「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

72年前の”不快な情報”

2017-08-12 05:41:07 | 2012・1・1
亡父の残した昭和20年の日記帳の8月11日(土)の欄に”けふ(きょう)も引き続き”不快な情報”を聞く”とある。”不快な情報”が何なのか10日の欄には記述がないが敗戦であるのは間違いない。父は当時、定年後の勤めで外務省の外郭団体の嘱託をしていたので、しかるべき筋から情報をえていたのであろう。

戦後になって調べてみたら、父が”不快な情報”を耳にした10日には午前零時の深夜、最高戦争指導者会議が天皇陛下、臨席で開かれポツダム宣言受諾が決定され、午後8時、モールス信号で連合国側に伝えれている。多分、父はその段階で情報をキャッチしたものであろう。しかし、一般国民にはまだ、知らされていなかった。

”不快な情報”を聞いても父はまだ半信半疑なところもあり、他人に漏らすわけにはいかなかった。12日(日)には知人と一緒に葉山へ海水浴に行き、逗子駅前の外食券食堂で昼飯を食べている。当時、外食券がなければ、食事ができなかった。葉山では造船所の海で泳いでおり”今年の初遊泳、久しぶりに壮快”と記しており”不快な情報”も忘れている。そのあと、13日、14日の日記も私的なことだけで”不快な情報”には触れていない。

そして8月15日の日記には”記憶せよこの日を!”と赤字で大書し”過去5年の大東亜戦争今日にて終了”と欄外に記し、勤め先で天皇陛下の「玉音放送」”を”一同最敬礼して聞き、粛然として襟をただす。各所に起る嗚咽、感無量なり”と書いている。僕は中学3年、東京の多摩川べりの軍需工場へ学徒動員されていたが、15日は「電休日」で工場が休み、自宅の庭の防空壕で母と一緒に「玉音放送」を聞いた。もう72年も前のことになった。
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