「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

葬儀の簡素化 父の50回忌法要に思う

2017-12-03 05:32:13 | 2012・1・1
父が亡くなって49年、昨日、親族だけで浅草の菩提寺で50回忌の法要を営んだ。50回忌は”ともらいあげ”ともいうそうで、初七日から始まった回忌法要の締めくくりとされている。父が亡くなったのは昭和43年12月27日で享年84歳の時であった。当時、僕は37歳であったが、父親の歳を越えた今、こうして法要が出来るのは感無量だ。

半世紀前、父親が亡くなった昭和43年の日本人の平均寿命は69.05歳(男性)であった。したがって84歳の父親は長寿をまっとうし、世間からは”おめでたい”とされていた。死因も”老衰”であった。しかし、今、日本人男性の平均寿命は80.97歳、女性に至っては87・60歳と父親の没年をはるかに超えている。

12月27日と暮の押し迫った葬儀にも関わらず、父の葬儀には大勢の方が参加してくれた。当時、東京でも葬儀は自宅で行われるのが通例で、お通夜には親しい友人や隣近所の方が参加、告別式には家に入る狭い通路が花輪で一杯になるほど並んだ。父親が生前、町会の役員をしたこともあって盛大であった。

最近、東京では自宅で葬儀が行われるケースは、ほとんどなくなった。代って新聞のチラシ広告には葬儀の簡素化をうたった「家族葬」「小式場」あるいは「樹木葬」なかには、火葬のみ(直葬)124,000円,火葬料、骨壺一式というのもあった。

父が残した戦前昭和の日記をみると、東京でも初七日のあと百か日まで毎週法要があったが、今は葬儀の時に繰り上げられて行う。年回忌も1年忌、3年忌までは行われるが、そのあとの年回忌を実施する家は少なくなってきた。 

50回忌法要の後、家族だけで浅草の料理屋で精進落としの食事をして、持参した父親の写真を孫たちに見せながら父を偲んだ。葬儀の簡素化には反対ではないが、日本古来伝統の故人を偲ぶ習慣は失いたくないものだ。

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