たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

決まりと自由な発想 <竪穴式茶室 藤森照信さん構想、茅野でオープン>などを読みながら

2017-09-18 | 心のやすらぎ・豊かさ

170918 決まりと自由な発想 <竪穴式茶室 藤森照信さん構想、茅野でオープン>などを読みながら

 

昨夜は予想外に揺れました。台風18号の威力は中心から離れた当地でもかなり強い風が吹き荒れました。雨はわずかでしたが。それにしても暴雨風に襲われたところは大変だったでしょうね。Jアラートの必要性については論議がありますが、気象予報や警報はかなり早い段階から丁寧に行われていたので、注意したり準備したりした人が多かったためか、被害はさほど大きくなかったのではと思っています。

 

とはいえ、田んぼを見回りに出た高齢者の男性が行方不明とか数人ほど所在不明の人がいましたね。こんな暴風雨の中、それも年取った人がなぜでかけ、どうして止めなかったのかといった疑問が湧くかもしれませんが、私にはわかるような気がします。長年農業をしてきた人は、用水路の川の流れをとても気にします。田畑のそばには大抵水路が縦横に走っていて、ちょっとどこかで詰まると、すぐに溢れて水浸しになります。気をつけて管理をすれば、枝葉などを取り除けば流れは滞りなく大河川、紀ノ川に排水されるのです。それは習性のようになっている気がします。田んぼの中にごみが入り込んでいないかとか、やはり気になるのでしょう。それをやめるようにといっても、これまでの経験であぜ道を歩いたりすることは多少の雨風では大丈夫と思ってしまうのでしょうね。難しい判断ですが、私はそれが自然の営みかもしれないと、その立場になると思ってしますのです。

 

ところで、行政の担当者も、消防、防災、さまざまな部署の人たちは、暴風雨だからといて逃げておられません。紀ノ川堤防の樋門付近をはじめ、危険な箇所を確認に走っているのです。彼らの活動をしっかり認識しておくことも大事ですね。そういえば、知り合いになった海上保安官を退官した人の話だと、高波で危ないからといって、救助を求めてくる人を放置できない。何度も危険な思いをしたということを伺い、日本の海は中国や韓国、北朝鮮の進出だけでなく、自然の脅威からも守っている多くの人がいることをしみじみと感じます。

 

つい脱線してしまいましたが、今日の本題は決まりというか、制度というか、常識というか、いろいろ縛るものがありますが、自由はそれを対抗軸に生まれる創造ではないかと思うことがあります。

 

今朝の毎日は<竪穴式茶室藤森照信さん構想、茅野でオープン 屋根開閉>で、建築家の藤森氏による創意溢れる「建築物」みたいなそれを超えるような作品を取り上げています。

 

まずは<「低過庵」。>ですね。これは<屋根が開閉できる仕組みになっている>ということで、タイトルは竪穴式茶室ということですが、青空茶室でもあるのですね。脇に煙突のような柱状のものが張り出しているので、お湯を沸かすことができるのかなと思いつつも、写真からは湧かす装置が見当たらない?藤森氏の左壁に竈の窓らしきものも見えるので、それかしらといろいろ想像してしまいます。でも茶室といってしまうと、千利休もびっくりしてしまうほどの革新性がありそうです。私は茶室といわなくてもいいように思うのですが、でも未来型茶室(外形は縄文風を装い)でしょうか。

 

次は「空飛ぶ泥舟」というそうですね。なぜ泥船という名称なのでしょう?歌舞伎のそれとも趣向は違う感じですが。なにか外観を見ると、窓のような部分が大きな目で屋根は兜のようでもあり、どこかで見たようなマスコットキャラクターといってもおかしくないですね。それが宙に浮いて、ハンモックのように家?自体がゆらゆらと揺れるのでしょう。ハンモックは熱帯林などで寝たことがありますが、室内でしたのでさほど揺れずちょうどよい具合でしたが、これは大変かも?

 

最後に「高過庵」宮坂記者が評したのでしょうか、<映画「天空の城ラピュタ」に登場するロボットのような外観>と言われてみると、そういう気もしてきます。でも下から見あげた感じは登るのが大変で、高所恐怖症の人は遠慮するでしょうね。写真から見る感じはコンクリートで柱は固めているように見えますね。それは少し残念な気がします。

 

でもこの名前の由来とか意味はわかりませんが、3つの異質な住宅もどきの建築物、藤森氏の自由な発想を見事に具現しているように思います。

 

わが国の建築士の教育がどのようになっているのか、実際のところは知りませんが、建築基準法が全国一律で数値基準が詳細に定められ、また、ある土地にどのような建築物が建つかは都市計画法の地域地区制と容積率・建坪率等の数値基準で定まっているため、その数値をいかに有効に計算して最大限利用価値を増やすことに、重点が置かれた教育が行われてきたのではないかと、時々思ってしまいます。

 

むろん北米のゾーニング規制も、ある土地にどのような建築物が建つかは、各市町村の詳細のゾーニングでそれぞれ特有の決まりがありますから、その枠内でしか建てることができません。たとえば、住宅地であれば、基本的にフロント、バック、サイドの四方についてセットバックが指定されているので、建築物の位置は決まっていますし、高さも決まっています。その代わり、建築物そのものについてはかなり自由性が確保されているように思うのです。わが国の分譲地の単調さにはない魅力は建築家が提供してくれているのではと思うのです。

 

藤森氏は、舞台を茅野市の森の中を選んで、その自由を追求しているように思えます。わが国の都心では、商業地域の中で、建築自由を企業が謳歌して、乱立する景観破壊のビル群に辟易することがありますが、それは建築の本当の自由かどうか、気になります。

 

藤森氏の実験的提案は、容積率・建坪率に縛られた建築家の縛りを解き放つ新たなチャレンジのようでもあり、多くの人にとっても広さ・大きさを建築物・住宅に求めることについて、異なる視点を与えてくれるような気がします。

 

そういえば少し前の毎日記事で、<名作の現場第30回 鴨長明『方丈記』 案内人・酒井順子(その1)>が紹介されていました。終の棲家は、もし必要であれば方丈こそ豊穣な内容を含んでいて楽しめるかもしれません。

 

ところで長明の方丈はモバイルハウスだったとは知りませんでした。<長明はこの方丈を、持ち運びできるように造りました。「心にかなはぬ事あらば、やすく外(ほか)へ移さむがためなり」と、つまり「気に入らないことがあればすぐ他所へと移ることができるように」ということで、畳んでしまえば牛車二台に収まるモバイルハウス。>

 

庵だと、どこかに定着する感じですが、モバイルなら、天変地異に対応でき、いつでも好きなところに移り住むことができますね。私はフォールディングカヌーという、折りたたみ式のカヌーをもってあっちこっち移動してはカヌーライフを楽しんでいました(もう四半世紀以上昔ですが)。それと同様に住処もそうできるといいですね。

 

最後に教育がかえって人の自由を抑制していたことを改めて痛感するとともに、それに屈せず障がいを乗り越えようと自由闊達に生きる女性の話が今日の毎日記事にあり、これも感動しましたので、取り上げたいと思います。

 

おんなのしんぶん・MyWayわたしの生き方 当たり前の存在に ろうの女優・忍足亜希子さん

 

彼女は70年生まれですが、当時のろう学校の教育では手話がまだ教えられていなかったのですね。

 

<当時のろう学校は手話が禁止されていて、発声や口の動きを読み取る「口話教育」が授業の中心。聴者に合わせることが、社会への順応につながるという考えが前提にあるのでしょうね。家族のコミュニケーションも口話で、手話は社会人になるまで知りませんでした。>

 

それでは大学に進学するのも大変で、短大に行ったそうです。でも授業は発声を聞き取ることができないのですから、外国語のヒアリング以上に大変です。<大学では講義を書き取るノートテークや手話通訳の支援がなく、友達に頼むしかない。優しそうな人を見つけてお願いすることが、最初の関門でした(笑い)。>

 

明るい人ですね。それが障がいを乗り越える力になるのかもしれません。俳優になることもすごいですが、その後の人生も素晴らしい。

 

<共演した萩原聖人さんの草野球チームの試合で、夫と出会いました。実は結婚するまでに2度別れたんです。ろう者と聴者の恋愛は長続きしない。特に女性がろう者、男性が聴者のカップルはすごく少ない。女性が男性をサポートするのが当然だとされているからでしょうか。夫は最初のデートで「手話を教えてほしい」と言って、一生懸命勉強してくれた。10年前から音楽と手話を融合した「手話ソングライブ」を主宰していて、夫婦で手話教室も開いています。>ろう者と聴者のカップルはたしかにあまり見たことがありませんね。

 

二人の協力は彼女が41歳で子どもの誕生という褒美になったのでしょうか。でも41歳の初産は、最近はめずらしくないかもしれませんが、不安がいっぱいだったでしょう。しかもろう者ということですから、それをも乗り越えたのですから、すごい方ですね。

 

子どもが生まれても大変ですが、二人はその悩みを助け合いでカバーして楽しんでいるようです。

 

<41歳で子供に恵まれました。産声は、胸に抱いた時の振動で感じた。夜中に赤ちゃんが起きても気付かないので、泣き声に反応して強く光るランプを買ったんです。夫が先に起きることになるんですけど(笑い)。積極的に協力してくれるので、苦労したと思ったことはありません。>

 

このように新しい自由を求める両親と子は人に幸せをもたらしてくれると思うのです。

 

今日はこの辺でおしまい。