「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

四本柱があった昭和16年夏場所の想い出

2017-05-22 06:13:17 | 2012・1・1
昨日のNHK大相撲中継の中入り前の合間に76年前の昭和16年夏(5月)場所のカラー化された古いフィルムが紹介された。大東亜戦争が始まる7か月前の貴重な記録だ。双葉山、男女川の二横綱、安芸ノ海、羽黒山、前田山、五ツ嶋の四大関時代で、羽黒山が14勝1敗で優勝した場所である。僕は小学校5年生だったが、友人兄弟二人と家族に連れられて、8日目、両国の旧国技館で観戦している。それだけに往時が想い出され嬉しかった。

旧国技館は、両国の江戸時代からの相撲ゆかりの地、回向院の境内にあった。明治42年(1902年)に建てられた洋式の4階建て大鉄傘で1万3千人も収容された。僕は父が相撲記者をしていた関係で、戦前子供のころ、花相撲をよく見に行った。本場所とは違って力士が土俵に向かう東西の花道の桟敷席席には造花が飾れていたりして華やかであった。

昨日、NHKのフィルムを見て、今と一番変っていたのは、まだ土俵の上に屋根を支える四本柱があったことだ。四本柱は戦後昭和27年、テレビ放送が開始されるに当たって撤去された。それ以前には柱の横に検査役が座っていた時代があったそうだが、僕は知らない。番組のなかで、勝負に物言いがつき、30分にわたって審議されたことが紹介されていたが、軍靴の音が次第に大きくなってきた時代だったが、まだ、のんびりした時代でもあり、父の日記二よれば、初日の打ち出し時間は夜の8時半とある。しかし、一方では父は、前線に送る番組の録音放送にも出ている。カラー化されて往時の記録は、いっそうリアルに感じたが、力士たちの両腕や足に白い包帯やサポーターが見られなかった。当時は年二場所(1月、5月)東京だけの開催だったからであろうか。その意味では、いまの力士たちの”働き方”に問題があるのではないだろうか(笑)。



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