる眺望景観で心が満たされていました。で、早朝のドライブの年にそれほどない、そのマッターホルン的景観が眼に入ると気持ちが癒やされます。

 

さてこのあたりで、山の魅力というか、山に対する人の意識なりと、眺望景観の保全というテーマについて、少し触れてみたいと思います。

 

わが国における景観保全の運動としては、大佛次郎氏が中心になって大きな話題となった「御谷(おやつ)騒動」が初期の一つではないかと思います。鶴岡八幡宮の裏山で開発計画が取り上げられたとき、大佛氏ら著名文学者がその保全運動、開発反対運動を繰り広げ、開発が撤回されたと記憶しています。その後、古都保存法ができ、鎌倉、京都、奈良でしたか、地域指定して開発を規制するようになりました。

 

そのときテーマは古都の歴史景観だったと思います。ただ、どこまでが保全の対象となるかについて、景観概念自体がまだ確立していない時代ですから、法的に明確なメルクマールで、線引きがなされたかとなると、疑問を感じています。

 

御谷の付近は、その後私自身も保全運動に係わり、枝打ちや間伐の真似事をしたりしましたので、その雰囲気はそれなりに分かっています。八幡宮の裏といっても、三輪山のように八幡宮のご神体があるわけでもありませんし、宗教的な意味合いで保全すべき対象となる景観といえるかは、その形態・地理的関係・歴史的沿革などから、そういえるかは気になるところです。

 

鶴岡八幡宮の裏山を含め周辺の山の景観ですが、維新時に異邦人に撮影された写真が残っています。見事にはげ山状態です。江戸時代では奥山は別として、里山は、農作業に不可欠なところで、草・枝条・柴・葉っぱは刈敷などとして利用されていました。木々は燃料として、各種の用材として、活用されていました。それは神社でも寺院でも同じです。

 

19世紀初頭の紀伊の各地を描いた、たしか「紀伊国名所図会」でしたか、高野山も描かれていますが、やはり木々はわずかしか描かれていません。神官も僧侶も寒さには勝てないでしょう(道元の永平寺とか厳格なところは別でしょうが)。

 

なぜこういったことを書くかというと、なぜ山の眺望景観を保全するかといった場合に、その根本があまり議論されていないように思えるのです。

 

古都保存法の後、全国各地で景観保全を目的とする条例ができたり、その後何十年もたってようやく景観法ができ、各地で景観保全地域などが当たり前のように生まれていますが、山への眺望景観を保全する根本が明確になっていないように感じるのは私の誤解でしょうか。

 

とりわけ大規模事業に適用される景観アセスメントや、各地の景観保全マニュアルなりガイドラインでは、たとえば<山の眺望景観保全における視点場設定と高さ制限に関する研究>といった景観工学的なアプローチが通常なされていますが、それはそれで、ひとつ見方として、尊重されることは私も賛成です。視点場設定(俗に言えば、ビューポイントでしょうか)とか、建物等の高さ制限の視角、視野などを数字的に説明するにはある種、理解を得やすいと、多くの行政マンは考えているように思えます。

 

ではなぜ山への眺望を保全する必要があるのかについては、あまりはっきりした議論がないように思うのです。さきに御谷騒動を取り上げたのは、多くは当然のように、「山は古来より信仰の対象として親しまれてきた」といった見方がされるものの、それはどういうことかについては、釈然としていないと思います。

 

仏教の世界では西方浄土と言われ、西方に浄土があるわけですから、山が信仰の対象とはいえないように思うのです。そこで山折哲男氏のように、霊魂は山に帰るという考え方が昔から日本人の心の世界に宿っていたといった言い方(すみませんおぼろげな記憶です)で、村々では山に霊魂が帰るから、山を信仰の対象としてきた、山川草木悉皆成仏も日本人が抱いていた伝統的な信仰心に仏教が受け入れたとも言われています。

 

いずれにしても山は死者の霊魂、死者の黄泉の世界とも言われてきたのではないかと思うのです。だから山は大事にする、信仰の対象ともなってきたのではないかと考えるのです。でもその山は、立入を禁止するようなことは、奥山は別にして、里山はみんなが利用する山ではなかったのかと思うのです。

 

利用する山であっても、眺望しその景観を楽しむといったことは、庶民の世界ではあまりなかったように思うのです。高い身分の人もまた、日本式庭園が普及した室町時代以降に、借景としての背景の山が眺望景観の対象となったのではないかと思うのです。

 

では現代における山の魅力は、というと、極めて多様であり、少なくとも地域地域でその魅力や価値を確立していくことが肝要ではないかと思っています。

 

最後は、相変わらず飛躍の連続となりましたが、景観保全という問題の本質について、しっかりとした議論がなされていない、そこにわが国の心の貧困を感じています。


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