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戒律とは&小さな不善にも気をつけよう(『ノコギリのたとえ』その3)

2017年01月17日 | お釈迦様

他人の感情、悪意は汚物ですから受け取らない、自然現象(雨が降っている)だと思って、避ければ(傘を差せば)いいんだという事を、私はお釈迦様から学びました。他人はどうであろうと、自分は感情、悪意を抱かないこと、雨に怒りをぶつけても意味がありませんからね。怒ればその分自分の心が汚れるだけです。(感情に理性はない。理性は育てるもの。理性とは智慧と慈悲喜捨の心)

さて、お釈迦様のお話は続きます。

今度は、比丘たちにお話になります。それは、戒律について、

>比丘たちよ、かつては、比丘たちが私の心を実に喜ばせたものでした。・・・・略・・・・比丘たちよ、(しかし)私には、かつての比丘たちに対して、教え諭すべきことはなかったのです。比丘たちよ、私には、その比丘たちに対して、気づきを起こすだけの事ですんだのです。

ここでは、「昔はこのような、具体的な戒律(一つ一つ教えること)など必要なかった。昔の優秀な比丘たちは、お釈迦様の生き方をお手本にして、自ら気づいて正しく生きていた。」と言われるのです。戒律などないに越したことはないのですが、放っておいたら気づかないし、みんなが堕落して不幸になってしまうのは気の毒なので、仕方なく戒律はあるのだ、と説明されているのです。(ちょっと残念ですね^^;)

それを、次に駿馬(育ちの良い賢く優れた馬)のたとえで説明されてますが、省略します。駿馬は(手綱などで)ちょこっと気づかせるだけで、ちゃんと走るよ、ってことです。(気づかなくちゃ、賢くならなくちゃ、ですね^^;)

>比丘たちよ、ですから、あなたたちは、不善を捨てなさい。諸々の善法において励みなさい。まさしくこのように、あなたたちは、この法と律について、大きく成長しなさい。

次に、法(真理)と律(戒律)によって(戒律も仕方ないね)、不善を捨てて善に励むことの大切さを、サーラ樹の林にたとえて話されます。これも省略しますがつまり、

サーラ樹はすばらしい大木ですが、弱い。このサーラ樹にはシダが寄生して、重くなりすぎて折れたり腐ったり枯れたりしてしまうのです。ですから、善人はシダを見つけたら、シダを切ったり取り除いたりして丁寧に手入れをします。そうすれば・・・

>比丘たちよ、まさしくこのように、このサーラ樹の林は、後に、大きく成長するでしょう。比丘たちよ、ちょうどこのように、まさに、あなたたちは、不善を捨てなさい。熱心に、諸々の善の法をなしなさい。まさしくこのように、あなたたちも、この法と律について、大きく成長しなさい。

>「そのようにあなたたちも不善を捨てなさい。心に不善が入ってしまうと、心が腐ってしまって、やがて自分も倒れてしまいます。たとえ小さな不善でも、『まあいいや』と無視して放っておくと、どうなるかわからない。寄生シダのように勝手に成長して自分が悪で倒される恐れがあります。そして、善をがんばってください」(スマナサーラ長老)

といわれるのです。

お釈迦様の話は「たとえ話」がよく使われます。それで、理解がしやすくなります。

具体的なたとえ話でわかりやすく!^^ 

 

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