たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

世界遺産の見方 <沖ノ島の一括登録 文化庁長官の水彩画が威力>を読んで

2017-07-17 | 古代を考える

170717 世界遺産の見方 <沖ノ島の一括登録 文化庁長官の水彩画が威力>を読んで

 

今朝も寒さで目覚めたのですが、温度は25度。熱帯夜ということでしょうか。でも網戸から入ってくる涼風が寒さを感じるのでしょうか。これが都会では、エアコンの外部機から放出される熱風が密集したビル、密集住居地では大気の気温が相当高まっているわけですね。エアコンの外部不経済?というか、とても窓を開けて涼風を家の中に入れるといったことにはなりそうにないですね。京都の密集した町屋でも、いまだうまく外気を取り入れる間取り・構造を維持しているところがありますが、都会だから絶対だめと言うことではないのでしょうね。でも現在のように余裕のない敷地単位と配置だと無理な話かもしれませんね。

 

カナダ西部のBC州西海岸は地中海気候に近いため夏でも割合過ごしやすいのです。と同時に、北米特有のゾーニング制が分譲地内での密集制を緩和させていて、建物配置を敷地内で制限され、周囲がセットバックでスペースが担保されていることもあり、自然の涼風で夏場も過ごせ、冷房機は必要としないように思います。自然の涼風を活かす都市計画、分譲地づくりを、わが国ではするゆとりがない中で、急激なマイホーム需要に対応した結果も大きな要因かもしれません。

 

さて話は変わって、今朝の毎日記事<世界遺産:沖ノ島の一括登録文化庁長官の水彩画が威力>は、イコモスが限定した隠岐の島などの島嶼のみの構成遺産の判断を覆し、本土の宗像大社辺津(へつ)宮などを一体的な構成遺産<古代遺跡「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」>として、ユネスコの世界遺産に登楼された経緯を披露しています。

 

宮田亮平文化庁長官が各国のユネスコ大使に事前説明している段階で、言葉では伝わらないと感じて、<「芸術には言葉はいらない」。絵で表現することを思いついた。>とのこと。

 

それからの行動が芸術家の心が騒いだのか、唐突ながら思い入れのある行動ですね

<自宅に絵の具はあるが、画用紙がない。仕事を終えた後、10円玉を持って深夜のコンビニへ。コピー機の読み取り台に何も置かずスタートボタンを押して出したA3判の紙に、夜ごと絵筆を握って3日間で描き上げた。

 本土から大島、沖ノ島を望む構図にし、玄界灘の水色や木々の緑色を繊細なタッチで描写した。荒波は黒色を使い、無事になし遂げるためには「祈り」が必要だった古代の航海の厳しさを表現した。

 世界遺産委当日、会場入り口で原画を見せ、資産名をアルファベットで記したカラーコピーを委員国大使に手渡した。激励してくれる人もいて手応えを感じた。>

 

と涙ぐましい長官自らの努力が功を奏したということで、めでたしめでたしですね。

 

ところで、画用紙くらいどこでも手に入れられるし、部下に命じればすぐ手元に入ると言った疑問は品のない話かもしれません。ただ、長官がみずから絵筆をもって描いた絵が多くの感動を誘った、その構成資産の一体化が理解できたとしたら、それはほんとうの意味で世界遺産の価値を理解したといえるのか疑問に感じてしまうのは、別にイコモスに同調するためではありません。

 

たしかに宮田長官が言われるように「芸術には言葉はいらない」ということは正鵠を得たものでしょう。しかし、それが世界遺産の評価を芸術という表現で示すとしたら、それは少し違うのではないかと思うのです。宮田長官の真意はその言葉では表しきれないものかもしれないので、記事で取り上げられた表現をいたずらに批判するつもりはありません。

 

ただ、先にこの<古代遺跡「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」>登録時にも言及したように、その歴史的・考古学的・宗教的価値を適切に解説する努力がされないと、世界遺産の価値が単に観光名所に新たな付加価値をつけるだけに終わりかねない危険を感じています。

 

すでにわが国には多くの世界遺産が登録されてきて、さらに今後も増える傾向にあります。しかし、たとえば高野山や熊野、吉野の世界遺産のそれぞれの価値と関連性がどこまで理解されてきたのでしょうか。いやそういう理解が広まるような努力が継続されているのでしょうか。高野七口で登録されていなかった黒河道などが追加登録されたこと自体は意味があるとは思いますが、それが高野山信仰とどう関係し、七口相互の意味合いが深まったといえるのでしょうか。単なるルート開設と整備、それを観光ルートの一つに追加するだけでは、世界遺産の価値を理解することも体現することもできないように思うのです。

 

<古代遺跡「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」>では、宗像信仰、宗像神社とそれを支えたとも考えられる宗像族、その代表としての仲哀天皇と、それに変わって政権を取ったかもしれない、応神天皇をリーダーとする住吉族、それを信仰する住吉神社や八幡神社の各地での普及をどうみるか、日本の歴史をどうとらえるかといこととも関係する問題が内包しているように思うのですが、そのような議論が深まることを期待したいと思うのは私一人ではないように思うのです。

 

海の正倉院といわれる沖ノ島がなぜ海上に成立したのか、当時の海上交通、交易の実態を追及することなしにはその重要性を理解することにつながらないように思うのです。4世紀ころの遺跡ともいわれていますが、それ以前、弥生・縄文に遡る海上交通と交易との連続性やなんらかの革新的事態を理解することも重要ではないでしょうか。

 

宗像神社、住吉神社、八幡神社の相互関係などとともに、なぜ8世紀に突然宇佐八幡宮が登場したり、応神天皇を神霊として武人が八幡宮を祭るようになったか、古代史に興味を持つ高齢者の一人として、関心を引きつけます。

 

この件はこの程度で終わりとします。

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