もうちょっと続けます
心が怒りで壊れそうになっている人は、心の中の怒りを何とかして鎮めるなり吐き出すなりするのがいい。話を聞いてくれる善友や、カウンセラーは、怒りを吐き出させて受け止めてくれます。
病気になるのは危険のサイン。サインがあるのはいいことです。ここで弱っている心を少しでも癒しておかないと、怒りが大きくなりすぎて死んでしまうこともある。でも正論や説教は危険(圧力になる)。萎縮したり反発するだけ。慌てず、ゆっくり傾聴と共感(理解)してあげることです。怒りを吐き出すには、何を言っても大丈夫(共感して、わかってもらえる)という安心感(怒りを吐き出す大きな器)が必要なんですね。
根治は、元気を取り戻して理性的にものが受け止められるようになってからです。自発的に学びたいと思えるようになってからでいい。なので、この本(「自殺といじめの仏教カウンセリング」)も、現在死にたい病の人は読まない方がいいかも。読むなら病気になる前かな。(病気の人が多いのが現実)
善友に、なりたいなあ・・・。(大きな器を持ちたい。まだまだ精進が足らない)
自殺ほど割の合わない行為はありません。100%損でしかないのだから。ただ自滅するだけ。
死んだ瞬間に、生まれます。
死ぬまで(現世)の怒り、暗い絶望感など(悪因)の結果は、次の新しい人生(人間ならね)で実現されます。自殺はただの行為です。悪因悪果ですから、新しい人生で”悪果”があらわれる。死んだからといって苦しみが終わるわけではないのです。
さらに、その死が、親や家族や友人など周りの人々をどれだけ苦しませることになるか。生きてれば、まだどうにでもできる可能性があるのに、、、どん底で死んでも何もいいことはない。どん底ならはい上がればいい。というか、どん底で上がれないと思っているのは、それ、「ただの妄想」ですから。
だから、自殺はやめたほうがいい。(と、冷静に受け止められる人は死にませんね)
人が自殺に追い込まれなくてすむ方法があります。それは、怒り(非存在欲)を解消することです。つまり、怒りの反対である「慈悲」の心を育てること。怒りと慈悲とは両立しない。慈悲の心を強制的に何が何でも育てるしかない。これが根本治療です。
それには、「慈悲の瞑想」がいい方法です。落ち着いて何度も、心をこめて読んでみましょう。慈悲の心で怒りが次第に消えていきます。神様とかにお願いするのではなく、そういう心を育てますという瞑想トレーニング?です。
私は幸せでありますように。私の悩み苦しみがなくなりますように。私の願い事がかなえられますように。私に”悟りの光が”(”智慧が”でも)現れますように。私は幸せでありますように…(3回)。
私の親しい人々や生命が幸せでありますように。私の親しい人々や生命の悩み苦しみがなくなりますように。私の親しい人々や生命の願い事がかなえられますように。私の親しい人々や生命に悟りの光が現れますように。私の親しい人々や生命が幸せでありますように…(3回)。
生きとし生けるものが幸せでありますように。生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように。生きとし生けるものの願い事がかなえられますように。生きとし生けるものに悟りの光が現れますように。生きとし生けるものが幸せでありますように…(3回)。
(できれば、「私の嫌いな人々や生命」「私を嫌っている人々や生命」にまで広げてみる。嫌いな生命ががなければ、生きとし生けるものでいい)
これで、慈悲喜捨の心を育てます。
余談ですが、、、
品格を言うなら相撲協会は、禁酒にしたらどうでしょう。
酒は理性をなくし、煩悩を抑えきれなくなり、問題をおこす元となります。酒は麻薬と同じ。怒りも酒のようなものです。弱い人間は一時の快感に依存し、飲み(怒り)過ぎれば吐いたり病気になったり命を落としてしまうことも。強くて品格のある横綱を目指したいなら、酒(怒り)はいらない(障害)のでは?実際、酒なんて飲まなくても(飲まない方が安心して)幸せに生きられますからね。
したっけ。
都月さんの師匠も善友ですよね。
年齢関係なく善友は大事にしたいし、できれば自分が人の善友になれたらと思ってます。^^