たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

浮世床のオルタナティブ <久しぶりの散髪をしながら徒然に思う>

2017-03-06 | 心のやすらぎ・豊かさ

170306 浮世床のオルタナティブ <久しぶりの散髪をしながら徒然に思う>

 

暖かい一日でした。のどかな一日と言いたいところですが、新件の相談とその後の調査で結構忙しく過ごし、いつの間にか帰る時間が近づいています。今日のブログはえいやで書きます。(いつものことかもしれませんが、それ以上となります)

 

忙しい中にも少し気になっていた長い髪を切ろうと、床屋に行きました。いまはやりの短時間でさっと仕上げるチェーン店の一つです。黙っているとバリカンでどっどと刈り上げます。バリカンも体中に響く感じで、そこまでやらなくてもいいんじゃないのと思うほどです。首を動かすにしても、軽くやっているつもりかもしれませんが、頸椎症が残っている身としては、とても心地よいものではないです。お客さんが来店したり、終わって変えるときのかけ声も元気がいいことを体一杯で表現するため、私の体の中まで入り込みそうな音量です。

 

これもはやく散髪を済ますことができると観念していますし、値段が安いということもあり、やむを得ないかなと思っています。とはいえ、そういうこともあり、散髪屋から遠ざかるようになったのは当地に来てからずっとという状況です。

 

そういう私でも、小さい頃から割合、床屋は好きだったように思います。だいたい一時間くらいはいつもかかっていたと思います。それでもご主人とのほんわりした会話もあり、ゆったりする時間がすぎていくのがとても気分よく過ごすことができたと思っています。

 

さらに弁護士になってからは、美容室も利用することもありましたが、やはり床屋が一番で、とくにある時期は銀座のあるしっかりした散髪屋に通っていて、丁寧に、カルテのようなものもつくってくれ、美容室とは異なるものの、とても品のいい感じで、ハサミのあのシャキシャキというか、見事なリズムと音が心地よい感じにしてくれました。マッサージも適当でなく、きちんとやってくれますし、一つ一つの所作がこちらの気持ちに配慮してくれ、とても快適な時間を過ごすことができました。疲れた仕事の合間とか、裁判の合間とか、これが最高というか、ほんとにリラックスできる時空を過ごすことができたように思います。

 

ところが、カナダに滞在している間に180度意識が変わってしまいました。どこの床屋に行っても、いや床屋はなくすべて美容室で、ハサミだけであっという間に仕上げて、髪洗いも、カミソリの剃りもありません。その代わり10分か雰囲気のいい店でもせいぜい20分程度で終わりです。その代わり、切ったままですので、髪の毛の切り残りが頭の中で一杯なので、すぐに自宅に帰りシャワーでも浴びないと気持ちが悪いのです。最初はあまり慣れず、気持ちもよくなかったのですが、慣れるとこれがとても合理的で、値段もたしかカナダドルで10ドル程度(当時は円高で1カナダドルは70円くらいでした)でとても安かったのです。

 

その感覚のまま帰国して、鎌倉に居住して、それなりの床屋さんに従来通り通っていたのですが、やはり時間がもったいない気持ちになっていました。なんでもっと散髪に特化したサービスの店ができないのかといつも思っていました。

 

そこに現れたのが101000円のQBハウスです。私は当時、新橋の事務所に通っていたので、新橋の店舗を見つけ、それからはどこへいってもQBハウスしか行かなくなりました。当初は創業店の神田と新橋くらいしかなかったと思いますが、あっという間にチェーン店が広がり、私と同じような感覚の人が床屋に対する意識改革が起こり、燎原の火のごとく全国に広がったのだと思います。

 

他方で、従来型の床屋さんは開店休業状態になり、店舗の前を通っても床屋さんはみんなでテレビを見て暇をつぶしている有様でした。

 

似たような業者があちこちで競合し、いまは1000円か2000円くらいの間で激しく競争しているように思います。

 

さてそろそろ本題に入りたいと思います。なぜ従来型の床屋が市場からどんどん減っていき、QBハウスのような低廉で短時間に散髪のみを行う業態が増大しているか、をちょっと考えてみたいと思います。元々は、床屋業界の価格協定があり、その縛りの中で、価格競争ができない、サービスも定型化していたように思います。その価格カルテルないしは競争制限的な市場について、公正取引委員会がどの対応したのか、この間の推移は一度も検討したことがないので、それはいつかのテーマにとっておきます。

 

私がテーマにしたいのは、床屋としての見えない、魅力がなくなったことも要因ではないかと思っているのです。遅くとも江戸時代後期には、髪結床という場として、庶民の誰もが利用して、そこは式亭三馬が取り上げたくなるほど、話題の宝庫だったのだと思うのです。みんなの情報提供や会話という娯楽を楽しんだり、場合によって世評批判を含め、談論風発を楽しめる場だったのではないかと思います。浮世風呂の方がより効果的な場であったかはなんともいえませんが、浮世床がその機能として、地域のコミュニティとして機能していたのではないかと思うのです。

 

ところが、ある時期から床屋は、ハサミを器用に扱えばいい、カミソリの剃りがうまければいいといった、職人技術の依存しすぎ、お客との会話もなくなっていったように思うのです。QBハウスなどが出現するまでは、それでもいつも待ち客が並んでいても、ただマンガや雑誌を置いていて、会話をする雰囲気はなくなっていました。せいぜいなじみ客との会話が語りの好きな床屋さんの場合は成立しても、あまり一般的でなくなったように思うのです。

 

そうなると、散髪機能の面だけとらえれば、まさに時間と費用の合理化に対して、とても従来型の床屋が対抗できるはずがありません。

 

このような事態は、床屋さんだけでなく、いま人間が行っている各種のサービスがAIの普及・高度化によって、代替されることになりかねないと思います。それはQBハウス方式であっても、ロボットがAIの高度化とイメージセンサの高度化、融合によって、取って代わるかもしれません。

 

しかし、いくらこれらのサービスの合理化が進んでも、人間生活にとって最も重要なコミュニケーションの場としては、なかなか成立することは困難ではないかと思うのです。その意味で、現代的な浮世床、浮世風呂の場を提供するサービスが新たに生まれることを期待したいと思っています。

 

無理矢理のテーマで40分程度で書き上げました。これも一つのチャレンジです。

 

 

 

 

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