たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

タンチョウと手話 <混乱、難民ら280人入国拒否>を読んで

2017-01-30 | 海外との交流と安全の道筋

170130 タンチョウと手話 <混乱、難民ら280人入国拒否>を読んで

 

今朝はほんとに初春が突然訪れたような暖かさでした。

 

良寛さんの次の歌のように待ち焦がれた至福の思いを感じている様をふいと浮かべてしまいます。

 

鶯の声を聞きつるあしたより春の心になりにけるかも

むらぎもの心楽しも春の日に鳥のむらがり遊ぶを見れば

 

ところが、毎日朝刊の記事やマスコミニュースによると、トランプ氏の入国停止の大統領令で、たいへんな混乱状態がアメリカ国内はもちろん世界中で起こっているようです。人種や国・宗教を根拠として、ビザやグリーンカードを持つ人でさえ対象とされているようです。

 

トランプ氏はユダヤ人に対する強い親和性をもっているようで、イスラエルの違法な移住を容認するなど、イスラエル政権に対して強力に支援する姿勢が見られます。長い間アメリカは移民の国、多民族のるつぼと言われてきました。とはいうものの、法的にも、事実上も、先住民族のインディアンを含め、黒人やヒスパニック、アジア系に対して、差別的取扱を行ってきたこともアメリカです。しかし、トランプ氏の就任後に誇らしげに次々と署名する大統領令は、保護主義の名目で、協調的な方向に進む世界秩序を破壊し、ユダヤ教徒など特定の人たちを中心にしつつ、イスラム教徒や一定の国の排斥を明確にしているように思えるのです。その点、大統領令の実施に当たってはその方向で簡単に軌道修正しているように見えます。

 

このようなトランプ氏を支える大きな層はアメリカの労働者階級の中間白人層ともいわれます。実態はわかりませんが、そういう層が数的には多いかもしれません。ただ、軍事支出の削減や金融規制強化などを打ち出した民主党政権にノーを唱えた少数で巨額の富をもつウォール街や軍需産業の人たちもいたでしょう。こういう人たちが扇動に荷担した有力な一部かもしれません。

 

それはさておき、私たち人という存在は、意識的に、あるいは無意識的に、いかに人を差別し、またさまざまな生物を虐待するなどして、その健全な生育を阻害してきたか、ときに顧みることも大事ではないかと思うのです。

 

毎日朝刊では、タンチョウが優雅に舞い踊る姿を捉えています。その隣の記事に、<「手話は言語」 73自治体>というのと、聴覚障害者初の弁護士として松本品行氏が取り上げら得ていました。

 

タンチョウについては、思い出すことがあります。90年前後だと記憶していますが、一人で富良野の東大演習林を見学した後、釧路湿原を訪問しました。少し眺望がきく展望台に上って釧路湿原のとてつもない広がりを見せる姿になんともいえない原生自然的な美しさを堪能してしまいました。ところがそのとき集団で観光客が訪れ、ある人がこんな広いところ、農地にすればいいのにもったいないといった言葉が当然のように口に出て、何人かも同調する様子でした。

 

このような意識が当時多くの日本人にあったと思います。実際、釧路湿原の周囲は牧場などで農業排水が入り込んだり、他方で乾燥化も進んだうえ、牧場経営が困難になったところではゴルフ場銀座のように開発にさらされていました。

 

そのとき名前は今思い出せませんが、タンチョウがいるんだから、湿原は守れるといったアメリカの環境保護運動家が言ったことが新聞記事で紹介されていたように思います。当時の私は、たしかに生態系の中で頂点にたつ種が生育する環境があると、食物連鎖などで多くの種の保護が図られるといった理解は頭では分かっても、あの白頭ワシのように、大衆受けするだけの運動ではないかと少し距離を置いた見方をしていました。

 

とはいえ、そのとき湿原そばに立っていたペンションに泊まって、朝食の際、すぐそばで多くのタンチョウがのんびりと食事をしたり、戯れているのを見ると、なんともいえない癒しの気持ちを味わったのを覚えています。

 

ただ、当時は、美しいものだけを保護の対象にしたり、人気のある種だけを取り上げることに抵抗があったのでしょう。その意味では、とても見た目だけでは美しいとかいえない、隠れた存在、菌類をも大事に、その保護の必要から日本初といもいえる自然保護活動を行った南方熊楠の方に惹かれていたように思います。

 

その後アメリカの絶命危惧種法(Endangered Species Act, ESA)を勉強するようになり、90年代、ダム開発や森林開発、宅地開発などなどに対して環境保護団体が数々の訴訟や運動を通じて、その保護対象の種をあらゆる絶滅危惧種に拡大していく中で、生物種の差別というものが少しずつなくなっていく流れをフォローしたように思います。

 

またロデリック・F・ナッシュ「自然の権利」(松沢弘訳)は、環境倫理の文明史を描き、倫理の進化過程を図式化して、家族や部族、地域的な差別の段階から、民族・人種・性差別から解放される現段階に進化し、動物を含む生物の差別からの解放を目指す過程にあるとしています。そして今後はさらに植物、その他微生物も含む生命、さらには岩石、生態系、ついには宇宙まで進化が進むというのです。むろん、トランプ氏の施策でも明瞭ですが、人種・宗教・性差による差別は現代でも解決困難な問題の一つですから、この図式は少しずつよくなっている、解放が進んでいるといった程度で理解できます。

 

ま、ナッシュ的環境倫理やその進化的見方は、実際は中身の濃い内容で、このような図式化では説明できませんし、私も20年近く前に読んだきりですので、今回は名前だけの紹介にとどめます。

 

記憶では、ナッシュは障害者の問題はとりあげていなかったように思います。しかし、障害者差別の歴史は古く、ナチスの優性思想の一端には障害者に対する明確な差別もあったと思います。

 

わが国の障害者差別の歴史がどうだったかをきちんと勉強したことがないので、はっきりしたことはいえませんが、維新後に西欧思想の中で、差別的取扱が顕著になった可能性を考えています。維新時に訪問した異邦人の記録の中では、障害のある人も普通の生活場面で暮らしている姿を描写されているのもあり、また、視覚障害者については、維新前には特殊な階級構造が成立して、ある程度安定した職業に就いていたと思える節があります。

 

しかし、維新後は、たとえば聾唖者(差別用語として現代では使用されない)という立場で、旧民法で行為能力を制限していましたし(79年の民法改正まで維持)、大正期に聾唖学校(現代はろう学校と呼称するが)を西欧流の外形を装うようにごく一部で設けられましたが、手話は言語でないとして、手話教育が否定され、無理矢理発生を強いる教育が長く行われていました。むろん地方では聾唖学校もなく、他方で普通の小学校へ入学もできず、教育から隔離されていたのが実情で、当然、聴覚障害のある方はまったくといってよいほど教育を受ける機会がないわけですから、基礎的な算数も国語も、暮らしの知識も得ることができなかったわけです。家族のサポートなしには暮らしていくこともできない環境にあったといってよいかと思います。

 

戦後しばらくしてようやく手話教育が導入され、次第に聴覚障害者も高度の教育を受ける機会が増えてきたと思います。NHKなどもニュース報道を手話で行うようになったのはいつ頃からでしょう。また、会議などでも手話通訳の人が演題横に立って手話したり、最近では速記者がいてプロジェクターに素早くタイプした文字がアップして読むことができる会場も増えてきたように思います。

 

とはいえ、まだまだ聴覚障害者が自由に社会生活を送ることは簡単ではないです。バリアフリーとはいっても視覚障害者や身体障害者への対応が進んでいる一方で、聴覚障害者に対してはさほど目立った動きを感じないのは私の視野の狭さでしょうか。

 

そういう中で、毎日記事によると、「手話は言語」とする手話言語条例を制定する自治体が増えているようです。条例制定は、第一歩であり、具体的な施策が大事でしょう。とはいえ、周りの人たちの意識が変わる契機になることを期待したいです。

 

ともう一つ取り上げたいのは、聴覚障害者の弁護士がいる、しかも松本氏は現在77歳で、66年に弁護士登録したというのですから、戦後の手話教育の普及初期に身につけて、司法試験まで合格した分けですから、素晴らしいですね。視覚障害者に対する差別的取扱や手話に対する偏見が一般だった時代に、なみなみならない努力と能力で勝ち取ったのでしょう。誇り高い日本人の一人ではないかと思います。

 

そこで思い出すのは、視覚障害者の弁護士の竹下さんという方です。私は司法研修生時代、友人たちの何人かが先輩からの引継ぎで彼の勉強を支援しているのを聞いていましたが、目が見えなくて司法試験を受けるなんて驚きと不可能ではないかと思ってしまい、不覚にも支援活動には参加しませんでした。その竹下さん、弁護士になって生活保護の救済を含めさまざまな福祉的活動をされているようで、あるとき日弁連の理事者会で一緒になったことがありますが、なかなか堂々として発言をされていて、目が不自由な中、大変な努力で今なお素晴らしい活動をされていることに敬服した次第です。

 

それでついでに、いずれも障害者初の弁護士ということは、他にも障害を持つ弁護士が活動しているのかと思い、ウェブサイトで調べると、同期の吉峰さんがいました。そうだ彼は弁護士なりたてから、当時はまだ注目されなかった少年問題を懸命にやっていてリーダー的存在だったことを思い出しました。途中で重い障害を受けましたが、彼の強い熱情と努力でいまなおがんばっているのだと、遠くから応援したい思いで少し書いてみました。

 

タンチョウと手話、そして入国拒否、いずれもまったく関係ないようで、どうも人間が持つ本質的な差別意識と関係するように思い、私というものがどのように考えているか、自らを試す意味でも書いてみました。私は誰か、私は書くことで少し私が分かる、いやそれは仮想の世界かもと思いつつ、ここまで書いてみました。

 

 

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